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『先代旧事本紀大成経』など聖徳太子関連の偽文献にすがる人が絶えないのはなぜか

2023年08月07日 | 偽作の『五憲法』と『先代旧事本紀大成経』関連

 ベルギーのゲント大学で開催されるEAJS(ヨーロッパ日本学協会)大会が近づいてきました。そのうちの近代の聖徳太子パネルでオリオン・クラウタウさん、ユリア・ブレニナさんとともに発表・討議することは前に書きましたが、私が報告する『五憲法』、つまり、5部の偽作の「憲法十七条」を含む『先代旧事本紀大成経』の受容の歴史を調べば調べるほど、この偽作文献にだまされる人の多さにあきれざるを得ません。

 中でも驚いたのは、江戸文化の研究家として名高い三田村鳶魚(1870-1952)が昭和10年代になって『大成経』にはまりこみ、その注釈を書いた徧無為、すなわち独自な神道家であった依田貞鎮(1681-1764)を尊崇して月命日ごとに墓参りに行っていたことです。

 このことについては、徧無為研究に取り組んでいる野田政和氏が「三田村鳶魚 晩年の大成経研究と徧無為三部神道の信仰について」(『府中市郷土の森博物館紀要』第35号、2022年3月)で紹介しており、有益です。

 鳶魚ほどの学者が江戸時代に作られた『大成経』の不自然な記述に気づかないはずはないのですが、野田氏によれば、鳶魚は『大成経』偽作説に触れた際、天台宗の開祖である智顗が偽経の『清浄行経』を引用していることについて、鳶魚の師である太子崇拝の学者、島田蕃根(1827-1907)が「面白いではないか。そこは仏法の妙といふもの。偽経でもなんでもかまわない。道理がそこなら引用なさる」と語った言葉が今でも耳に残っていると述べたうえで、『大成経』の疑わしい点は継続して調査してゆくが、「真偽を超越した講究にも励みたいと存じます」と決意を語っています。

 なるほど。『大成経』がおかしいことは分かっておりながら、真偽とは無関係に価値高い部分があるとして研究していたんですね。これは、『大成経』を引用している江戸の学者にはたまに見られるパターンです。

 なお、野田氏は触れていませんが、島田蕃根は『大成経』信奉者でありながら、江戸幕府に偽作と判定されて禁書にされた経緯があるためか、表だっては『大成経』を賞賛せず、信頼できる弟子だけにその重要性を語っていたようです。

 疑いつつも、あるいは偽作と知りつつも、自分の説にとって都合が良いと、『大成経』のこの部分は古い資料に基づいているのだ、あるいは、真偽はともかく大事な教えを述べているから、という理由で使うのです。

 これは、実は空海も同じです。入唐した大安寺の戒明が、龍樹撰と称する『釈摩訶衍論』を持ち帰ると、歴代天皇の漢字諡号を定め、厩戸皇子を聖徳太子と呼んだ淡海三船(こちら)が、還俗僧としての見識に基づいて偽書だと早速批判しました。最澄なども偽書だとしたため、真作説派と偽作説派の間に論争が生じたのですが、空海は密教と顕教を区別する大事なところで、何も言わずに『釈摩訶衍論』を使うのです。

 天台宗の草木成仏説を確立した安然などは、初めは空海が偽書の『釈摩訶衍論』を使っているとして批判していたのですが、そのうちに自分も黙って利用するようになりました。まさに、空海と同じですね。なお、『釈摩訶衍論』については、新羅で作成されたことを私が以前、論証してあります。

 新羅撰述という点では、中国華厳宗の大成者である法蔵の作と伝えられてきた『華厳経問答』も同じです。この文献について、鎌倉時代の大学僧である東大寺凝然は、「文章が拙劣であって法蔵大師の著作に似ないが、内容が深遠なので、先徳たちは使ってきた」と述べています。

 これも私が解明したのですが、この『華厳経問答』は、入唐して智儼に師事し、華厳教学を学んだ後に新羅に帰った義湘が、入唐する僧に託して智儼門下の仲間であった法蔵に贈り物を届けたところ、法蔵が兄弟子の義湘あてにお礼の手紙とともに自分の著作をたくさん届けたため、義湘が弟子たちとその内容を考慮しつつ討議したものでした。新羅語でのやりとりを無理に漢文に直したため、教理面ではすぐれた内容が説かれているものの、おかしな文体となっていたのです。

 ただ、戦後、『大成経』を持ち上げている人は、凝然や鳶魚のような学識がないため、不自然な部分に気づかず、純粋に真作だと信じている人ばかりのように見えます。不自然な部分というのは、たとえば、『大成経』は「この~」という場合、「此」などのほかに「這」の字を使うことがありますが、「這」は唐代以後に用いられた俗語であって、禅宗の語録での問答部分などに良く見られるものです。

 ですから、聖徳太子が編纂させたと称する『大成経』に出てくるはずはないのであって、実際、『大成経』を偽作だと論じた江戸の学者の中には、この点を指摘した人もいました。

 偽書には、こうしたミスが必ずたくさんあるのです。しかし、漢文・古文にうとく、歴史に通じていない素人にはそれが分からないのであって、以前書いた三波春夫はその好例ですね(こちら)。

 また漢文・古文に通じている人の場合、自分の主張にとって都合の良い記述であると、上に書いたように、現在の形はおかしな箇所が目立つため後代の作とみなしつつも、内容自体は古い文書や伝承に基づいている、と考えたくなるのですね。凝然の場合も、『華厳経問答』は法蔵が書いたものではないとしつつも、弟子などが師匠の講義の内容を下手な文章でまとめたものと見たのでしょう。

 いやあ、三田村鳶魚も『大成経』を偽書と疑いつつ尊重していたのか……。こうした現象については、偽書を中心としたノンフィクションライターである藤村明氏による『日本の偽書』(河出文庫、2019年)冒頭の「人はなぜ偽書を信じるのか」という概説が参考になります。

 この『日本の偽書』では、三田村鳶魚が1941年に発表した「大成経学の伝統」論文に触れ、長野采女が『大成経』の作者だとする説を鳶魚はとんでもない「憶測」と評しているが、「案外真相に近いのではないかと思われる」と述べています。私もその意見に賛成です。博学で虚言癖があった采女が最有力候補でしょう。

 問題は、全部が采女の作か、近世の偽作文書などをそのまま利用している部分があるかですね。7月1日に上智大学で行われた『源氏物語』シンポジウムでは、私は『源氏物語』は仏教由来の語を利用して主要な登場人物の性格を書きわけており、そのやり方は最後まで一貫しているため、宇治十帖作者別人説は成り立たないと述べました。

 『大成経』の良いテキストが電子化されれば、仲間で開発したNGSMシステムを使って語彙・語法の分析をやり、巻ごとの特徴を明らかにしたいところです。仏教関連で言えば、禅宗の用語を用いている巻と天台教学の用語を用いている巻が重なるのかどうかとかですね。

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