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釈迦三尊像脇侍菩薩にこめた女人往生の願い: 中野聰「法隆寺金堂釈迦三尊像の所依経典と美術表象」

2011年09月30日 | 論文・研究書紹介
 法隆寺金堂の釈迦三尊像については、山のような論文が書かれており、そうした研究史をまとめた論文も複数発表されています。そうした中で、研究史を紹介しながら釈迦三尊像作成の背景となった経典について検討した最新の論考(研究ノート)が、

中野聰「法隆寺金堂釈迦三尊像の所依経典と美術表象
(『龍谷大学 仏教文化研究所所報』34号、2010年12月)

です。多くの論文を引いており、注では出典を示すだけでなく、その論文や著者の主張について簡単な説明も付しているため、最近の研究動向の概説として読むこともでき、有益です。

 女人往生の問題に注意しながら「天寿国繍帳」や法華寺十一面観音像その他に関する研究を発表してきている中野氏は、釈迦三尊像を扱うに当たって、表現のよりどころとなった経典は何かというところから出発します。

 最初に紹介しているのは、大乗仏教の百科事典のような性格を持つ『大智度論』に基づくと論じた長谷川誠氏の研究です。長谷川氏は、荘厳具に見られる表現に着目しており、大光背にレリーフ状に描かれた七体の化仏は、釈迦の舌から光明が放たれて化仏が生じ釈迦を荘厳したとする『大智度論』巻七・八に基づくと説いていました。

 また、宝珠についても、末法の世になると仏の舎利が宝珠に変化して人々を救済すると説く『大智度論』巻十の記述によるとします。浅井和春氏も、『大智度論』依拠説をさらに進め、銘文中の「法皇」は正法に基づいて統治する転輪聖王を法王とするのに当たるとし、中国の江南地方で盛んであった舎利信仰と転輪聖王信仰との関係に注意します。

 中野氏はこれらの指摘を評価しつつも、さらに重視しているのは、『法華経』の影響を強調した亀田孜「法隆寺の法華経関係の美術」(『仏教芸術』132号、1980年)です。亀田論文は、法隆寺の秘伝を伝える鎌倉時代の『古今目録抄』が、釈迦像の脇侍を薬王・薬上菩薩としているのは、『法華経』薬王菩薩本事品、妙音菩薩品などに基づくとし、薬王品では『法華経』を信仰する女性は死後に阿弥陀の極楽浄土に往生できるとあることを指摘しています。つまり、この二体の菩薩は、太子の生母と太子の后を表していると見るのです。

 そこで中野氏は、仏教受容期の日本における『法華経』の受容について検討し、大光背だけでなく脇侍菩薩の宝冠や台座などにも見える蓮華の意匠は、『大智度論』よりもむしろ『法華経』に基づくと論じます。脇侍菩薩本体は簡略な造形であるのに対し、脇侍菩薩の蓮華坐が「意識的に入念につくっている」(6頁)のは、薬王品では女人の往生者は「蓮華の中の宝座の上に生まれ」ると明言していることと関係があると見るのです。

 中野氏はさらに、このブログでも紹介した長岡龍作氏の論文が在銘像は願主の願いを成就するための積善行為だと論じたことを承け、こうした造形は、「王后・王子・諸臣等」など、女性を含めた願主たち自身の「浄土往生」の願いがこめられた図像であると推定します。

 このような議論は方向は正しいと思いますが、「浄土往生」という点を強調すると平安以後の浄土信仰になる恐れもありますね。重要なのは悟りを得て仏となることであって、浄土往生はそのための最も確実な階梯であるために重視されるというのが古代仏教の基本姿勢です。浄土に往生できたらそれで終り、ということではありません。

 むろん、生天思想はインドでも初期仏教以来、在家向けに説かれていましたし、中国・朝鮮でも常に盛んでしたが、銘文を見れば、願主たちの最終目標は「同趣菩提(ともに菩提[悟り]におもむく)」ことであり、しかも、自分たちと無数の人々がそうなることよう強く願われています。これこそが、浄土教が盛んになる前の大乗信仰でした。

 中野氏のこの論文は、私が本ブログで『大方便仏報恩経』に着目する以前に書かれたものですが、釈迦三尊像銘を扱う場合は、太子信仰だけを問題にするのではなく、太子と同時期に亡くなった「母王」と「王后」、すなわち太子の母と妻が銘文でいかに重視されているかに注意するという傾向は、この数年で定着しましたね。
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