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「天王」は仏教尊崇の胡族国家の王名:甘懐真「東アジアにおける四~六世紀の「治天下大王」と年号」

2022年03月01日 | 論文・研究書紹介
 2年ちょっと前に、「天皇」という称号について考えるうえで有益な論文が刊行されました。

甘懐真「東アジアにおける四~六世紀の「治天下大王」と年号」
(水上雅晴編『年号と東アジアー改元の思想と文化ー』、八木書店、2019年)

です。甘氏は、台湾大学歴史系教授であって、専門は中国古代史ですが、東アジア諸国の制度の比較についても論文を発表されています。

 甘氏は、「天下」という言葉の意味が時代によって変化したとし、漢代では天下は唯一で天子である皇帝が君臨していたものが、三国時代に入ると、これらの国はそれぞれ漢を継承したと称して皇帝を名乗り、元号を立てました。ですから、三つの天下が並立したことになります。

 さらに五胡十六国時代になると、皇帝を名乗らずに元号を制定する者が出てきます。匈奴系の石勒は319年に趙国を建国すると、「趙王元年」と改称しました。328年、石勒は、天の命が革まったと宣言し、年号を立てて「太和」としましたが、皇帝を名乗らず、「趙天王」と称し、329年になって「皇帝の事を行」ったのち、正式に皇帝の位につきました。

 これは、『日本書紀』用明紀が厩戸皇子について「天皇の事を行なう」と記していることを想起させますね。

 以後、中国で天王を名乗ったことが記録に見えるのは、前秦・後燕・後秦・後涼・夏の諸国です。前秦の場合、君主の符洪は「秦王」と名乗ったのち「天王」を称し、352年に皇帝となっていますが、「皇始」という元号を立てたのは、天王になった時です

 その後を継いだ苻堅も、すぐには皇帝に即位せず、まず「大秦大王」と称し、「永興」と改元しています。また、匈奴の赫連勃勃は409年に「天王・大単于」と称して国号を夏とし、元号を龍昇とした後、418年に皇帝と称しています。この時代は、皇帝が各地にいて年号を定めており、複数の天下が並立していたのです。

 甘氏はここで日本を検討し、稲荷山古墳出土鉄剣銘に「治天下」と「大王」という語が見えることに注目します。つまり、天下を治める本来の中国の皇帝よりは下であると考えていたもの、単なる国王ではなく、諸国を配下に置いて小天下を治める「大王」であると自認していたことになるため、これを中国の「天王」と同じ性格のものと見るのです。

 実際、書写の際の問題とする説もありますが、『日本書紀』雄略紀では、百済王が雄略天皇のことを「天王」と呼んだとする記事があり、註では『百済新撰』を引き、百済王が弟を大和朝廷に遣わして「天王に侍」させたと記しています。まさに、「治天下」の「大王」に相当するものを「天王」と呼んでいるのです。ただ、当時の倭国は宋の君主に対して「臣」と称していたためか、元号は立てていません。

 面白いのは、この前後の時期には、東アジアでは「大王」やそれに類する称号が見えており、高句麗の広開土王は「太王」と称されていることです。広開土王の碑では、建国神話がきされており、祖先は「天帝之子」とか「皇天之子」と称されており、国王は「天子」を自認していたことが推測されるのです。

 なお、「天王」という称号は仏教に由来するとする説については、甘氏は否定し、「天王」はあくまでも「儒教の王権制度」に属するものであって、仏教王権の制度によるものではないとします。

 ただ、「天王」という語そのものは仏教のものであることを認め、当時の王者には仏教徒の者がおり、また後秦の姚興のように人民も王者を仏教王権の王とみなしていたと述べた後、「王と皇帝の中間たる天王が仏教王権の官名であるというのはしごく合理的ではなかろう」(269頁)と記していますが、妙な表現ですね。「なかろうか」の誤記ではないかと考えてしまいます。

 初めて天王を名乗った石勒にしても、仏図澄に出会って熱心な仏教信者となっているわけですし。「制度としては儒教に基づいているものの、仏教の用語を参考にした可能性がある」という方向でも良さそうに思うのですが。

 これは日本の「天皇」の場合も同じですね。呉音では、「天皇」も「天王」も発音は同じですから、仏教を推進していた時期であれば、天皇という称号を名乗る際、天王をヒントにしたといった程度はありそうに思われます。

 甘氏は、仏教の用例にまったく言及していませんが、「天王」は中国の古典には見えず、仏教文献では devarāja や devendra(deva + indra)などの訳語として数多く用いられる言葉です。四天王の「天王」は、 mahārāja(大王)やこれに devatā(神)の語がついたものであって、いわゆる「天王」とは系統が違いますが、漢訳では区別されていません。

 「天」という語は、昔、「『日本霊異記』の重層信仰」という論文(こちら)で指摘したように、インドの deva と中国の天と、胡族や日本の伝統的な天の概念を曖昧に結びつける便利な言葉なのです。