聖徳太子研究の最前線

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藤枝晃先生のもう一つの勇み足

2010年07月31日 | 三経義疏
 『勝鬘経義疏』と内容が7割ほども一致する敦煌文書の発見が衝撃的であったためか、現在も藤枝晃先生による『勝鬘経義疏』中国撰述説を支持する人が多いようですが、中国撰述説は藤枝先生の勇み足というべきものであり、変則漢文の多さから見て中国撰述ではありないことは、拙論このブログで書いた通りです。また、この問題をさらに詳しく論じた拙論「三経義疏の共通表現と変則語法(上)」も12月頃に刊行される予定です。

 藤枝先生については、勇み足とでも言うべきものがもう一つあり、最近訂正されつつありますので、紹介しておきます。それは、李盛鐸旧蔵書問題を含めた敦煌文書の贋作問題です。

 敦煌文書は、スタイン、ペリオその他の探検家たちによって多くが海外に持ち出されてしまい、政府が慌てて残りを北京に送るよう指示したものの、その途中で、また敦煌文書が北京に着いてからも、中国人官吏によってかなりの量が抜き取られたことが知られています。後者の代表例が、駐日公使も務めた高官であって古文書の収集家として名高かった李盛鐸(1859-1937)です。

 「敦煌秘笈」と称される李盛鐸コレクションのうち、李盛鐸の所蔵印が押されて世に流れたものは、間違いないものとされて市場で高値がついていたのですが、藤枝先生は、偽造と思われる写本に李盛鐸の所蔵印が押してある例が多いことに着目されました。そして調査を始めたところ、所蔵印は何種類もあって偽造印ばかりであり、その印が押してある写本は逆に素性が怪しいことをつきとめました。まさに、藤枝先生ならではの仕事です。これがきっかけとなり、内外のコレクションから偽写本が発見され、大騒ぎとなりました。

 ただ、藤枝先生は、古物商などの手を経て日本に入ってきた敦煌写本と称するものについては、9割以上が贋物だと断定し(時には、98%くらいが偽物だと発言された由)、李盛鐸自身も偽造品作りに関わっていたらしいとされました。これに対して、池田温先生などは、疑わしい写本がかなりあることを明確に認めつつも、「敦煌学の権威呉其博士は曾て真を偽に誤る害は大きく偽を真に誤る害は小さいと述べられたが、まことに同感」(池田『中国古代写本識語集成』大蔵出版、1990年、27頁)と述べ、慎重な態度を保たれました。

 つまり、偽物を本物と間違える弊害よりも、本物を偽物とみなす弊害の方がずっと大きいというのです。確かに、偽物が本物扱いされる場合は、大事に保存されるでしょうから、そのうち研究が進んで偽物と判明することもありうるものの、本物が偽物と判定されてしまうと、保存が雑になって傷みが進んだり、処分されてしまったりする危険性があります。また、北京大の栄新江さんなども、李盛鐸がもともと持っていた写本は真本の可能性が高いと論じました。

 そうした意見を踏まえて敦煌文書の再調査が内外で進められた結果、一時期は偽造品の多さが話題になった三井文庫所蔵の敦煌文書も、実際には3割程度が本物であり、しかも、きわめて貴重な写本を含んでいることが明らかになっています。

 また、行方不明であった李盛鐸の「敦煌秘笈」については、京都大学の羽田亨博士が戦前に白黒写真で撮らせていた写真資料がこの李盛鐸旧蔵本であることも明らかになりました。さらに、個人蔵書としては世界最大の敦煌文書コレクションである「敦煌秘笈」は、いろいろな経緯を経て武田薬品社長の五代武田長兵衛氏の所蔵に帰して戦災を免れ、現在は大阪の武田薬品工場に隣接する武田科学振興財団の杏雨書屋に収蔵されていることも、ついに公表されるに至りました。
 
 それらの文書については、その目録と豪華なカラー図録集(全9冊。非買品)の刊行が昨年から始まっています。敦煌仏教文献の研究者の一人である私も、目録と図録をご恵贈頂いて学恩を得ていますが、現在、2冊刊行されている図録を眺め、また先日、杏雨書屋で開催された「敦煌秘笈」の展覧会で眺めた限りでは、贋作も含まれているものの、真本が多く、中には素晴らしい文献もかなり有るように思われました。李盛鐸の旧蔵本については、いろいろな方面からの研究が急激に進みつつあります。

 つまり、藤枝先生は、敦煌文書研究を一気に発展させた偉大な書誌学者であったものの、断言しすぎる傾向、とりわけ偽物と思われたものについては切って捨てるような発言をする傾向が多分にあったのです。聖徳太子撰とされてきた『勝鬘経義疏』を、中国北地で出来た凡庸な節略本と評したのは、そうした傾向の現われの一つと考えるべきです。『勝鬘経義疏』は中国撰述ではありません。

 『勝鬘経義疏』は、「本義」と称される種本以後に出現した諸注釈書の解釈を加えているから、情報不足の日本で出来たはずがないと藤枝先生は論じられたのですが、同じように「本義」と称する種本に基づく『法華義疏』の場合、「本義」の光宅寺法雲の『法華義記』以外に引かれている注釈のほとんどが『法華義記』より古い時代のものであることは、田村晃祐先生が明らかにしています。つまり、「本義」ともう一冊、古い時期の種本があれば可能なのです。三経義疏は、中国南北の地の多くの注釈の説を取捨して作られた吉蔵の注釈と違い、きわめて限られた材料だけで出来ているのが実際のところです。

 田村先生の『法華義疏』研究は、秋か冬には書物の形で刊行されることと思います。内容と形式に関する詳細な研究ですので、出版が待ち遠しいですね。田村先生は、太子真作説です。

 なお、杏雨書屋の主任研究員として、現在、「敦煌秘笈」の図録作成を担当しているのは、藤枝先生が率いた敦煌写本研究班において敦煌写本と『勝鬘経義疏』の類似に最初に気づき、研究を進められた古泉圓順先生なのですから、歴史の巡り合わせの不思議さが痛感されます。