郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

百日紅の木

2009年08月21日 | 日記

裏庭の百日紅のピンクの花が今年も満開に咲きました。この花は長期間咲いているので楽しめます。四季バラもこの暑さにも関わらず可憐に咲き心を癒してくれます。

ルソンの壺というテレビ番組の中でオリーバーソース社長が「素直で明るく逃げないで生きていくこと」とおっしゃった言葉が印象に残り、単純で出来そうで意外に難しいことだけど前向きに歩いていけたらと思いました。

今日の夕食は、

 

 

 

 

 

 

 

 

◆新さんまの塩焼き ◆鱧の湯引き梅肉ソース ◆イカの造り ◆万願寺唐辛子炒め


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育児

2009年08月20日 | 日記

娘宅に行って来ました。S君は相変わらず元気一杯です。そのわんぱくさを悩んでいる娘。明るい娘だったのにその顔から笑顔が消えていたのが気にかかりました。子育てや家事は毎日同じことの繰り返しで評価も出ない。反対に期待だけが主婦にかかってくる精神的負担の大きさに押しつぶされているのだろうか。子どもは親の思い道理には育たないもの。先ず、明るい家庭になってほしいと思います。

今日の夕食は、

 

 

 

 

◆鶏肉のトマト煮 ◆焼野菜のマリネ ◆トマトのキムチ和え     ◆小アジの南蛮漬け

 

 


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定時と残業

2009年08月19日 | 日記
 主人が勤めていたころ、会社の定時は17時40分でした。営業部門は工場部門より休日が少なく始業時刻も1時間遅いが総労働時間は1900時間を少し切るくらいで同じでした。でも、多分その倍は働いていたのではないかと思います。朝は始発で出勤する、夜は会社に泊まって帰ってこない。そのため、着替えを朝早く届けたりもしました。休日も普段と同じように出勤する。会社の定時、残業の範囲を超えていました。それが何十年も続きました。偉かった。支えた私もえらかった(=しんどかった)。音を上げることなく働き詰めの主人は働くことが好きだった?。目的意識があり、完全主義者で、責任感は人一倍強かったし、弱音を他人に見せることが嫌いだったからかも知れません。逆に、能力を時間でカバーしていた?。仕事の要領が悪かった?。部下に任せる度量がなかった?。出来ない言訳が口下手で下手だった?。…かも知れませんね。知的好奇心を満足させる好きな仕事を盾に家事を私に全て押しつけ、育児やその他諸々の煩事から逃げていたのかも。悪いように取れば私が惨めになるだけです。精神的にポキッと折れないか、身体的に不規則な食事で健康を維持できるか心配でした。心配しても限がありません。今では定時とか残業とか会社に関係なく主人は主人の道を歩むことで、私は私の道を真直ぐに歩むことを教えてくれていたように思います。

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会社と家庭

2009年08月18日 | 日記

 会社とは人が集まって他の集団(会社)と競い、戦い、出来るだけ大きな社にしようとする。そのために計画性、効率性、生産性がそれぞれの仕事に求められその対価として利益の配分に預かっています。一方、家庭とは愛という共通項に括られた者たちが生活を共有する場所であり、安全と安心の環境の中で子育てをし、また精神的緊張から解放される場所でもあります。生活を営む中での仕事は衣食住育のデェイリールーチンで簡単そうに見えますが幅の広い雑事で正解の無い仕事内容です。そこには、地域集団の中にあっては和が極端に強要されたり、子育てにおいては、いたわり、ねぎらい、なぐさめ、愛おしむ気持ちがないと前に進みません。時間軸で割り切った作業にはなりえないのです。本々目的が違い、仕事の中身も違うのに、仕事とはすべて会社仕事と同じであるとして部下に指示するようにパートナーに指示する無理解者が多いようです。会社勤めをしていたころの主人もそうでしたが、管理、管理、管理に押しつぶされていたのかもしれません。退職後家庭の仕事を手伝うようになってからは家庭に合理性を求める管理者は不要で、家庭のゆとりを大切にして家庭は築き上げるものとの視点が欠けていたと反省すると同時に謝ってくれました。


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仕事と家庭

2009年08月17日 | 日記

 仕事と家庭の融合というエッセイが新聞記事にあった。お父さんのヘリコプター設計技師としての仕事を見ながら育ったから空へ憧れがあり、ボーイングに勤めることになったという話である。最近TVでお母さんと子どもがお父さんの会社に行き、会社説明を受けた後お父さんを含め家族で定時に帰社する様子を放映していた。昔は農業や家内営業が多く、お父さんの働く仕事姿を見て育ったが今は会社と家庭とが全く分離しているから融合の必要性があるのかもしれない。それは子どもにとってニートにさせない一つの方法かもしれない。日本のようにただ単にある年頃になるとおやつや玩具を自分の管理で買い物をさせるのではなく、外国ではお小遣いは芝刈り、食器洗い、お風呂洗い等お手伝いをすることで与えると言う。働いてこそお金が得られる体験をさせる。一方、お父さんはどうであろうか?。仕事を家庭に持ち込むことは心が休まらない人もいるのではないか。特に会社の携帯電話を持たされている人にはそれが言える。せめて家庭だけは仕事を忘れてのんびりしたいと思う。では、お母さんはどうであろうか?。仕事とは家事であり、家庭内のそのものである。仕事を忘れてのんびりなんて出来ないのである。それが毎日であり、自分で言うのもなんですが、意外に負担が大きいのかもしれない。


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