本来の意味とは少し違うかも知れませんが、性善説の人をおめでたい人、何も考えていない人と蔑〔さげす〕む。性悪説の人をひねくれ者、何でも疑う人と蔑む。互いに互いを貶〔けな〕しあう。選挙も同じです。自分が正しいと思っているから主張する。もし、当選しても自分の意見が本当に正しいとは限らないことに目を向ける人はいない。勝てば官軍。49%の反対者がいようとも自分の思い通りに事を運ぼうとする。再確認をするとメディアも信念がないとか、(一貫性がなく)ぶれていると批判をする。けれど、重要なことは敢えて慎重に事を運ぶべきだと思う。人は往々にして勢いで決断しあとは何とかなると考える。憲法は簡単に変えるべきものではなく、理想に近い規範で政治家の行動を縛るものだと考えています。選挙で投票する人は流れに流されず、確固たる信念で大切な1票を行使して欲しいと願う私は悲観的な性悪説の人間なのでしょうか。
今日の夕食は、
◆鱧フライ ◆和風ロールキャベツ ◆大根サラダ ◆いじき煮 ◆ご飯
~ 鱧フライ がほくほくとして夏を過ぎても美味しかった ~
追記: 本来、性善説とは人は生まれつきは善だが、成長すると悪行を学ぶ(孟子〔もうし〕の思想→仁〔じん〕~思いやり)、性悪説は逆に人は生まれつきは悪だが、成長すると善行を学ぶ(荀子〔じゅんし〕の思想→礼〔うや〕~敬う) と言うものです。本稿では単純に 性善説は人の本性は善であり、人を信じるべきだという楽観的な考え方で 性悪説は人の本性は悪であり、人を疑ってかかるべきだという悲観的な考え方で 言葉を使っています。
家人のお爺さんテニスは先週も雨だったので小雨決行で行きました。5面コートがある中で家人グループ4人の1面のみで他4面は使っていなかったらしい。ベテランにいじられるが、やらないと上手にならないと気に留めないようにしてると言う。家人も最近はテニスを少しは楽しめるようになったのかな?。