家人は寒いので外出せずに歎異抄の本を読んでいました。図書館から借りた本3冊と他市から借り受けて頂いた1冊をほぼ読み終えたようです。分かったようで分からないことだらけでもう一度読み直してみたいと言う。私はその内の一番簡単な1冊を読みました。宗教に心酔するわけではなく、ある意味において勉強です。特に長寿化の著しい日本では宗教は必要とされなくなってきて葬式を簡単に済ませたり墓じまいをしたりで、人の死にまつわる負担を減らす動きが目立ってきている。それは人の居住移動が激しくなり、不安定で人と人との絆が希薄になった面もあるでしょうし、人が宗教に求める端緒は来世信仰(現世が苦しいから来世での幸福を求める)と現世利益信仰(現世での幸福を求める)にありますが、ほどほどに豊かな暮らしが実現してしまった結果、宗教に頼る動機が失われたからだとも言われています。また、多くの人が長寿となり、大往生する時代に変わった。周囲の悲しみも大きくなくなり、葬式や墓の費用も抑えようと合理的な考えをする人が増え、葬儀の連絡をごく限られた人にしかしないから、いつどうやって死んだかという事実も伝わらない。人の死がどういうものかも分からない時代になり既成の宗教は時代遅れになったと言えます。それは淋しいことだと思いますが一面、時代の流れで仕方のないことかも知れません。
◆焼肉 ◆カマスのフライ ◆サーモンと新玉ねぎのマリネ ◆カリフラワーサラダ ◆味噌汁 ◆ご飯
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