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天下分け目の関ヶ原!

2014年08月07日 | ぶらぶらする

ついにやってきた。

総勢20万ともいわれる軍勢がぶつかり合い

日本史上最大の戦場と目されていたにも関わらず

わずか半日は片付いてしまった。

天下分け目の関ヶ原!

 

記念館は16時半で閉館。

しかたなく地図だけもらって

さっそく史跡巡りに出発しよう!

 

1.東軍 徳川家康最終陣地

関ヶ原盆地の東端。

資料館の目の前にあり

当初、関ヶ原からやや東の桃配山へ布陣した家康だったが

開戦と同時に家康は本陣を戦場間際まですすめ

ここで最後の軍配をふるったという。

 

2.西軍 石田三成陣地

関ヶ原盆地の北端。

対する西軍の影の総帥

石田三成の布陣したのがこの笹尾山

家康陣地から車でわずか5分。

さっそく登ってみよう。

頂上の陣跡までは徒歩3分ほどで到着。

三成はここで西軍の不利を悟るや

北国街道沿いに自領の近江へ敗走、

その後捕縛の憂き目にあったという。

開戦前は目前の関ヶ原盆地を見下ろしながら

三成の頭の中では勝利の方程式は完璧に出来上がっていたのではあるまいか。

こっちは東軍方面。

こっちは西軍方面。

総崩れの発端となった小早川の裏切りの舞台、

松尾山までバッチリ見える。

布陣では圧倒的優位に立ったはずの三成だが、

諸将がまったくいう事を聞いてくれず

勝利の方程式はもろくも崩れ去ることとなる。

 

3.関ヶ原決戦地

小早川の裏切り後、

戦局もすでに決したところで

殺到する東軍諸将を必死に防衛した

三成の最終ラインらしい。

 

4.福島正則陣跡

三成陣跡から車で5分。

関ヶ原盆地の最南端にある。

当初、東軍の先方は福島正則と決まっており

福島隊が予定通り西軍宇喜多隊に先鞭をつけて開戦する予定であったが

後方の井伊直正が福島隊を出し抜いて

宇喜多隊に発砲をしかけたところからこの関ヶ原の戦いは始まる。

井伊直正が家康の子飼いの武将であるのに対し

福島正則は豊臣恩顧の武将で

家康にとってはいわば単なる同盟武将。

軍議では福島のメンツを考え先陣は福島隊としたが、

かわいい子飼い武将に先陣の花を持たせたかった家康が

こっそり井伊隊に先陣を命令したとかしなかったとか。

 

5.関ヶ原開戦地

関ヶ原盆地中央部。

上述の通り、

井伊隊が宇喜多隊に発砲を仕掛け

抜け駆けに激怒した福島隊がさらに苛烈な発砲を宇喜多隊に仕掛け

戦いの火ぶたがおとされたのがここ。

関ヶ原序盤の

福島隊vs宇喜多隊や織田・古田隊vs小西隊

などは互角の戦局が続いたという。

 

6.西軍 小西行長陣跡

関ヶ原盆地中央部で開戦地の脇に位置する。

この辺りはうっそうとした林の中で

やや気味が悪い。

 

7.西軍 島津義弘陣跡

関ヶ原盆地中央部で三成陣の眼下に位置する。

西軍敗走時に東軍本陣の目前を的中突破して

鹿児島まで帰国した勇猛な舞台として知られるが

そもそもこの人も三成の命令を無視した西軍敗因の一端。

その他にも見どころは多いのだが

いずれも車でのアクセス不能で山中を1時間ほど歩かねばならないため

今回は断念。

 

最後に関ヶ原の戦い戦術的まとめ

・高地の西軍が盆地の東軍を包囲する布陣で西軍圧倒的有利。

・序盤の局地戦は互角のつばぜり合い。

・三成の一網打尽命令を「島津」「毛利」「長曾我部」の主力各将が無視。

・南西部の松尾山の小早川秀秋が寝返り。

・松尾山山麓の「脇坂」「小川」「朽木」「赤座」が寝返り。

・南西部から西軍総崩れ。

実際に行ってみるとなんで東軍が勝ったかよくわかる!


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