昨日9月1日は防災の日、それと合わせて9月1日と言えば多くの小中高校で2学期が
スターとします。弾む声が校舎に響く一方で,この日は子供の自殺が突出して多いと
ニュースで報じています。
先の寝屋川の中1二人の深夜徘徊からの殺害事件の時もそうでしたが自殺防止のために
マスコミは「普段から目を配ってくれる大人が周りにいると感じるような社会の構築」が
必要と言っています。でも具体的にどれだけの大人が行動し始めたのでしょうか?
この写真は私とペアーで見守り隊活動をしている老人の様子です。優しそうな
まなざしで「オハヨウ、イッテラッシャイ」の声が聞こえてきそうなよい写真と自画自賛です。
この写真のようにリタイアし時間にゆとりのある老人ですら、いざ実際に行動に移す、
例えば見守り隊に参加して活動する方はとなるとほんの一握りの方と少なく、ほかに何が
できるかとなると難しいというのが現実です。例えば深夜徘徊する子を見たら、温かい心で
一声かけることぐらいは誰でもできそうですが、「逆切れされないか」などと気になって
できないのです。かって中学校勤めだった私、しかし全く知らない中高生に声掛けすること
にはためらいます。
そこで思い出すのが、私が現職であった頃、問題多発で「荒れた学校」と陰口され、地域や
保護者に心配をかけた叱責受けていた時のことです。私は父親・地域の男の大人の方に
お詫びしながら、一方でお願いをして回ったことがあります。
「学校(教師)は何をしてるのかと非難やお叱りの声を出されるのに合わせて、どうか
近所の子どもの名前を覚え、顔を合わせたら挨拶する努力してやってください」と。
「そんなことぐらいで荒れが収まるものか」と反発されましたが、繰り返しお願いするうちに
、徐々に協力者が増え変化が現れてきました。
ご近所さん、向こう三軒両隣という狭い地域社会から、子供の名と顔が一致し、普段から
挨拶ぐらいは交わせるようになる、そうすると学校が落ち着いていったことを思い出します。
どうか自分でできることをコツコツと継続して下さることを願います。
本題の「今週の花」の前段が長くなりました。
この一週間でめっきり秋の気配を見聞きできるようになりました。早朝ウオーキング
途中北野天満宮の大鳥居の上、空を見ればうろこ雲があったり。
平野神社では、ある日突然にヒガンバナに出会いビックリ。名前の通りお彼岸の頃
に咲く花が一か月前に咲き始めていました。
雨に濡れた花も合わせて。
日の出が遅くなったおかげで、夕方から夜明けごろまで咲く「おしろいばな」にも
出会えます。
花だけでなく実りの秋が近づいてることも歩く道中見つけられます。
等持院の山門入ったすぐ横、栗の木がまだ青色がかっていますがいがを一杯
つけていました。見つけた感動を写真では表せず単なる記録写真ですが。
街路樹の銀杏の樹にはほんの少し色づいた銀杏が。
紙屋川沿いには無花果が。残念なことは熟して食べごろの実は鳥に食い荒らされて
入り事、せめて実と鳥を一緒にと待って見たのですが気配を感じて現れず、たまたま
トンボが止まった所をパチリと。