草花探訪

季節の草花苗づくり

彼岸花見頃

2018年09月26日 | 花の写真

「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものだと思います。

酷暑の上に豪雨や台風そのうえ地震と天災が猛威を振るった夏もようやく去り、凌ぎやすい

気候になりました。

振り返れば日中の不要不急の外出は控えたりエアコンをフルに活用して、手元に水分補給

の飲料水をおいてこまめに摂取するなどと、体調を崩さないよう苦労した日々がウソのよう

に感じられます。

こんな80歳を超えた老体に比べると、野の花たちは少々の異常気象には影響されません。

今年もお彼岸の時期に見ごろを迎えるヒガンバナは、公園や寺社、民家の庭先に鮮やかな

花を咲かせています。群生地をわざわざ観光に利用するところもあるほどです。

ほとんどが赤色の花ですが白い花の彼岸花も。(下の2枚は平野神社で撮影)

     

私が子供の頃、衣笠地域は農耕地域で、すぐ近くに原っぱがあり小川が流れていました。

多くの道路は地道でしたのでいたるところで秋には彼岸花が咲いていました。

 

彼岸花は田畑のあぜ道や墓地にはネズミやモグラに荒らさないようにと、球根が植え

られたことや、彼岸花の球根には(アルカイド系の)猛毒があり触ってはいけないと母親

からきつく言われていました。そのようなわけで私だけでなく同年輩の方の多くも「鮮やか

な赤い美しい花」というよりは「毒花・幽霊花」という印象を持たれていると思います。

 

今秋も田園に咲く彼岸花を求めて、長雨の合間を縫って廣澤の池方面に出かけました。

次の写真はその報告です。

コスモス・ススキの背景に霞んで見える山が愛宕山。

田圃は野性の動物対策用の電線で囲まれていて細いあぜ道に入ることはできません。

 

     

 

 

 

 

 


敬老の日に思うこと

2018年09月19日 | 花の写真

息を吸うのも苦しい熱気に辟易としていた9月上旬までの酷暑がウソのような、気持ちの

良いカラッとした暑さを感じる気候になってほっと一息ついています。

 

9月の中旬、「敬老の日」を迎えました。総務省の人口推計によると70歳以上が総人口の

20.7%(国民の約5人に一人)、私が定年退職した20年前の頃の6・9倍です。

百歳以上の方が約7万人、「人生100年時代」という言葉が真実味を帯びてきました。

日本人の平均寿命は年々延びて男性が81.09歳、女性が87・29歳だそうです。

私は82歳、平均寿命を超えたところです。大病をしたわりにはよくここまで生きてこられた

と自慢に思う一方、確実に年齢相応の老いが来ているのを知り落ち込む昨今です。

せめて人様になるべく迷惑をかけないようの、健康にいかに生きるべきかを真剣に考える

年齢になっています。どんなに逆らってみても、忍び寄る年波には立ち向かうことは到底

できないことを痛感した「敬老の日」でもありました。

少し愚痴っぽくなりましたので話題を変えて、私の住む校区の敬老者を祝う行事を紹介

します。と言ってもプレゼントの品物の紹介、お赤飯と和菓子です。

学区内の高齢者は年々増えて、例年通りのプレゼントとお祝いの行事には予算が追い

つかず、プレゼントは対象者を75歳以上に切り上げ単価も下げ、一方「敬老会」の催しも

取りやめるという簡素なものになっています。

一昨年までは「敬老会」の催しが大々的に行われていました。内容は地域にある花街

 (上七軒)のきれいどころの日舞や、フラダンスに幼児・学童・PTAコーラス、中学生の

ブラバン演奏等等々と。小学校の講堂一杯に老人が集まって。

 

私が属する老人会もこのころから活動が活発になり、手始めに「歩こう会」のことから。

16日に、上京区交通安全キャンペーンウオーキングが御所を縦断するコースで行われ、

1学区10人参加の割り当てを超える12人が参加。(雨の中17学区から約150人参加)

18日には全市老人会主催で、一乗寺下がり松から深緑が美しい、閑静な曼殊院、

修学院離宮、赤山禅寺を経て宝ヶ池公園までの約5.5㎞のコースに5名参加。

(全市約200学区から約650人が参加)

写真はまずは交通安全ウオーキングの写真から

(「京都御所」を見学し京都御苑内を縦断するコース、紫宸殿・清涼殿・中庭を見学したのち

堺町御門まで歩き解散)

18日(火)の「洛北修学院方面のウオーキング」、約5・5キロのコースを約650人参加。

今回は季節の花の紹介の写真は割愛します。

 


ブログ再開します!

2018年09月12日 | 花の写真

「草花探訪」と言う題名で毎週水曜日の定期便と決めて5年前から書いてきたこのブログを、

猛暑に耐えられず8月第2週から5週間分休んでいました。

ようやく少し秋の気配を感じ始める気候になりましたので9月第2週の今日から再開します。

 

この夏、それもわずか1っか月余りの期間で、今までに経験をしたことのないことが連続

して起こりました。

暑さも、命に係わる災害だといわれる体温越えの猛暑の連続、それに続いて観測史上最大

台風の直撃、そして台風の後には地震が起こるという言い伝えのとおり、北海道に震度7

という強い地震と。

 

でも、私にとってこれら以上に最も大きな出来事は「師匠」と仰ぐ森先生のご逝去でした。

(写真は向島東中学校開校当時の校長・教頭・生徒指導主任の三本柱)(2016.5撮影)

森先生は1984年(昭59)新設開校したときの校長、その時の教頭が小生。

昭和50年ごろから京都市は都市計画の一環として高層集合住宅の町造りを洛西・向島の

2地域を対象に推進され、向島地域には所得が低い方々を対象にした高層住宅の街づくり。

それまではのどかな農村集落の雰囲気をもつ向島地域の隣に、短期間に突然何千人という

人口が流入してきたののですから新しい街づくりも追いつきません。

昔からの組織ががっちりと固まっている地域の隣に、急きょ町づくりをしなければならない地域

と、異なった二つの校区を抱えての学校づくりでした。

それに自校の生徒たちも約半数が転入生という状況での学校づくりをスタート、勿論教職員も

寄せ集めです。

更にさらに、転入生の中には問題行動での指導歴を持つ生徒も多く、開校と同時に「問題行動

多発校」として市内で最も生徒指導の困難な学校というレッテルが張られてしまいました。

同僚の教職員によく言ったものです。「本校はセブンイレブン校」(7時~11時まで勤務)と。

今振り返ってもよく体がもったものだと思います。その時のリーダーであり同志であった先生

です。経験の少ない若年教職の指導を、私を信頼し認め任せてくださったおかげで力をつけて

生徒・地域から信頼される教師に育ちました。その教師たちが今でも「森先生を囲む会」を

つくり親交を深めています。(2016.5の時の集合写真)

振り返れば5年前に大腸がんを手術されました。その時に肺に転移しているのが発見

されたのですから、よくここまで頑張って生きてこられたものだと敬服しています。

でも寂しいし悲しいし、ショックが大きいです。いろんな出来事があったこの夏の、私にとって

一番の出来事です。

 

最後に、草花探訪の名の通り、毎回季節の花の話題や写真をアップして締めくくることに

しています。台風直撃後の昨日(9月12日)、久しぶりに青空が見えてので植物園に

行ってきました。倒木が多く台風の爪痕が生々しい植物園でした。

青空を背景にパチリ。

 

秋の七草を探してみました。ハギ・フジバカマ・オミナエシのつぼみを。