草花探訪

季節の草花苗づくり

待ちかねたように開花

2018年02月28日 | 花の写真

2週間のTVかじり漬け生活が終わり、今は”ピョン ロス”状態です。

今朝の新聞のコラムに「…今回の五輪でも勝者が敗者の健闘をたたえる場面が多く見られた。

喜びを爆発させる姿も美しいが相手を思いやる姿はより美しく、観る者の心に余韻を残す…」

とありました。まったく同感です。

小平選手と韓国の選手のレース後の言動に代表される名シーン、そしてメダルを取った選

手たちが語った一言一言に、私は心が震えました。

女子カーリング選手たちのどのような状況下でも笑顔を絶やさず発する言葉「だよねー」とか

「もぐもぐタイム」が脚光を浴びています。私は少し違った角度から感銘を受けていました。

一試合2時間余りの間マイクをつけて試合を続けた彼女たち、その発する言葉の中に、仲間の

ミスを指摘したり詰ったり落胆したような言葉がまったくなかったことに。

スポーツをした経験がある人はわかると思うのですがスポーツの世界では、監督コーチと選手、

選手間でも上級生と下級生の間には人格を無視したような、汚い荒っぽい、聞き苦しい言葉が

飛び交うことが今も見られ、時には問題となってマスコミをにぎわせます。

それがこの五輪の中継ではまったくなかった、流石メダリスト、日本代表だと。

 

さてふと気が付けば、この数日の春を迎えたような陽気で、天満宮の梅の花が一斉に咲き始め

春の訪れを知らせてくれます。

今朝も見守り隊で立つ花街上七軒家並みの中にある梅の木が開花しているのを発見。

確か週初めに見た時にはつぼみだったはずなのに。

今までの梅の花のイメージは、寒さに向かいながら何日もかけて少しずつつぼみを膨らませていく

というイメージでした。それが今年はこの暖かさでパッと咲きだしたのに気付き驚きです。

私の好きな短歌、江戸末期の歌人橘曙覧が「独楽吟」で詠っている

「たのしみは 朝起き出でて昨日まで 無かりし花の 咲けるを見る時」を思い出させる心境です。

 

最後に天満宮の梅の花の写真を紹介して今回は終わります。

菅原道真の命日である2月25日、この日に合わせて梅花祭が催されました。上七軒の芸舞妓

がもてなす野点があり約2000人の参拝者でにぎわいました。

私は入場に約80分間かかってヤット椅子席にたどり着きました。お点前をいただいて席を立つ間、

わずか約5分間、写真撮影するための移動もできず、場内係の方たちとは顔見知りであったため

身勝手な行動もできずに終わりました。残念ですが仕方ありません。

舞妓さんの簪に注目してぱちりと。

27日現在の開花状況です。

紙屋川沿いの枝垂れ梅はまだ開花していません。

梅苑はちらほら咲です。「早咲き三分」とありました。入苑料茶菓付で700円です。

境内を取り巻く参道沿いの梅は見頃です。


結果待つまでハラハラドキドキ

2018年02月21日 | 花の写真

平昌五輪真っ只中、メダルラッシュの日本選手の活躍で81歳の老人の心が躍ります。

私はTVで放映されるメダリストの活躍の瞬間を、何度も何度も見ては感激しています。

それに「今までの自分の出来では最高」「これまでの選手生活、私は人に恵まれてきた」

「支えてくださった方々のおかげ」等々インタビューで語るその一語一語にも。

実は私は小心者なので、ライブの実況をハラハラドキドキしながら観戦しながら結果を知る

よりも、結果が分かってから安心して見ることにしています。それも一度でなく繰り返し同じ

場面を。でもその都度喜びも感動も同じように十分味わえています。

 

さて、結果が気になるといえば、五輪が始まる少し前から2月中旬までの約2週間、

私は女房の精密検査とその後の再検査の結果が非常に気になりながら過ごしていました。

私も女房も既往症持ち、ずっと定期的に精密検査を受けてきているのですが、女房は

1月末の検査(鞍馬口病院)で引っかかり、そこでは検査機器がない検査をする必要が

あるということで京都府立病院で再検査を受けることになったのです。

女房は当初は「狭心症の疑い」だと話していたので私もあまり気にしていなかったのですが、

府立医大病院で受けた検査を詳しく聞いて、かって私が癌治療時代に経験した検査と幾つ

も重なっているのに気付き心配が急増していきました。

「ひょっとして癌では?、それも進行しているのでは?」と気になったのです。結果が

出るまでは悪くは考えまいと思い、早朝ウオーキングの途中、菩提寺に立ち寄りひたすら

何事もないことを祈り、お寺だけでなく道々立ち寄る神社にも手を合わせていました。

検査の事には極力触れず、毎食事中、当たり障りない話題を語りあうようにして、食欲の

状態を観察し、必ず好物のスイーツも準備して食べ具合を見たりと。

毎食の食材を自分なりに献立を考えてスーパーで購入して来るなど、自分としてはこまめに

動き、気を使って過ごした2週間でした。

結果は「異状なし」。ハラハラドキドキの2週間が過ぎたところです。今は日本の選手の活躍で

ハラハラドキドキ。

 

春の足音が近づいてきたように感じますので、最後に植物園での「早春の草花展」で出会った

花をいくつか紹介して終わりにします。

まずは子どもの頃、すぐそばで見つけて摘んだ思い出がよみがえる花から。

上からナズナ・ネコヤナギ・ツクシ・フキノトウの4枚

次は「山の春」を楽しめる素朴で可憐な花たち。昔は近くの野山で見かけたはずの花。

コセリバオウレン・ヒトリシズカ・バイカオウレン・セツブンソウ・フクジュソウ

最後にコブシとマンサク、そしてチューリップ。

 


ジーンと、ウルッとして

2018年02月14日 | 花の写真

今日14日はバレンタインデー、つい先ほどの朝の見守り隊活動で見知らぬ老婦人から、

小さなチョコのプレゼントがありました。「寒い中、いつもご苦労様です」との言葉を添えて。

予期せぬ出来事でした。一瞬ポカンとしたのち、胸に熱いものを感じたばかりです。

81歳のおじいなのに、今年ももうすでに他からチョコやお酒などプレゼントはいくつも届けられて

いるので、プレゼントされるることになれている?私のはずなのにグットきました。

プレゼントにだけではありません。歳のせいだと思うのですが近頃ウルットきたりジーンしたり

することがよくあります。といっても感情多感になったのではなく、ちょっとしたことでも涙もろく

なる老人特有の現象だと思うのです。

最近の出来事では小学生の「大文字駅伝」の写真撮影で。

小6の子供たちの力走ぶりにそして道路いっぱいに集まってる応援の保護者や子たちの

黄色い歓声に、ぐっときたところです。

(大都市の公道を小学生が、パトカー・白バイを先導にテレビ中継車も一緒になってレースを

中継する、そのような駅伝大会は京都市だけのもの)

写真はスタートして約500m走ったあたり、平野神社北西角を過ぎたあたりの様子。

トップ集団の選手たち、今年はしっかりと呼吸を整えペース配分を考えて力走していました。

どの顔もやる気満々、いい表情だ。

金閣寺方向に向かって一団となって力走、最後尾には救護車や白バイがついて。

 

冬季五輪の真っただ中です。昨日の高梨選手のコメントには泣かされました。

これからも熱戦に涙し、インタビューを聞いて涙することでしょう。

私の予想では(スキーの複合、スケート男子フュギア、女子スケート500m・パシュート)で

2個以上の金メダルをゲットすると。

 

いつもブログの後半は季節の花の情報と写真で締めくくるのですが、予定していた北野天満宮

の梅の花が、2月中旬になってもほとんど開花しません。一応「史跡御土居の梅苑」は有料公開

されていますが「一部チラホラ咲き」です。

そんなわけで境内での数少ない花をつけた木の様子の写真です。

最後の最の蛇足、私の近況報告です。

13日に市老連主催のウオーキングに翔鸞学区から7人参加しました。

(全市からは約500名の参加)

コースは松尾橋~嵐山~亀山公園~釈迦堂~天龍寺(約6.5㎞)、約2時間かけて。

下の写真はデブのジジイ、年老いたわたしです。


節分過ぎても梅咲かず

2018年02月07日 | 花の写真

暦の上では「立春」も過ぎたのに、数年に一度の寒波と言われる寒さが、それもたて続けに

3度もやってきました。

毎年この頃には有料公開される北野天満宮の梅園の梅50種約1500本の開花も遅れ、

今年の公開は9日からだそうです。

カメラをぶら下げ、一本一本つぼみの膨らみ加減を観察するのが私の楽しみでしたが、

残念ながらこの寒さでほとんどの木はつぼみ固しの状態。ヤット写真になりそうな枝を

見つけて写したのが下の2枚です。

81歳、もうこの年齢になれば体力的に弱ることは仕方がないとあきらめています。

でも体力だけでなく気力もなくなっていくのです。

2~3年前までは少々の寒さでも毎日のように小さなデジカメをぶら下げて近郊を

歩いたものです。それが今年は近くの喫茶店でコーヒーをのみ書店に立ち寄って

ぼんやり本を眺めることの方が多くなっています。歩こうという気力が減退しています。

残念ですがどうしようもありません。

でも、本屋さんに出入りしてよいこともあります。

先週のブログで「ボケずに元気で80歳」の本に出会ったことを紹介しましたが、今回も一冊紹介

したい本があります。「漫画 君たちはどう生きるか」です。

漫画の単行本を自前で手にするのは多分二十数年前の入院以来です。

(数か月間の入院生活で退屈だろうと、当時の同僚であった教師たちが見舞いに来るたびに

「美味しん坊」「釣りバカ日記」を差し入れてくれたあの時以来)

この本の原作は児童文学者吉野源三郎氏で1937年刊行です。

教師になり立ての二十歳代の頃、私は体育の教師になったうれしさで体育科教育に没頭し、

「荒れた学校」勤務でしたので非行に走る生徒を何とかしたいと日夜走り回っていたていました。

それで遣り甲斐を感じ自己満足していました。

何年か過ぎ、ふと自分を振り返った時、生徒たちに「生きるとは?」「人間としてのあり方は?」

とか問われたときに何の見識も知識も持ち合わせていない自分に気づき、自分を小さく感じ

劣等感を抱き悩んだときが続きました。

その時手探りで片っ端から読んだ本の一冊です。

若かった未熟な自分のことを懐かしく思い返してくれました。有難い本(マンガ本)です。

 

最後に今回のブログの締めくくりは北野天満宮の「節分の豆まき」風景の写真です。

神楽殿での「狂言」「日本舞踊」の奉納の後、数百人の参拝者に紙袋に入れた豆を蒔きいれた

様子です。