草花探訪

季節の草花苗づくり

平成もあとわずか

2019年04月24日 | 花の写真

平成時代もあと数日で終わ「令和」の時代に入ろうとしています。

 

昭和11年生まれの82歳の私は「昭和・平成・令和」の三世代にわたって生きること

になります。

振り返れば(昭和64年)1月7日昭和天皇が崩御されたときは、校長に着任した最初

の年度でした。今とは真逆で世間は年末年始のにぎわいもなく、自粛ムードに支配

されていました。

,学校も崩御された場合に即対応できるようにと、重苦しく暗い空気に支配された

中での三学期の準備に取り組んでいたことを、つい先日のように思い出されます。

 

あれから30年余りが経過しました。その間管理職を12年間務めました。

そのほとんどが生徒指導困難学校とレッテル張られる学校勤務でした。

幸いにも協力的な教職員と保護者に恵まれて困難を乗り越えることができました。

一方、在職中にがんを患い生命の危険にさらされる闘病生活も経験しました。

これも幸いなことに乗り越えることができました。

 

退職後今日までの20年余り、好きな花作りや下手な花の写真撮影にと趣味にも

取り組めました。また老人会の世話を通してちっぽけなボランティア活動にも

関われました。

あと数日で平成31年から令和1年に変わります。幸いな平成時代が過ぎようと

しています。

 

さて、これからの新元号時代「令和」をどう生きようか、思案のしどころです。

でも、いくら考えても実年齢が減って若返るわけではありません。

だから生きていることをありがたいと受け止めて、とにかく健康に老いることに

努めることにします。

幸い私達夫婦とも、現在は介護も身辺の世話も必要にせずに暮らせています。

体が疲れやすくなったり無理ができなくなったりと日に日に老化を実感しながら、

でも、このままゆっくりゆっくり老いていき、夫婦助け合って自力で暮らして

行けるよう頑張ります。元号が替わるのを契機に老人の決意です。

 

長々と駄文をつづってきました。最後の締めは今週出会った花の紹介です。

まず最初は「なからぎの枝垂れ桜」です。

続いて平野神社の風景と里桜達です。

「突羽根」桜 平野神社が原木。

「妹背」桜 一つの花におしべが2つあり果実が2つつくことから仲の良い

二人の意味の「妹背」と内容づけられた...平野神社を代表する銘木。

「御衣黄」桜 花は珍しい淡い緑色で八重咲

「白雲」桜

この桜は本殿左側に植えられ、てまりのように丸く花が集まり、木全体を覆う

美観が人気となっている花木。

 

3月下旬に枝垂れ桜「魁桜」「糸桜」を紹介したのを皮切りにソメイヨシノ桜、

八重枝垂れ桜、御室の桜等を紹介してきました。今回で桜シリーズは終わりです。

 


春の終わりを知らせる桜

2019年04月17日 | 花の写真

教師になった時の最初の教え子のグループから先日、突然のうれしいお誘いが

ありました。今回はその報告から始めます。

彼女たちとの出会いは修学院中学校、体育の非常勤講師の時です。

60年前の、わずか1年弱の短い期間のバレー部のコーチと部員の関係でした。

 

私が大学卒業した昭和34年度は、不運不幸にも京都府教員採用試験が実施され

ませんでした。他府県の採用試験を受けるか一年間浪人生活をして翌年の

京都府の採用試験にかけるしか道はありませんでした。

私は仕方なく腰掛けの気分で引き受けた非常勤講師の働き口が修学院中です。

報酬は1時間あたり300円、正規教員並みの週20時間受け持ってもわずか

月収6000円、当時の新採教員の給料が約11000円でしたから約半分でした。

身分保障もなく収入も少ない状態でしたから希望に燃えていたわけでも

ありません。

一方、今も昔も同じと思うがクラブ顧問を引き受けてくれる教師がいないと

部は成立しません。

当時、バレー部顧問を引き受ける教師がおりませんでした。彼女たちはやっと

技術指導をしてくれる人がいれば名目顧問を引き受けてもよいという教師を

見つけ、名目顧問になってくれるよう口説き落としていました。

その経過を私は職員室の片隅で見ていました。その熱意にほだされて引き受け

たといういきさつがありました。このような出会いでのわずか1年足らずの

出会いです。

それなのに半世紀以上も年月が経過してもなお忘れずに安否を気にしてくれて

いることにありがたさと嬉しさを感じていました。

 

彼女たち5人、それぞれが平たんな人生の道を歩んできたのではなさそうです。

五人のうち夫婦そろって健在なのは二人、三回忌法要を済ませたところと

いう人が二人、でもお互いの現況を語る言葉の端々に力強さと自信を感じていました。

すごいです。

 

さて、後半はさくら情報です。

京都の春の終わりを飾る花といわれる「御室の桜」です。

開花は染井吉野桜より一週間から十日ほど遅く開花します。

桜は一般的に樹高がたかいのですが御室の桜の特徴は樹高が低く、根元から

低い枝にもいっぱいの花をつけるのが特徴です。

中門をくぐってすっぐ左側一帯に植わっています。

パンフレットには「湧き上がる雲のように目に飛び込んできます」と。

残念なことに現在は五重塔の普請中で工事足場が景観を遮っています。

訪れたのが12日の午前中、今春は開花が遅れこの時期で「五分咲き」。

でも観桜客であふれていました。

桜林の中は人込みでいっぱい、カメラをゆっくり構えることもしにくい状態。

でも、講堂や鐘楼あたりは人影まばら、ミツバツツジが満開でした。

ミツバツツジの花びらも。

参道から仁王門を望む。

 

 


入学式に桜満開

2019年04月10日 | 花の写真

京都市立小・中学校では4月8日が入学式でした。

毎年地域の団体の長の一人として参列していたのですが、今年から役もおりて

出席しなくてもよくなりました。ぶらりとカメラをぶら下げて写真撮影と。

校門に咲く桜の下で記念写真に納まるピカピカの1年生、カメラ構える親御さん

の顔も喜びにあふれていました。

毎年見慣れる光景ですがとりわけ今年は青空の下で桜が満開という好条件でした。

 

なぜ学校に桜の木が植樹されているのかについて少し述べておきます。

私の住む地域の小学校(翔鸞)は、全国に先駆けて明治2年に設立された

「番組小学校」64校の中の一つです。今年は百五十周年を迎える記念の年

でもあります。

「京の学校歴史探訪」によると、明治40年に小学校令が改正されて義務教育

が6年間になりました。1学年の期間も4月から翌年3月までと定められました。

児童数に合わせて運動場の広さ、教室の面積等の基準が示され、現在ののような

校庭・校舎・運動場の原型が出来上がったのが明治40年ごろというわけです。

勿論広くなった学校敷地へ植樹が進められました。

それと合わせて、明治40年ごろといえば日本は日露戦争に勝利した直後です。

祝勝記念としてソメイヨシノ桜の木の植樹が全国各地で行われました。

入学のころに咲く花である桜は重宝がられ、学校にもソメイヨシノ桜の木の

植樹が進められたのです。

82歳の私、小学校入学は昭和18年4月、第二次大戦の真っただ中でした。

それでもまだランドセルはありました。ランドセルを背負ってご近所の友達と

入学式に行ったころの喜びの記憶は今も残っています。懐かしい思い出です。

 

さて、後半は桜の花の写真です。

先週はソメイヨシノ桜、その前の週は一重咲枝垂れ桜でした。

今週は「紅枝垂れ桜」中心にと思い二条城と退蔵院の桜を中心に投稿します。

まずは世界文化遺産元離宮二条城の桜です。訪れたのが4月7日、枝垂れ桜の満開

とはいえず、訪れたのが少し早いようでした。

東南隅櫓とソメイヨシノ桜。

東大手門とソメイヨシノ桜

二の丸御殿入ったところ、唐門のところの八重桜と。

二の丸庭園の桜

西側外堀横の枝垂れ桜は3~4分咲といったところ

北大手門あたりに通ずる道は人でいっぱい

退蔵院は4月9日に訪れました。お目当ての紅八重枝垂れ桜は5分咲。

観桜客はウイークでの午前中なのに多く、カメラスポットには人の姿が。

 

この数日、毎日のように自分勝手にカメラをぶら下げ外出していました。

罪滅ぼし?にと投票の帰り道、近所の平野神社へ出かけたのでついでに

一枚追加。

 

 

 


染井吉野開花

2019年04月03日 | 花の写真

京都でもほぼ例年通り、先月27日にソメイヨシノ桜が開花しました。

私はこの時期になると「さまざまのこと 思い出す 桜かな」(芭蕉)の句を

懐かしく思い返します。そして必ず訪ねる場所があります。

そこは鴨川に架かる荒神口橋です。(今春は2日、開花し始めたところでした)

最初にここを訪れたのはもう26年も前のことになります。

確かその時も今年と同様、気温が低く桜も開花し始めて間もなかったと思います。

 

26年前の2月初め、血液のがん「悪性リンパ腫」が見つかって京都府立病院に入院、

3月1日に外科手術で腫瘍を取り除くことができました。

手術後の経過もよく、次のステップ抗がん剤治療が始まるとき、当分は病棟

から出られないことを伝えられました。

当時は「がんイコール死」という知識に支配されている頃でしたから、完治し命が

助かるという見通しも持てない、暗い不安な気持ちで暮らしていました。

主治医からは楽観的な見通しのある説明は一切ありません。

そのような時、特別外出許可をもらって眺めた桜咲く風景がここなのです。

幸いそれから26年間、よく生き延びてきたものだと我ながら自慢に思います。

だから、ここに来るのは桜を鑑賞するというよりも、この一年間、元気で過ごせた

ことを感謝し、今年も頑張ろうという気持ちを新たにするためです。

それから桜の写真を写しに自転車を走らせる私です。

 

さて、これからの文と写真は桜の花のことに移ります。

前回は「枝垂れ桜」でした。今回は「ソメイヨシノ桜」です。

自宅の近辺を歩けばすぐに目に入ってきます。京都は町中どこでも

桜の名所といっても過言でないと思います。

まずは北野歌舞練場の庭に咲く染井吉野です。

「北野をどり」の開幕に合わせたように3月末には満開です。

一条御前通近くの宥清寺と立本寺のソメイヨシノ桜。

寺之内通堀川東の妙蓮寺と妙願寺の桜。

嵐電沿線の鳴滝付近の桜のトンネル.

竜安寺と平野神社の桜。

染井吉野桜は江戸時代末期、江戸の染井村の植木職人がオオシマサクラと

エドヒガンサクラの交配種として作られたらしい。

それが日本中に普及したのは「成長が早く10年もすれば立派な成木になる」

「花が大きめで花つきが良く見た目が豪華」「花が先に咲き後から葉が出る」

ことらしい。

入学式・年度替わりの区切りの時など、いろいろと節目のころに咲くこと。

パッと咲きパッと散る姿に「武士道の潔さ」を投影して、自己犠牲のシンボル

として多用された等々。

4月早々の冷え込みで満開の花が入学式まで持ちそうで喜ばしい。