竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

武蔵の国

2011-07-16 10:55:39 | 日記

6月前半走っているうちに右足の太ももの裏が痛くなりました。以来歩いたり走ったりを繰り返して痛みが完全には消えないので、7月いっぱいは歩くことに決めました。いつもの玉川上水緑道を歩くだけでは飽きるので、国分寺公園や府中の大国魂神社まで足を伸ばしています。

 小平市は江戸初期の玉川上水開削以来の分水により、新田開発が進んところで、それまでは広大なススキの原が続いていました。でも南の国分寺には多摩川の河岸段丘の国分寺崖線があり、そのすぐ南に武蔵国分寺が作られました。さらに南、多摩川の近くに武蔵の国府が置かれ、大国魂神社が残されています。

国分寺崖線(ハケ)からいくつもの湧水がでています。野川の水源もここですし、真すがたの池や姿見の池も湧水から生まれています。写真は姿見の池。

写真は現在の国分寺、境内に万葉植物園があります。

 
武蔵国分寺の跡は今も発掘が続けられており、国分寺崖線を越えた北側には昔の東山道武蔵みちの跡が残されています。7世紀後半に作られたようです。写真の左右の色の変った部分は側溝の跡、道幅は12メートルもありました。
 
かってこの道を大宰府に向かう東国の防人たちが通り、まつろわぬ民蝦夷の住む陸奥に向かう大和朝廷の軍勢も通過していったことでしょう。大国魂神社のけやき並木。源頼義、義家父子が陸奥に向かう途中寄進したと言われます。遠野には義家に敗れた安倍貞任にまつわる伝説が沢山残されています。カッパ淵のそばにも貞任の屋敷跡があります。
写真は大国魂神社のけやき並木。
 

明日から遠野に向かいます。我がアパートに住むドイツ人の青年も昨日日本財団の学生ボランティアで気仙沼に向かいました。彼は最近家内の英語の先生もしてくれていて、仲良くなりました。日本にはもう五年滞在して最近博士論文を出して審査を受けたばかり。なかなかの勉強家です。 


 


7月13日(水)のつぶやき

2011-07-14 02:34:01 | 被災地ボランティア
15:42 from ついっぷる/twipple
http://p.twipple.jp/3VTSp 玉川上水の緑道の脇に、前見たときはもじゃもじゃモヤシのような芽が生えていました。今日は花が咲いています。ランの花のようです。家で調べたらマヤランでした。ギンリョウソウのような腐生植物。初めて見ました。玉川上水の自然、貴重ですね。
15:46 from ついっぷる/twipple
http://p.twipple.jp/a4Nv4 カラスウリの花。赤い実もいいけれど花も素敵です。
16:00 from ついっぷる/twipple
http://p.twipple.jp/JzyEm 一番早く咲く萩、マルバハギでしょうか。萩の花を見ても秋を感じませんね。毎日暑いこと・・・・
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7月12日(火)のつぶやき

2011-07-13 02:26:56 | 被災地ボランティア
11:36 from ついっぷる/twipple
http://p.twipple.jp/DHzZd 姿見の池。今朝は池の上をカワセミが飛んだ。近くの日立中央公園にもっと大きな池があるので、そこから飛んできたのか。4時半スタートして2時間半ほど歩き、朝食後庭の剪定草刈を昼近くまでやるのが最近の日課、2回汗をかくけど爽快。
11:43 from ついっぷる/twipple
http://p.twipple.jp/5u2TQ 今カモのつがいがいるこの姿見の池は流れ込む水が減って昭和40年代に埋め立てられてしまった。平成10年から元の池を復元させる活動が始まっている。高度成長期に経済効率第一主義で失ったものは多い。江戸の象徴日本橋など。
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7月9日(土)のつぶやき

2011-07-10 02:28:13 | 被災地ボランティア
09:47 from ついっぷる/twipple
http://p.twipple.jp/Lt7uK  国分寺恋ヶ窪の姿見の池湿地のミソハギ。武蔵野は湿地が少ないので、小さな姿見の池も貴重です。
09:50 from ついっぷる/twipple
http://p.twipple.jp/FCaf3 国分寺公園の昆虫を保護している草むらのキキョウ。植えたのが野生化しているのかもしれません。でも野に咲く花は一層きれいです。
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7月8日(金)のつぶやき

2011-07-09 02:29:31 | 被災地ボランティア
04:12 from ついっぷる/twipple
http://p.twipple.jp/BFa42 武蔵の国歴史散歩-1 東山道武蔵みちの写真です。7世紀後半に作られたようです。写真の左右の色の変った部分は側溝の跡。道幅は12メートル。この道の先に武蔵国分寺、国分尼寺があり、武蔵の国衙跡、でもある府中の大国魂神社があります。
04:24 from ついっぷる/twipple
武蔵の国歴史散歩ー2 http://p.twipple.jp/3GGSa 真すがたの池。武蔵みちのわきの国分寺崖線のハケからの湧水から生まれた池。武蔵国分寺もすぐそばです。かってこの道を大宰府に向かう東国の防人たちが通り蝦夷のすむ陸奥にむかう大和朝廷の軍勢も・・・
04:32 from ついっぷる/twipple
武蔵の国歴史散歩ー3 http://p.twipple.jp/hbtUK 現国分寺、境内が万葉植物園になっています。12m幅の道路は今の高速道路のようなもの、文明が東へ向かう通り道、平和な縄文文化を生きていた蝦夷の人々に大和朝廷が襲い掛かります。
05:04 from ついっぷる/twipple
武蔵の国歴史散歩ー4 http://p.twipple.jp/C9zJf 大国魂神社の天然記念物けやき並木。源頼義、義家父子が陸奥に向かう途中寄進したと言われる。遠野には義家に敗れた安倍貞任にまつわる伝説が沢山残されている。カッパ淵のそばにも貞任の屋敷跡といわれる場所がある。
08:47 from ついっぷる/twipple (Re: @yuugijinn_t
@yuugijinn_t 我が家から散歩をすると恋ヶ窪を通って国分寺公園に行きます。近くに日立中央研究所があり、庭園内に野川の水源があります。秋の庭園解放日は11月20日、行ってみたいと思います。平家源氏と武士団の棟梁が天皇家の一族を名乗るのはなぜか、まさか騎馬民族の流れ?
08:58 from ついっぷる/twipple (Re: @kuntoan
@kuntoan 東北の人たちにとっては大和朝廷の進出は津波のようなものだったでしょう。今の原発自体も津波のように・・・・ボルネオのペナン族も南米のナンビクワラ族も津波のような現代文明に蹂躙されています。人口減少、高齢化のすすんだ三陸地方に大津波が襲いました。大きな試練です。
09:31 from ついっぷる/twipple
http://p.twipple.jp/FsTVf 玉川上水の夏の花。ノカンゾウ、少し遅れて八重のヤブカンゾウも咲いています。山百合は今年は少ない気がします。
09:33 from ついっぷる/twipple
http://p.twipple.jp/PZ6td オカトラノオ限られた場所にしか咲いていません。立派な花をつけています。
09:38 from ついっぷる/twipple
http://p.twipple.jp/XVtLH チダケサシ、洋花のアスチルベそっくりです。掛川の山村ではめずらしい花なのに、ここにはふんだんに咲いています。
21:16 from ついっぷる/twipple (Re: @sachino_senmaya
@sachino_senmaya ありがとうございます。東京にいると種切れ気味です。
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7月7日(木)のつぶやき

2011-07-08 02:30:55 | 被災地ボランティア
03:18 from ついっぷる/twipple (Re: @kuntoan
@kuntoan 本名を表示し、プロフィールも変えました。歩くのはいいですね。世界をはっきり見るには歩くのが一番いいのかもしれません。今後ともどうぞよろしくお願いします。
03:25 from ついっぷる/twipple
静かに雨が降っています。原発のない世界、戦争のない世界にするためにはどうしたらいいのか。東日本大震災という途方もない自然災害を目の当たりにして、その後片付けをしながら、考えて行こうと思っています。
10:12 from ついっぷる/twipple (Re: @gutwegsoejima
@gutwegsoejima 走るとまだ足が痛いので歩くことに決めました。近所の歴史散歩をしています。4キロほど歩くと旧国分寺の遺跡があります。国分寺崖線のハケからの湧水群を利用していたようです。真すがたの池や姿見の池など最近整備が進んでいます。近頃の小平の楽しみです。
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7月5日(火)のつぶやき

2011-07-06 02:32:31 | 被災地ボランティア
09:17 from goo
遠野足湯ボランティア その3 参加する人々 #goo_kodairagakuen http://goo.gl/GZ8lv
17:37 from ついっぷる/twipple (Re: @kuntoan
@kuntoan フォローありがとうございます。前は富士山や草花の写真をせっせとアップしていましたが、震災以来mixiもtwitterもご無沙汰気味です。いずれまた状況が変るでしょう。どうぞよろしくお願いします。
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遠野足湯ボランティア その3 参加する人々

2011-07-05 09:12:26 | 被災地ボランティア

最終日の夜男子の部屋で、遠野昔話の語り部さんの昔話がありました。80近い品のいい女性が昔話を語ってくれました。おしらさまの話や寒戸(さむと)の婆さまの話など、前にも読み、聞いたことのある話でしたが、何べん聞いても引き込まれます。昔話ってそういうものでしょうね。
遠野で出会った花達、どれも栽培種なので名前が分かりません。

 
この企画を立ててくれたのは台湾人の留学生陳さんでした。彼は足湯ボランティアに何回も参加しているようで、事務局その他顔なじみが多いのです。二日目の夕方、駅前の観光協会で4時まで昔話を聞けるので、何人かに聞きに行かないかと誘ったら、陳さんがボランティアの語り部さんに来てもらえるといって、電話してくれました。その日は相手の都合が悪く、帰る日の夜7時からになったのです。帰るバスは10時出発ですから少し余裕があります。
 
話が終わった後で陳さんがお礼にとお菓子の箱を渡していたので、私にも出させてくれといったら、事務所の義捐金の箱に入れて下さい、と言われました。参った!自分では昔話の内容はよく分からないと言っていました。陳さん、前にも部屋の掃除の分担を決めるとき、自分から便所の掃除をやるって手を挙げました。年齢は30前、ひどく太った人ですが、心の働きからだの働きともに、群を抜いた若者でした。
 
参加者には足湯は初めてでも災害ボランティアを経験した人が多く、進んで働く人ばかりでした。若いけど近所の世話焼きのオバサンになりそうな人が目立ちます。こういう経験をしていると一度現地を離れても、時間があればまた来たくなります。ボランティアの仲間達の暖かい雰囲気が忘れられないのですね。
 
私も毎月岩手に来るつもりですから、日本財団の足湯ボランティアが続いている間はこのルートで来ることにしました。お盆過ぎまではやるようです。

カワラナデシコに似てますね。
 
7月17日から7月21日の朝まで遠野足湯ボランティアに参加し、21日の夜から25日の朝まで気仙沼の足湯ボランティアに参加します。ボランティアって人のためと言うより自分のため、自分が新しい体験をすることなんですね。遠野まごころネットでは阪神淡路大震災以来のリピーターたちが中心になっています。本当に被災者のためを考えている人たちも多いでしょうが、私のような自分のためにやっている人も多いのじゃないかと思います。魅力的な人たちがいる魅力的な世界です。


遠野あしゆボランティアその2、足湯ってなに?

2011-07-02 13:35:03 | 被災地ボランティア

二日目は天気が良かったのですが、田圃その他水を含んでいるので一般作業は中止、足湯ボランティアは陸前高田で行われましたが、私は三日目の釜石での足湯に振り分けられました。この日の作業はまごころ寮の周りの草刈り、テントの物資の整理など、午後2時ごろまでに片付きました。その街に出かけました。かって柳田國男が滞在した高善旅館が「とおの昔話村」になっているので、そこで映像や音声で昔話を聞きました。
この奥がとおの昔話村
 
三日目いよいよ釜石体育館の避難所での足湯ボランティアです。ここで足湯ボランティアについて説明します。被災者の中の希望者に足湯に足をつけてもらい、10分から15分、左右の手をもんだりさすったりしながら話を聞きます。手をもんだりするのは被災者に近づいて話を聞くためです。そして今被災者が必要としていることなどを聞いたりします。ボランティア活動は基本的に被災者のニーズに合わせて行われるものですから、被災者のニーズを聞くのも大事な仕事です。被災者にとっても縁もゆかりもない人に対する方がいろいろな思いを話しやすい一面もあります。かなり重要な精神的支援の一つになっているようです。
大工町の木造歩道
 
災害ボランティア活動としての足湯は17年前の阪神淡路大震災に始まり、中越地震(2006年)、岩手宮城内陸地震(2008年)、新燃岳噴火災害(2011年)と災害のたびごとに行われてきています。
 
私がなぜ足湯を?65歳までの5年間、デイサービスに勤めて来ました。そのときの大切な仕事の一つは利用者さんの話を聞くことでした。その辺の間合いの取り方は体に沁み込んでいます。今の状況で私が少しでもお役に立てるとしたら、話の聞き役なのかもしれません。
 
釜石の体育館の広い玄関の屋根の下にシートを引いて足湯をする人たちのための椅子を三脚並べます。後方には待つ人たちの椅子が並びます。椅子の前にタライを置き、水と熱湯をいれたバケツもそばに用意します。プロパンガスで大きな鍋に湯を沸かして、湯を補充します。いろいろ準備をして午後1時から3時まで足湯をします。足湯をした人は21人、ボランティアは8人、一人2,3人担当します。
足湯の看板
 
私が最初に担当したのは70歳の女性、避難所にたまたま同級生が3人集まって、そろって足湯に来ました。担当した人は前日に爪を塗るボランティアの人に両手の爪を塗ってもらったといって、きれいな爪をして嬉しそうでした。他の二人は歳なのにとちょっと批判的でしたが、きれいな爪っていいですよね。もともと明るい人のようでしたが、人前では楽しそうに振舞っていました。
 
もう一人は40代の女性、知的で都会風の美人です。海沿いに住んでいて家は流され、家族は必死で逃げて助かりました。でも夫の母親が死亡とのことでした。避難所にいる人たちはみなさん精神物質両面で深い傷を負っています。私達に出来ることはほんのわずかなことですが、
皆さんが元気になるお手伝いが出来ればと思います。