竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

遠野足湯ボランティア その3 参加する人々

2011-07-05 09:12:26 | 被災地ボランティア

最終日の夜男子の部屋で、遠野昔話の語り部さんの昔話がありました。80近い品のいい女性が昔話を語ってくれました。おしらさまの話や寒戸(さむと)の婆さまの話など、前にも読み、聞いたことのある話でしたが、何べん聞いても引き込まれます。昔話ってそういうものでしょうね。
遠野で出会った花達、どれも栽培種なので名前が分かりません。

 
この企画を立ててくれたのは台湾人の留学生陳さんでした。彼は足湯ボランティアに何回も参加しているようで、事務局その他顔なじみが多いのです。二日目の夕方、駅前の観光協会で4時まで昔話を聞けるので、何人かに聞きに行かないかと誘ったら、陳さんがボランティアの語り部さんに来てもらえるといって、電話してくれました。その日は相手の都合が悪く、帰る日の夜7時からになったのです。帰るバスは10時出発ですから少し余裕があります。
 
話が終わった後で陳さんがお礼にとお菓子の箱を渡していたので、私にも出させてくれといったら、事務所の義捐金の箱に入れて下さい、と言われました。参った!自分では昔話の内容はよく分からないと言っていました。陳さん、前にも部屋の掃除の分担を決めるとき、自分から便所の掃除をやるって手を挙げました。年齢は30前、ひどく太った人ですが、心の働きからだの働きともに、群を抜いた若者でした。
 
参加者には足湯は初めてでも災害ボランティアを経験した人が多く、進んで働く人ばかりでした。若いけど近所の世話焼きのオバサンになりそうな人が目立ちます。こういう経験をしていると一度現地を離れても、時間があればまた来たくなります。ボランティアの仲間達の暖かい雰囲気が忘れられないのですね。
 
私も毎月岩手に来るつもりですから、日本財団の足湯ボランティアが続いている間はこのルートで来ることにしました。お盆過ぎまではやるようです。

カワラナデシコに似てますね。
 
7月17日から7月21日の朝まで遠野足湯ボランティアに参加し、21日の夜から25日の朝まで気仙沼の足湯ボランティアに参加します。ボランティアって人のためと言うより自分のため、自分が新しい体験をすることなんですね。遠野まごころネットでは阪神淡路大震災以来のリピーターたちが中心になっています。本当に被災者のためを考えている人たちも多いでしょうが、私のような自分のためにやっている人も多いのじゃないかと思います。魅力的な人たちがいる魅力的な世界です。