16日から掛川に来ています。暦の上では冬ですが、感覚としては晩秋、このあたりの山も色づいて来ました。
空は青く晴れ渡り清々しい日が続くようになりました。こんな時の掛川での一人暮らしは最高です。
リュウノウギク 野菊の中で菊らしい菊です。
こんなことを言うと、小平の家内にすまなくはないの?と言われそうですが、実は家内も一人暮らしを喜んでいます。たとえ夫婦でも少しは気を使いますから、毎日を自分のためだけに使う一人暮らしはとても充実しているようです。
コウヤボウキ
今日はめずらしく本の紹介をします。小平の図書館で歴史書を眺めていてこの本を見つけました。書評でもお目にかかったことはない初めて見る本で、人類の歴史を進歩、として見るという今時かえってめずらしい立場の本です。
実は私自身は若い頃から進歩史観に反感を持っていました。指導教授の鈴木成高先生の影響もあるでしょう。最近でもボルネオのプナン族や、ブラジルのナンビクワラ族のような狩猟採集の少数民族に関心を持ってきました。それらの民族は生活環境の熱帯雨林の伐採が進み、民族としては滅びようとしています。
リンドウ
彼等の生活には現代文明とは方向の違う深い叡智が満ちているともいえますが、彼等の生活環境をたとえ守れたとしても、彼等の子供達をそのままにしておいていいのか、一旦現代文明と接触した以上医療や教育の機会も与えられなければなりません。それは結局彼等の古来の生活を捨てることになり、その結果現代のそれも最下層に加わることになるでしょう。
狩猟採集の生活と言っても自給自足ではありません。プナン族の見事な背負い籠も物々交換用で、周りの民族から塩や鉄などを手に入れる手段です。彼等が移動生活をしているのもそこに追いやられたからなのかも知れません。彼等も新しい事態に対応していかなければないでしょう。
コウテイダリヤ 地元の人たちが川岸で育てています。
私たちは否応無しに現代のグローバリズムに巻き込まれていきます。竹細工もその流れの中で消えていこうとしています。
でも人は手先を使って物を作り出すのが大好きです。現代社会の中で人間のもっとも古くからある技術を体験することは、ともすれば見失われかねない人間の全体性を体験するものとして、スポーツと同様大切な意味を持つと思います。
さてこの本は原題がRational Oputimist 合理的楽観論者というもので、この方が内容をよくあらわしています。人類の歴史を交換と分業と言う視点から分析し、将来に対する堂々たる楽観論を展開しています。
公民館の前のイチョウの木。誰も銀杏を拾いません。
本の中で何度も出てきますが、自給自足は貧困化以外のなにものでもない、人は交換によって豊かになり、分業によって余暇時間を獲得する、それが豊かさを産んでいくという主張は説得力があります。
さて私にはなんでも自分の手でやりたがる傾向があります。最近でもフローリングの張替え、壁紙の張替え、庭の植木の手入れなど、いつも結構忙しくしています。本当は専門家に任せた方が出来栄えもいいし、楽なのですが、収入が低いのでお金を掛けたくない。貧乏だから自分でやるのか自分でやるから貧乏なのか、ちょっとわからなくなります。
でも自分で手をかけてやるのが好きなんですね。これは性分だから仕方がない。でもそれを貧乏性というのでしょう。
写真の中央の家が私の家、下の家が杉を何本か切ったので対岸の山から見えるようになりました。
11月7日で69歳になりました。この歳になって今までの歴史観を全否定するような本に出会って、すっかりそれに魅惑されてしまうと言うのは軽薄そのものです。でも君子豹変す、ともいいますからね。
上下二巻の最終段階で、将来のエネルギー源の一つとして原子力発電を挙げているのは、今の段階としてはどうかと思います。世界を見渡しても悲惨な状況は変わらないような気もしますが、原子力以外のエネルギーを開発して乗り越えていくでしょう。
この本は自省も含めていろいろ考えさせられる本です。
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