竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

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高群逸枝の四国遍路 その2 石牟礼道子 渡辺京二 イワン・イリイチ

2013-11-23 20:43:41 | 歴史と人類学
以下の写真は今日掛川の町で行われた農業祭の様子です。
神田の古本祭りの様子に似ていますがもっと大規模、こういう消費者が参加者のような祭が増えてきました。人が集まるだけで楽しい雰囲気が生まれますね。
 
高群逸枝は遍路の道々で、周囲に特別な人と言う印象を与えたようです。
 
四国に渡る前、熊本から歩いて別府まで行きますが、その途中で74歳になる老人の家に泊めて貰います。その夜の老人の夢に観音様が現れたので、彼女が観音様の申し子だと思い込みます。そのため彼女の遍路の間ずっと同行して彼女を守ると宣言し、最後まで彼女と歩き続けます。
 
新聞に彼女の旅行記が連載されたこともあって、道々歓迎されたこともあります。でも当時の遍路は基本的にはレプラの患者とか不治の病に犯された人々、極貧の敗残者のような人々が歩いていて、乞食のような存在でした。まともな宿では遍路お断りです。途中で行き倒れても本望、遍路の白装束は死出の装束でもありました。
 
「娘巡礼記」は彼女の生の体験記で、彼女の才気と相俟って面白い旅行記です。

 
彼女が遍路に出たのは新聞記者になろうとして失敗して困窮し、恋人だった橋本憲三との愛情のも
つれもあって、思い切って全てを捨てて出直そうとしたのでした。
その後橋本憲三と結ばれ、東京に出て行き、得意の文才を発揮して、女性解放運動に関わっていきます。

 
その70年の生涯(1894~964)は37歳(19319を境にして一変します。
 
前半の37歳までは詩人、評論家、女性解放運動の旗手として社会活動をします。
後半は社会との交わりを一切絶ち、世田谷区の通称{森の家」にこもって、面会謝絶、
一日10時間を越える勉学を続けてひたすら女性史の研究に打ち込みます。
 
四国遍路に見られるような才気煥発な彼女が、ソローに倣って名づけられた「森の家」で一日10時間、女性史の研究に打ち込みます。今度は社会との繋がりを一切絶って、家事一切はは夫たる橋本憲三が引き受けました。
 
その努力は「母系制の研究」や「招婿婚の研究」等の著作に実って生きます。
 
彼女の生涯については早稲田大学教授鹿野政直、堀場清子夫妻の「高群逸枝」が詳しく記しています。

 
また同じ熊本出身で、高群逸枝の著作に感動した石牟礼道子が、逸枝の死後橋本憲三の招きで半年ほど「森の家」に滞在し、「苦界浄土」を書き続けています。

 
石牟礼道子と言えば、編集者として彼女を育てた渡辺京二がいます。
 
彼の「逝きし世の面影」はかって読んで感動しました。でも彼の著作の内容を幕末や明治初期の通常の歴史の中のどこに位置づけるのか、全く見当も付かないまま過ぎて来ました。最近「彼の近代の呪い」や「アーリーモダンの夢」を読んで得心しました。
 
近代の、そして現代産業文明への批判が石牟礼道子や渡辺京二の共通点なのです。

 
イワン・イリイチは近代が生み出した学校制度や病院制度、産業社会を徹底して批判しています。渡辺京二は彼に共感し、彼の著作を翻訳もしています。イワン・イリイチは名前しか記憶にない思想家ですが、渡辺氏のおかげで彼のものを読み始めています。
 
娘巡礼記に心惹かれているうちにどんどん世界が広がっていきました。私のぼんやりした頭でも、渡辺京二には感心しています。とてもいい感性を持った評論家です。彼の導きで色々な世界をのぞいてみたいと思っています。
 


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