6月27日(水)目が覚めたら雨、でも7時を過ぎる頃にはやんでいました。昨日からお菓子や果物は解禁、毎日しっかり歩いているのだから仕方がありません。日本に帰ってから糖類制限法をしっかり守りましょう。
朝食はミ・ゴレン、ミは麺、ゴレンは焼くという調理法、焼きそばです。その上に目玉焼きがのっています。これも代表的な料理の一つです。
宿のオーナーの女性が出てきて、私は画家だと自己紹介しました。自分が描いた絵を見てくれといって脇の机の上にB5サイズの絵を何枚も並べます。版画風だが細かい絵だから手書きだろう。カラーの農村風景や神話物語の絵、白黒の二人の女性のレゴンダンスの絵もあります。日本の友人にもこんな細密画を描く人がいます。しきりに勧めるが値段の見当がつきません。値段によっては買ってもいいと思うのでレゴンダンスのイ絵を聞いてみると150000ルピア、1300円ほど、そこで交渉して100000ルピア、800円ほどで買いました。でも街を歩いてギャラリーの似たような絵の値段を見るとそんなものです。もそもそももっと安いのかも。
今回の旅では値段のやり取りが楽しみの一つです。買い物は楽しんでやらなくちゃね。本当に必要なものなんてないんだもの。
時間がすぐすぎてしまい約束の10時が近づいて来たので、街に出て宮殿に急ぎます。門の前にきたらこちらに手を振っている女性がいます。一昨夜は薄暗い中で会ったので顔はよく覚えていません。30代かと思ったけど違うようです。でも笑顔で明るい雰囲気は同じです。
後になって私の歳を答えてから彼女の歳を聞いたら54歳だそうです。私の女性の歳の見当は最近いつも大はずれ。そんなに若い人が私の相手をするわけも無いしね。
どこで教えているか聞くと彼女は大学の先生でした。韓国の古典文学を研究する上で日本の研究書を読む必要があり、日本語を勉強して日本の本は沢山読んだそうです。でも話すほうは駄目、まるで私の英語と同じです。彼女は19世紀の英文学にも関心があり、私の好きなジェイン・オースチンも好きなようでした。
歴史の話もいろいろやりました。日本の古代史についての私の持論(と言っても特別なものじゃなく江上波夫の騎馬民族説系の話)、日本の古代史は渡来人によって開かれたこと、関東平野も帰化人によって開拓されたし、東北征伐も帰化人の力が大きかったこと(坂の上の田村麻呂は東の漢氏の一族)、天皇家も勿論韓国系と思われることなどを話しました。これは韓国古代史では常識のようですが、日本人の口から聞くのは初めてだといっていました。
神功皇后の朝鮮征伐とか白村江の戦いとかもそうだが、武蔵国分寺近くに残る東山道の遺構を見ると、弥生時代から発展した大和朝廷が作ったものとはとても思えません。初めから帝国を作る意図を持って作っている。彼等の頭には初めから中華帝国のイメージがあるのです。
日本と韓国の間には認識上のギャップがいろいろあります。でもかなり似てきているようです。日本では青年が外国に出たがらなくなってきていると言います。山に登るのもマラソンを走るのも中高年が中心、唯一例外は若い女性たちで、山ガール、マラソンを走る女性、歴史に関心を持つ女性がどんどん増えています。女性のほうが元気があるようです。
韓国にもにたような傾向があるようです。韓国では農村の独身男性に東南アジアから沢山お嫁さんが来ているようです。彼女たちは自分達の習慣に固執して韓国式に馴染まないという問題が生じているとか。
日本でも本格的に東南アジアから女性を引き込まなければ、山村は滅びてしまいます。日本全体が外国人をもっと受け入れなければなりません。それには中国人より東南アジア人の方がいいでようです。今度の旅でも現地の人や欧米人とは目が合えば微笑を交わし軽く挨拶を交わします。でも中国系の人は目をそらします。民族性の違いなのか、もっとも日本人も愛想が悪いですね。私はちょっと例外、もともと外れ者ですから。
私は韓国の歌も好きだといって、別離(イビョル)を韓国語で歌うと韓国語の発音がとても良いとびっくりしていました。昔々ラジオの韓国語講座で半年勉強したことがあります。もうすっかり忘れてしまいましたが。道を歩きながらアリランをちょっと韓国語で歌うと、彼女は美空ひばりの「リンゴのふるさとは北国のはて・・・」と歌いました。後の歌詞は忘れたとか。良い声なので一緒にカラオケでも行けば良いのですが、カラオケ店はウブドには無いようです。あったとしても日本語の歌と韓国語の歌は無いでしょうね。
途中の風通しのよいレストランで昼食、彼女は昨日のブサキ寺院ツアーでお腹をこわしたそうで椰子の実ジュースだけを飲んでいました。
途中の村で子供達がガムランを練習していました。指導者の大人は間違いを厳しく指摘しています。帰りに同じ場所を通るともっと人が集まって本格的に合奏していました。祭りが近いのでしょうか。
この道は深い谷を見下ろす尾根道で、広い野原もあり、昔から欧米の画家たちに愛された散歩道としてウブドで一番有名な散歩道のようです。そんな人達が住み着いたせいか、ギャラリーがあちこちにあり、今朝私が買ったような絵も並んでいます。
街に戻ってから彼女とメールアドレスを交換して握手して別れました。彼女は明日故国に帰ります。小雨模様の日なので来ないと思ったのに来てくれました。最後の日に私に付き合ってくれてありがとう。
今夜もウブド王宮での踊りを見るつもりだったが、今朝散歩したコースの入り口近くにプーラ・ダーラム・ウブドという死者を祀る寺があり、そこで竹琴によるジェゴグの演奏と踊りがあるという看板があったので、こちらを見ることにしました。
バリ島に来る前に読みかけた中村雄二郎の「魔女ランダ考」のなかに魔女ランダが支配する寺としてプーラ・ダーラムが出てきた。ここは葬式が行われる寺で、いつもはひっそりしています。ジェゴグのCDを買った翌日になま演奏を聴けるのは運がいいですね。
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魔女ランダの像
早めに正面の席に着いたら、隣の席に日本人の男女が坐りました。青年はバリ島にきて三日目、女性は20年バリ島に住んでいるそうです。青年は親類かもしれません。夫はインドネシア人(バリ人ではない)子供もいるとのことでした。
バリに来て張り人と結婚する日本女性が多いが、離婚する人も多いそうです。結婚は二人が愛し合えば良いように思われがちだが、ここでは古い共同体意識が残っており、毎朝神や悪霊に供物をささげ、親戚や近所の相互扶助活動も多く、とても二人きりの世界なんてありえません。日本で絆をうるさがって出てきた女性たちがうまくやれるわけが無いのです。
私の知人の娘さんも日本に留学してきたバリの男性と結婚し、子供も出来たけれど、バリに帰って間もなく離婚して、子供を連れて日本に帰ってきました。
バリ島全体では3000人ほど日本人が暮らしていて、定年退職者や工芸や踊りを習って滞在している人を含めるとその倍になるそうな。
かっては旅行者では日本人が一番多かったが、今ではロシア人、台湾人、韓国人、オーストラリア人が多くて日本人は5番目とか。
この人は明るくて話が上手で、とても素敵な女性でした。歳は?分かりませんね。今日の観客は少なくて20人ほど。街からちょっと離れていてツアー客も来ないのです。初めは竹琴によるガムランの演奏のみ。その後若い踊り手たちが出てきてちょっとへたな踊り、最後に大人の女性二人によるレゴンダンスでおしまい。観客より出演者の方が多いのは気の毒でした。
終わってからジェゴグを自由に叩いていいというので太い方からだんだん細い方に順番に叩きました。小さいものは音が澄んで表情に変化が出やすく、静岡に帰ったら作って見たくなりました。
裏から見たところ。
小雨が振り出したので急いで宿に帰りました。