竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

民話講座「アーサー王伝説を訪ねて」

2010-03-01 08:59:54 | 日記
一昨日の土曜日、小平中央図書館に図書館民話講座
「アーサー王伝説を訪ねて」第一回を聴きに行きました。
 
講師はケルトの妖精研究家井村君江さん、何冊も本を出しているし、
マロリーの「アーサー王の死」を完訳している人です。
 
せっかく講義を聴くのだから、せめて映画をと思い、
中古で買ったDVDが「King Arther」です。
これは以前レンタルでも見ています。
 
この映画はアーサー王についての新しい学説に基づき、
アーサーをローマ軍の隊長、円卓の騎士達をローマに征服された、
黒海沿岸のサルマート人の騎馬隊ということにしています。
これは面白い、と思って、図書館の蔵書を調べると、
「アーサー王伝説の起源、スキタイからキャメロットへ」と言う本があります。
これを借りてみるとまさに、映画がもとにした学説を明らかにした本なのです。
 
これを昨日から読みかけていて、民話講座に出ました。
井村さん、ケルトの妖精研究家なので、
もっぱらケルト起源とされているアーサー王伝説について、
スキタイ系のサルマート起源とする新説には、
触れないだろうとおもっていました。
ところがなんと、御自分でその重い本を持ってきて、
本を示しながら面白いから読んで御覧なさい、と言うのです。
 
講義の後で井村さんにサルマート起源説は、
今の学会で承認されているかとお聞きしたら、
ほとんど無視されているとのことでした。
 
アーサー王が息子のモルドレッドに瀕死の重傷を負わされた橋
 
井村さんは長くイギリスで暮らし、イギリスで終わるつもりでいたけれど、
高齢になったら日本が恋しくなって日本に帰ってきたと言っていました。
今は車椅子生活ですが元気いっぱい、
自分の研究を掘り下げようとする情熱にあふれていました。
 
 
アーサー王と妃の墓。
13世紀にヘンリー二世と王妃エリノアによって造られた(捏造された)墓。
 
この本の著者リトルトンは、ヤマトタケルも同じスキタイ系の伝説の流れをくむと、
別な論文で主張しているようです。
日本人はそういう学説なら関心を持ちますよね。
 
アーサー王を始めとする騎士物語の騎士たちは、
ローマ軍の重装歩兵とは違います。
馬に乗って長い槍を持ったり剣を持って闘います。
この騎馬戦士の起源は中央アジアの騎馬民族にあると言います。
スキタイ、極東では匈奴が代表的存在です。
 
実は日本でも東洋史学者の江上波夫さんが、大和朝廷を作ったのは、
5世紀に朝鮮半島を通って渡来した騎馬民族だという説を立てました。
かって私は関心をもって読んだものです。
 
ほぼ同じ頃ヨーロッパと日本に騎馬民族の影響が及んでいるらしい。
そう考えるとヤマトタケルに、
スキタイ系の伝説と共通要素があっても不思議ではありません。
でも日本では騎馬民族的要素はまもなく消えてしまいます。
 
ここからは私の想像になります。
 
もう少し後の奈良時代、朝廷は東北に進出して、
エミシと闘って苦戦しています。
苦戦した理由はエミシが騎馬戦をしていたことと、
騎馬戦向きの刀を使っていたことにあります。
何でエミシに馬が、それも騎馬戦術の馬があるんでしょうか。
東北は朝廷に屈した後も駿馬の産地として有名になります。
 
東北は日本海を隔ててユーラシア大陸と近い関係があります。
東北にも海を渡って騎馬民族が来ていたのではないか、
というのが私の想像です。
 
エミシの騎馬戦術の後を継いだのが関東の武士団です。
武士の登場により日本人の感性が変っていきます。
これは平安貴族の感性の結晶、
源氏物語を読んでいると痛感します。
 
長くなるのでこの辺でやめますが、
アーサー王伝説からいろいろなことを想像してしまいます。
図書館の民話講座は、
井村さんの生き生きした感性と、
リトルトンの本に出合えただけでも、大きな価値がありました。