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竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

ヤノマミ族の虐殺

2012-09-12 09:41:28 | 歴史と人類学

アマゾン先住民80人虐殺か=ベネズエラ 

 【カラカスAFP=時事】熱帯雨林が広がるベネズエラ南部のブラジル国境に近いアマゾン地域で7月、先住民ヤノマミ族約80人が不法入国したブラジルの鉱山業者に虐殺された疑いがあり、ベネズエラ政府は31日、現地に調査団を派遣していることを明らかにした。
 ヤノマミ族の代表組織によると、ブラジル人らはヘリコプターを使い、ヤノマミ族の集落を焼き払って虐殺した。狩猟から戻った3人が無残な状態の焼死体を発見した。代表組織は昨年からベネズエラ、ブラジル両国に対し、虐殺の調査や違法業者の排除を要求している。(2012/09/01-22:13)

 
9月の初め以上のような衝撃的なニュースが流れました。ヤノマミ族は数年前NHKスペシャルで放映され、その映像はとても印象的でした。「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」2009年(NHKオンデマンドで今も見ることが出来ます。)
 
長倉洋海さんの美しい写真集「人間が好き アマゾン先住民からの伝言」1996年 もヤマノミ族を扱っています。このブログの写真はそこから取ったものです。

 
実は先月岩手にかご編みのボランティアに行ったとき、かご編みを手伝ってくれた大学生が、人類学に関心を持った人でした。今では数少なくなった採集狩猟民のボルネオのプナン族のかごを研究するつもりと言うと、自分も採集狩猟民を知っているといって、挙げたのがこのヤノマミ族でした。
 

ブラジルなど南米の先住民は、国家の発展に伴いどんどんその数を減らしています。一部に保護区を作ってアマゾンの原生林を保護されていますが、保護区で鉱山が発見されたりすると、鉱山業者や労働者が侵入し、トラブルを起こします。ジャングルの奥の出来事ですから警察権力も及びません。
 
レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」の中に記録され、後に川田順三が「ブラジルの記憶」の中で現状を伝えたナンビクワラ族も、ブラジル発展の軌道の中でつぶされていったようです。
 
文明は周囲に広がる文明以前の社会を蹂躙しながら進んでいきます。近代ではヨーロッパがアフリカ、アジア、南北アメリカで植民地化したり奴隷化したりして世界を支配してきました。グローバリズムの名の下にその過程は今も進行中です。

 
日本文明も大和朝廷が成立するやすぐに、東北の蝦夷征伐を実行しています。
 
現代の日本でも竹島や尖閣列島の問題で国際紛争の渦中にあります。これほど情報社会が進んでも偏った情報が広まり、国家意識にとらわれた人々が個人的に冒険に乗り出したりしています。
 
北方4島の問題でもロシアとの間でもめています。もともとあそこはアイヌ人が住んでいたところで、それをロシアと日本が自分のものとして主張しているのです。
 
現代文明と国家、これは切っても切れない関係にあり、どんな奥地の森に暮らしている人々も国家の一員になることによって、文明の恩恵?に浴すことになります。それと共にグローバリズムの進展によって、個性的な文化も失われていきます。
 
そのようにして文明化された人々は多くの社会で最下層を形成することになります。
 
人類にとっては文明化以外の選択肢は残されていないようです。そしてその先に何があるのか・・・・

進歩と進化? (歴史と人類学のはざ間で) その3

2010-10-30 15:12:07 | 歴史と人類学
(秋はどんどん深まっていきます。
朝のジョギング中に撮った花の写真3枚、
シラヤマギク

シロバナサクラタデ

リンドウ、昼になったら開きます。


私が何故このような未開民族に関心を持ったか、
それは歴史の進歩と言う考え方に疑問を抱いていたから。
 
学問としての歴史学では歴史の進歩と言う考え方は否定されている。
だが一般常識としては抜きがたい力を持っている。
特に先進国の豊かな社会に住んでいる私達は、
この安全で安楽な便利な暮らしが当たり前になっている。
でもそれは一方で私達の精神を蝕む側面を持っている。
 
今心を病んでいる人たちが多い。
私達の周りの子供達はあまり生き生きしていない。
仲間同士のいじめなどに脅かされている。
貧しい後進国の子供達の方がキラキラした目をしている。
私達の豊かさは、貧しい世界によって支えられている。
 
ペナン族その他の少数民族は、現代のグローバリズムの世界に組み入れられると、
彼等の生活を支えていた土地を奪われ、文化を奪われ、
社会の最下層に組み入れられていく。
 
それは南北アメリカのインデイアンやオーストラリアのアボリジニ、
日本のアイヌ民族も全く同じ過程をたどっている。
 
実は日本人もこのグローバリズムの中で貴重なものを失ってきた。
渡辺京二は「逝きし世の面影」の中で、
江戸時代に栄えた文明が、明治10年ごろまでに、
近代化の中で失われてしまったと語っている。
 
日本史は抜きがたく進歩史観の枠で見られている。
渡辺の著書はそれを真っ向から否定する、重要な貢献だと思う。
宮本常一の著作も、かっての生活や人間性を復元する重要な業績である。
 
グローバリズムの世界の貧しさを痛感しているので、
いわゆる未開民族の研究は、もうひとつの世界を示唆してくれる。
とは言え元に戻りことは出来ない。
グローバリズムの波は歴史的にはヨーロッパから始まった。
コロンブスのアメリカ大陸発見をその象徴的な出来事と見る人もいる。
 
ただ同じような流れは日本の中にもあった。
江戸時代の日本の社会システムは、
かなり進んだものになっていた。
初等教育の普及などはヨーロッパに引けをとらない。
 
グローバリズムの流れは文明から文明へと受け渡しされながら、
ヨーロッパで爆発したのだろう。
 
これを進歩と見るにはあまりにも犠牲が大きすぎる。
ジェノサイドが起こったのは私達が生まれた頃のこと。
それ以前も以後も辺境地帯では、
少数民族が抹殺されたり圧迫されてきている。
豊かな社会はいっそう豊かになるために、
貧しい国の資源を貪り続けている。
 
グローバリズムは進歩というより、進化とでも言ったものかもしれない。
歴史を進化としてみるのはそれこそ歴史に逆行する見方なのだが。
 
しかしグローバリズムの波に直面したとき、
かっての明治維新がそうだったように、
苦渋の決断をしなければ植民地化されてしまう危険があった。
日本はその波に対応できたのだが、
同時に日本が周囲を植民地化する方向に向かう、
いっそう危険な道に進むことになった。

編み籠と沈香 (歴史と人類学のはざ間でその2)

2010-10-12 18:04:25 | 歴史と人類学
マレーシア、ボルネオのサラワク州に住むペナン族は、
今や国の定住化政策により、
定住して焼き畑耕作を行っているらしい。
彼等がジャングルでの狩猟採集生活をやめざるを得なかったのは、
熱帯雨林の材木を輸出するため、
日本の商社などと手を組んだサラワク州の業者が森林を伐採したからだった。
20世紀末に、伐採を進めるための道路に、
それを阻止しようとして、ペナン族やその他の原住民がバリケードを作ったことで、
世界的に有名になった。
彼等の生活は今も脅かされ続けているようだ。

マレーシアの漁村

 
ボルネオやブラジルの熱帯雨林が燃やされるのは、
原住民による焼き畑耕作によるものという記事がかって見られたが、
それは全くの嘘で、焼き畑は本来延焼しないように注意深くなされており、
森に依存して暮らしている人々がそんなことをするわけがないのだ。
 
ペナン族が籐で編んだ篭は、彼等の日常生活で使われるものとは違うようだ。
移動するときに使う道具としては華奢すぎる。
交易に用いられたものだ。
 
採集狩猟民といっても、彼等は孤立して暮らしているわけではない。
生活に必要なもの、塩や鍋、刀などの金属器は昔から交易によって入手している。
籐で編んだ精緻な篭はそのために作られたようだ。
 
彼等の交易のもう一つの材料は、熱帯雨林の中で見出される沈香である。
インドシナ半島からインドネシアにいたる、
東南アジア各地の熱帯雨林で見出されるもののようだが、
ボルネオのペナン族も沈香を見つけて交易品にしていたようだ。
それを珍重したのは中国であり日本だった。
 
同じような形で古くからこの地域で交易のために珍重されたものに、
干しナマコがある。
中華料理で珍重される干し海鼠は、
北は北海道から南はオーストラリアのアーネムランドにいたるまで、
太平洋西岸の各地から集められた。
そのことはかってべ平連で活躍した鶴見良行氏の名著「ナマコの眼」に詳しい。

漁村の杭上家屋

 
数年前NHK特集か何かで,ビルマのモーケン族のルポをやっていた。
モーケン族は北は日本の家船(エブネ)から中国の蛋民、インドネシアの海の民にいたる、
船上生活民の原型を留めている人々だ。
かって本で読んだことがあった特殊な民族を、テレビで目の当たりに出来る時代なのだ。
彼等は素もぐりで魚介を獲るのだが、ナマコも貴重な獲物だ。
陸に上がって茹でて干して、それを自家消費するのではなく売るのだ。
 
マレーシアの漁村に行ったとき驚いたのは、魚の干物の豊富さだ。
スルメもある。イリコ、ヒラキその他日本よりはるかに種類が豊富のようだ。
太平洋西岸の漁業は南から北まで、ずーっと繋がっていることを感じさせられる

エビ煎餅らしきものを干しているところ。
 
続く

篭を編む人々(歴史と人類学のはざ間で) その1

2010-09-28 05:25:19 | 歴史と人類学
ちょっと大げさなテーマです。
でも若い頃から関心を持ってきた事柄なので、
この機会を借りて時々連載して行こうと思っています。
(これは大学のクラス会のブログに書いたものです。)
 
近頃歴史関係の本をあまり読んではいない。
一時フランスのアナール学派の本を読んでいたが、
最近はそれも読まない。
そういうものより日本の古典に惹かれることが多い。
 
実を言えば私の関心はもう長いこと人類学にある。
私の20代は日本にレウ゛ィ・ストロースが紹介された頃で、
階層社会と戦争に満ちた近現代社会にうんざりしていた私には、
彼の語るトーテミズムの、階層のない社会に魅力を感じていた。
同年代の若者達は共産主義社会に夢を託した人が多かったが、
どうも私は後ろ向きで、未開社会に関心を向けていたようだ。
どちらの夢も今となってははじけてしまったが。
 
(学者ではないので勿論学問的な話ではありません。
今まで読んできた本の中から、うろ覚えのことを語ったりします。
でもまあ、お暇なときに読んでいただければ幸いです。)
 
一時はもてはやされた人類学も、近年様変わりしてきた。
それは人類学が対象としてきたいわゆる未開社会が、
グローバル化の波の中で近代化?しつつあり、
古来の様々な特徴を失ってきたから。
南米ではアマゾン流域の小部族が消滅しつつある。
周囲に同化して民族性を失ったり、虐殺されるケースもある。
 
人類学的な社会はもう消えつつあるのだ。
かってレウ゛ィーストロースの下で学び、
アフリカ社会で研究を重ねてきた川田順三氏も、
最近では日本やフランスの伝統的な文化の中の体の使い方などにも
研究の対象を広げてきている。
 
私は本業にしてきた竹細工の関係上、
見事な籠を編む民族に興味を持ってきた。
 
マレーシアのサラワク州にペナン族という民族がいる。
この人々はいわゆる狩猟採集民で、
定住せずに熱帯雨林の中を放浪生活をしている。
発達史観から言えばもっとも原始的な人々と言うことになる。
 
この人々が籐で見事な籠を編んでいる。
大阪万博の頃日本にも入ってきて、
お茶の先生をしている磐田の友人から、
万博会場で買ったという、その手の籠の修理を頼まれたことがある。
実に緻密に編まれた背負い籠で、
おしゃれであんまり実用的とはいえない。
長いことほったらかしにして、それでも修理して返したが、
今思えばペナン族の籠だった。
ペナン族の籠、ブライアン・センテンス著「世界のかご文化図鑑」東洋書林、より
 

デサナ族の網代編み

2010-02-17 14:52:25 | 歴史と人類学
昨日から掛川に来ています。
毎日寒いですね。昨日御殿場で雪になりました。
降り始めだったのでチェーンも巻かずに走れました。
数年に一度、御殿場が雪で、チェーンを巻かなければならないことがあります。
そんな時は東名もストップして、、246は渋滞します。
 
梅や椿が満開になっても、相変わらず寒い日が続いています。
でも今朝ジョギングの途中、蕗の薹を見つけました。
ここは谷間なので、日当たりが悪く、咲くのもちょっと遅いようです。
 
以前からやりたいと思っていた、南米のデサナ族の網代編みを、
今日から編み始めました。
 
実によく考えてあります。
一見複雑な模様に見えますが、
編んでみると意外と簡単、今まで時々やっていた綸子網代よりは簡単です。
でも鮮やかな模様で、編んでいると不思議な感じがします。

 
編めたからと言って、デサナ族の精神世界をのぞき見ることは出来ません。
そちらはドルマトフの著書を読まなければなりません。
それはしばらく後の楽しみに取っておきます。
今は、自分でこの不思議な模様の網代編みを、編めたということで満足です。
 
 この網代で、デサナ族のように大きな笊を編んでも使い道がないので、
少し前に編んだ、花網代の手つきのお盆のようなものを編みます。 
 
花網代に似た網代編みはデサナ族にもあります。
デサナ族の網代、他のいくつかもやって見ます。
 

開発のかげで。

2009-09-17 04:30:58 | 歴史と人類学
 
川田順三がナンビクワラ族に会った4年後、
この地域は世界銀行の資金援助により開発が進められた。
舗装道路が作られ南部の貧困層が入植した。
 
ナンビクワラ族のある村はブルドーザーによって蹂躙されてしまった。
 
開発するために森林が伐採され、除草剤が散布された。
しかし土地は現代農業を進めるには不毛だったため、まもなく放置された。
計画は失敗に終わったようである。
後に残されたのは、生活基盤を奪われて、無理やり同化させられた人々と、
枯葉剤の影響である。
 
インデイアンの精神世界について、北米のヤヒ族の最後の生き残り「イシ」の伝記が豊かに語っている。これはイシに出会って彼について研究した高名な人類学者のアルフレッド・L・クローバーの奥さんが二人の死後書いた本で、感動的なものである。ちなみにクローバー夫妻の娘が「ゲド」戦記の著者アーシュラ・K・ルグインである。
 
 
精緻な網代編みの籠を編むデサナ族について、それを研究したドルマトフが「デサナ」-アマゾンの性と宗教のシンボリズムーという本を書いており、これは翻訳がある。その本が昨日私の手元に届いた。
 
デサナ族出身で、都市的な教養を身に付けた一人の男と、人類学者ドルマトフが大学の研究室で七ヶ月にわたり延べ300時間インタビューし、それを著者がまとめ、二人でチェックしあって出来上がった本だという。
 
網代編みの本と、デサナ族の精神世界を伝える本を読むこと、それからデサナ族の籠の網代編みの模様を編むこと、これが当分続く私の旅になりそうだ。
 

竹?を割くデサナ族

はだかで暮らす人たち。

2009-09-14 06:28:01 | 歴史と人類学
 
アマゾンの奥に裸で暮らすナンビクワラ族がいました。主に採集狩猟生活を送っていて移動の際は、女達が大きな籠に全てを入れて背負います。寝るときは焚き火のそばで灰にくるまって、夫は妻をうしろから抱き、母は子を胸にかかえ、独り者は両手を腿の間にさしこんで、エビのようにからだを曲げて寝るのです。
 
彼らには挨拶言葉がありません。物をもらったら黙って受け取る。それだけ。こちらが何かほしいと言えば作ってくれたりする、でも御礼は求めない。
 
子供をとても可愛がり、叱ったり躾けたりすることもありません。犬やオウム、鶏、猿が子供達と同じように可愛がられています。(イギリスでは犬さえも見事に躾けられています)
 
 
毎日の生活にも決まりがありません。それぞれが食べたいときに食べ、寝たいときに寝る。
 
今から20年ほど前に彼らを観察した川田順三は、「われわれのゴタゴタした社会では、めったに到達できない解脱の境地に、無一物で暮らす彼らは、ごくあたりまえに入ることができるのかも知れない」と語っています。
 
子供や小動物を可愛がること、正座をしてすわることなどから、川田順三は日本人によく似ていると感じています。かって日本の庶民は、裸をあまり恥ずかしがりませんでした。庭先で行水をして、それが外から丸見えだったり、外国人が通ると聞けば男も女も素っ裸で外に飛び出して見たりしていました。私の子供の頃も人前で赤ちゃんにおっぱいをやるのは当たり前でした。
 
儒教道徳が身につかなかった日本人は、かなり古い生活文化をどこかに残しています。躾けのできてない私も、せっせと竹細工に励むことにしましょう。
 
 
 
レヴィ・ストロースの「悲しき熱帯」を読みかけてから、不思議と南米に縁があります。「悲しき熱帯」のなかに印象的な部族ナンビクワラ族を、レヴィ・ストロースの弟子で、「悲しき熱帯」を訳した人類学者の川田順三が、レヴィ・ストロースの調査から50年後に訪れています。その記録が「ブラジルの記憶」です。

なんとすごい網代編みか。

2009-09-13 05:17:54 | 歴史と人類学
南米アマゾンの奥、コロンビアとブラジルの境に、デサナ族がいます。
彼らの編んでいる網代編みのかご、これがなんとも素晴らしいのです。
 
 
 
この写真は Gerardo Reichel-Dolmatoff (著)
Basketry As Metaphor: Arts and Crafts of the Desana Indians of the Northwest Amazon 
 
からのコピーです。ある本の裏表紙に籠の写真が模様のように使われ、
その写真の出所の本の名前がこれです。
 
この本を国会図書館から借りて、時々小平市の中央図書館の閲覧室で読んでいます。というよりコンパクトデジカメで撮影しているのです。
彼らはほとんど裸で暮らしている人々で、人類文化のレベルからいえばもっとも原始的といわれる生活をしています。そんな部族がこんな精緻な網代編みのかごを編むのです。
 
もう一つ、前にも写真を載せたボルネオのプナン族の籠を見てください。
プナン族はボルネオの最後の狩猟採集民と呼ばれています。
この網代編みもすごい。
 
 
そのうち実際にこれを、素材が違うので模様だけ竹で編んで見ますが、
頭が変になりそうなほど複雑です。
 
実用性を考えたらこんな複雑な模様を作り出すはずがないのです。
 
この模様は何を意味しているのか、それを追求したのが上に載せた本です。
 
これから読み進んでいくので、だんだん分かってくるでしょう。
薄い本ですが、私の英語力では時間がかかりますね。

近代文明の破壊力とフットパス。

2009-09-01 04:19:13 | 歴史と人類学
これは前日の日記に対してmixiの友人が書いたコメントに対する返事です。
 
Yayoiさん、お答えが長くなるので、日記にしちゃいます。というより勝手に長くしちゃった。
ごめんなさい。
 
私が歩いたのはウェールズ海岸、コッツウオルズ、湖水地方だけですが、温帯ですから自然はよく似ています。でも植物相は日本の方が豊かです。
 
湖水地方の道、農道?
 
資本主義が古くから発達した国ですから、全ての土地は私有財産で、畑も柵でしっかり囲んであります。
 
そんな国だからフットパス運動が生まれた。つまり私有財産を通行する許可を得た、その繋がりがフットパスなんです。だから麦畑の中の一畝、牧場のふみ跡がフットパスなんです。
 
 
トラスト運動も自然は全て私有財産なので、経済的利益のためにどんどん破壊されてゆく、それに対して自然を守るためには、トラストが土地を所有して守っていくしか手が無かったんですね。
 
フランスのフォンテンブローの森をレンタサイクルで走りましたが、立派な森林の木がほぼ同じ太さなんです。堂々たる森林の訳は、かって全部伐られちゃった、それを19世紀末あたりから植林したんですね。だから同じ太さの木が並んでいる。
 
イギリスの森は王立財産の狐狩りの森が残されているのです。それ以外は一時期みんな伐られちゃった。
 
近代文明を生み出したことで、イギリスは一時世界を支配した、でも本国は荒れ果てて行った、それを19世紀末から復興させようとしてすごい努力をしてきたようです。
 
近代が荒らしたのは自然だけじゃなく、自然と結びついた伝統的な生活文化もそうです。近代初頭を血塗らせた魔女狩りも、自然と一緒に暮らしていた地方の伝統的な知恵を持った女性達が槍玉に上がった。
 
あの時代キリスト教が純化されて、原理主義みたいになりました。プロテスタントが生まれ、近代合理主義が誕生したんだけれど、それから外れた伝統的な自然の知恵を持った人たちが、悪魔の支配下にあるとして魔女裁判にかけられ、火あぶりにされたんです。その数数十万ともいう。
 
魔法使いのお婆さんって、深い森の中で大鍋で何かをぐつぐつ煮てるでしょ?あれは民間治療薬の薬草なんです。それで病気の治療にあたる、そんな人なんです。
 
ヨーロッパの歴史や自然をたどると、そのすごさに驚きます。        
 
彼らが支配したどこでも、弱小民族は抹殺されたり、徹底的に排除されます。
アフリカでも、オーストラリアでも、アメリカ大陸でも。
 
日本も近代化のために、明治以降伝統文化を無視して、ヨーロッパのものをいち早く取り入れました。そして植民地獲得競争に加わりました、遅れて参加したために、かなりスマートになった英米よりも、初期の植民地主義の荒々しさを保ったままで。おまけに中国や朝鮮という高い文明を持った国に対して。
 
それに敗れた今も近代日本の行為は周囲の国々に対してだけじゃなく、私たちの心に深い傷を残しました。
 
近代日本は少数民族のアイヌ文化を否定しただけじゃなく、日本の伝統的な生活文化も無視しました。暦でさえもキリスト教暦に変わっちゃいました。    
 
 
隣の牧場へ。
                                             続く