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竹と遊ぼう。伊藤千章の日記、

小平市と掛川市の山村を往復して暮らし、マラソン、草花の写真、竹細工、クラフトテープのかご、紙塑人形の写真があります

ハンナ・アーレント

2013-11-07 10:37:27 | 歴史と人類学
3日は久しぶりに小平グリーンロードを一周しました。


わが家からだと22キロコース、先週の日曜日の大井川マラソンの疲れがまだ残っていたのか、
19キロあたりで転倒して、右の頬骨の辺りと唇の上をすりむきました。
足には異常がなくその後も走って帰りました。
傷は軽いものの場所が場所だけに目立ちます。

小さい溝の下を野火止用水が流れています。この溝ではホタルが飼育されます。
 
そこで一種の絆創膏だけど、水洗いするだけで傷に貼り付け、自然治癒を待つという新しいタイプの絆創膏を貼りました。これだと皮膚の自然治癒力を利用するので、かさぶたにもなりません。
時々テープの下から体液が流れてきますが、痛みはありません。貼ったものは体液で白くふくらんで、時々液体が漏れてきます。体液を出すことで傷を癒しているんですね。
 
顔の二箇所に赤い傷じゃなく白い絆創膏があるので、見栄えがよくありません。
4日はそんな顔で神田まで映画を見に出かけたので、時々人の視線を感じました。
いつもは私の顔など見る人なんかいないのにね。
人目に立つ服装って人の目を感じる快感があるのかもしれません。

 神田では古本祭りの最終日で、古本を並べた屋台や食べ物の屋台が沢山出ていました。賑やかであまり見たことがない神田の一面を見た気がします。
 
 

岩波ホールで「ハンナ・アーレント」という映画を見ました。
ドイツ生まれのユダヤ系の政治哲学者として有名な人です。
彼女はハイデッカーの弟子で、一時愛人関係にもありました。
でもハイデッカーはナチスに迎合する態度を取ったために離れて行きました。
彼女はその後フランスに渡って危ういところを収容所送りを免れ、アメリカに逃れます。
 
アイヒマンが逮捕されてイスラエルで裁判が行われた時、彼女は傍聴します。
その時のアイヒマンはいわゆる極悪人というよりも、普通の役人という感じでした。
ユダヤ人の虐殺を初めは悪いことと感じたものの、上官の命令とあって義務としてそれに従った、
その後は何も感じずにひたすら任務を遂行していった、命令に従っただけだから悪いことはしていないと言うのです。
 
アーレントは官僚的な用語を話す彼の平凡さに驚き、雑誌への寄稿の中で、「悪の陳腐さ」と表現します。彼を特徴づけるのは思考の欠如であり、この特徴は現代社会に蔓延しつつあると語ります。
 
アーレントの傍聴記事はユダヤ社会の憤激を招き、周囲からのバッシングを受けます。
 
映画の中ではじめに登場する名前はハンス・ヨナスです。彼は彼女と同じくユダヤ系でハイデッガーの弟子です。彼もハイデッガーがナチスに迎合したために彼の元を去り、英軍の反ナチスユダヤ人部隊に入隊します。終戦後ドイツに戻ると母親はアウシュビッツで殺されていました。そして彼はアメリカに移住します。
アーレントとは長い間親しい友人でした。
 
ハンス・ヨナスは戦前古代末期のキリスト教の異端グノーシス主義の研究を書いて、私もそれを読んだことがあります。その後倫理学者として「責任という原理」を書き、この本を数年前に見つけてなつかしくて買っていますが、いつものようにまだ読了していません。
 
映画の中では彼もアーレントの見解に反対しています。

 
映画の中には出てきませんでしたが、アーレントが苦しい時代に支えてくれたのは、実存哲学者ヤスパースでした。ヤスパースの奥さんがユダヤ人であったために彼はナチスからにらまれていました。彼は妻がつかまるなら自分も一緒に死ぬという覚悟で妻を守り抜きます。でもアメリカ軍による開放が数週間遅れたら、彼も妻も強制収容所に送られることになっていました。
 
ヤスパースの勇気は暗い時代のアーレントにとって貴重な灯火だったようです。往復書簡集も出版されています。ヤスパースも戦争責任論を書いてドイツ国民からバッシングを受けますが、屈しませんでした。
 
ヤスパースの「歴史の起源と目標」はマルクス主義華やかな学生時代、それに対抗するため読んだものでした。
 
昔読んだ本を読み返すのもこれからの楽しみの一つです。
おかしな顔をして神田まで出かけていってよかった。
 

現在高群逸子について書いたブログの記事が中断しています。それは石牟礼道子が書いた「最後の人 詩人高群逸枝」を読みかけているからです。こちらも読書の範囲が広がっていきます。読む時間はあまりないのに。こまったものです。
 
 

大井川マラソン完走・・・?

2013-10-27 20:19:17 | 歴史と人類学
前日までの雨が止んで上天気のマラソンになりました。
最近の練習不足でどんなレースになるのか走ってみなければ分かりません。

 
このコースは4度目、大井川の河川敷にマラソンコースが出来ていて、
平坦なコースで走りやすそうです。
でもまわりに人家がないので応援が少ないせいか、今までいいタイムが出ません。

 
10キロあたりまではキロ6分30秒のペースではしりました。
このまま行って途中からキロ7分に落ちても5時間前後ではゴールできると踏んでいました・
でも10キロを過ぎて若い女性ランナーが軽やかに走っているので、それを目標にペースを挙げました。キロ6分で20キロまで走りました。
 
このスピードアップが無理だったのでしょう。その後ガタッとペースが落ち、歩いてしまいました。
24キロあたりからゴールまでほぼ18キロ歩きました。これってかなり辛いですね。
普通のレースなら時間オーバーでバスに乗ったりしますが、このレースは制限時間7時間、痛む足を引きずり18キロ歩いてゴール。6時間半というかってない最低のレースでした。
 
歩きながらこれでマラソンは終わりにしようと思いました。でも今回ははっきりした練習不足です。普段のジョギングで以前のように週に一に1,2度は20キロラン、月に一回は40キロ走っていればもう少しましなレースが出来るでしょう。でもそれが出来るか、ランニングのスピードが落ちている今は時間がかかりすぎます。
 
でもそれを試みてみて、駄目だったらもうマラソンはやめる、可能だったら来年4月の掛川新茶マラソンに出て見ようと思いました。掛川のマラソンが最初のマラソンでした。その時のタイムは3時間45分、20年後の今では5時間を切れるかどうか。
 
歳だから仕方がありませんね。
 
12月1日は陸前高田でクラフトテープの籠作りを教えることになりました。
2,3ヶ月に一回なら無理なく続けられるかもしれません。

ターナー展をと美術館に見に行った時の写真です。以下も同じ。
 
心境の変化ですね。前に書いた人には会うべしの精神で、11月は高校の音楽部の全体会、高校の男子クラスの仲間たちの銀ブラ会、中央公民館のサークルの結いの会と色々な会に出ます。
 

また岩波ホールで11月からドイツの女性哲学者ハンナ・アーレントの映画があります。
これはユダヤ人でアメリカに亡命した経験がある彼女が、多くのユダヤ人を強制収容所に送り込んだアイヒマンの裁判について、裁判の正当性やアイヒマンを極悪人とする世間の見方に反論した記事を書いて、ユダヤ人社会から激しいバッシングを受け、それと戦う姿を描いた映画だそうです。
 
私もアイヒマンについては普通の組織人がそんな役割をになわされた、そんなケースは水俣病の窒素会社の社員の行動にも見られると感じていました。我々凡人の内なるアイヒマンを追及すべきだと思っています。
 
来月早々映画を見に行くつもりです。その感想はいずれ・・・・

 
 
 

高群逸枝の四国遍路 その1

2013-10-23 18:36:08 | 歴史と人類学
小平市の図書館で高群逸枝の「娘巡礼記」を見つけて借りてきました。
高群逸枝については女性史の研究家としての名前しか知りません。

以下の写真は新しい携帯で撮った玉川上水での写真です。
 
その人が24歳の若さで四国遍路をやっていました。
 
この本は彼女が遍路をしながら九州日々新聞に寄稿した文章をまとめたもので、
日々書いて投稿していたようですから、まさに生々しい記録です。

 
6月4日に熊本を出発して熊本に戻るのは11月20日、半年にわたる旅で、
熊本と四国に渡るための大分の往復も歩いています。
 
その元気のいいこと、泣いたり笑ったり感情の豊かなこと、驚くばかりです。

 
高知県の四万十川近くで遍路の墓を見て感慨無量、次のような一文を記しています。
 
「暫くその傍への草の上に座し墓標に手を置き、じっと落日を眺めながら色々なことを考えた。
自由! 私は突然跳り上がるようにして心に叫んだ。自由な生、自由な死・・・・然り、自由は放恣じゃない。
真の孤独に耐え得る人にして始めてそこに祝福された自由がある。
自由の色は血の色だ。若かれ!高かれ!尊かれ!
 
よし、私は、あらゆる障害、あらゆる脅迫と力戦しつつ、私の血の如き火の如き若き生命を、厳粛な自由の絶対境に樹立せしめねば熄まないであろう。
 
ちょうどこの遍路の墓が郷里を離れた遠い旅路の草原に独り黙然と佇立せるが如く私もまた寂しい荒涼たる生死の草原を永久に辿り辿らねばならぬ。
その時夕陽は血の如く赤く私のその独旅を照らすであろう。」
岩波文庫版「娘巡礼記」136頁
 
こんな調子で生の体験を綴った紀行文はとても面白いものでした。

落下した銀杏
 
私も27歳の時に四国遍路をやっています。
時代が違うので道路も状況も違います。
彼女の旅のほうがはるかに苦労も多く、それだけ充実していたのでしょう。
 
何という魅力的な人物なのか、知らなかっただけに圧倒されます。
本当にすごい人です。


友人が書いた小説、これが面白い!

2013-09-20 11:00:36 | 歴史と人類学
 9月の初め、高校の音楽部時代の友人から、自著の「防鴨河使異聞」が4月に歴史文学振興会主催の「第13回歴史浪漫文学賞創作部門優秀賞」を受賞し、9月に郁朋社から出版販売されるとの通知を貰いました。アマゾンで取り寄せて読んでみるとなかなか面白いのです。
 
 平安朝時代鴨川の水利にあたっていた防鴨河使(ぼうがし)の中級官吏の青年の物語で、台風による洪水や飢饉、疫病など、次々に京の街を襲う災害に対処していく姿が描かれています。
 
 清少納言や紫式部の時代の裏面史を描いて、当時の庶民の姿を垣間見せてくれます。歴史上の実在人物と架空の人物が入り混じって、平安朝に関心がある人には面白い読み物になっています。
 
 著者の西野喬氏は若いころから作家を志し、定年後に研鑽を積んだのでしょう。なかなかの実力です。なにより面白いのです。きっと続編も出ることでしょう。それも楽しみです。
 
 なんだかんだと忙しい毎日が続いて、明日やっと掛川に向かいます。20日ほどこちらにいたので今頃は草茫々でしょう。早速草刈りや松の薪割りをしなければなりません。それに10月27日は大井川マラソン、練習不足なので、これからしっかりやらなければ。
 
 玉川上水には彼岸花が盛りです。台風後キノコが沢山生えています。


坂口恭平 新政府展

2013-01-11 17:11:29 | 歴史と人類学
今回はもう一つ、外苑前のワタリウム美術館で坂口恭平の新政府展があったので、見に行きました。坂口恭平は以前路上生活者の暮らし方を、現代社会の「狩猟採集民」と見て、そのすがたをルポルタージュしていました。未開社会の狩猟採集民に関心を持っていたので、早速その本を買って読みました。
 
最近また坂口恭平のことをどこかで読んで、図書館から一昨日「独立国家の作り方」と言う本を借りて読み始めました。すると昨日朝日新聞で彼のことを特集して,ワタリウム美術館で彼の作品展をやっていると言うので、偶然の暗合に驚いて行って見る気になったのです。

 
松本竣介展のような感動はありませんでしたが、1978年生まれの若者の積極的な生き方に感心しました。早稲田の建築科を出たのに建築家にならず、自分でギターを弾いて歌ってお金を稼いだり、いろいろやって生活を立てています。奥さんも子供もいます。彼のブログはとても面白いです。
 
 
彼の優れているところは人も巻き込んで行くところです。私もいわゆる「はずれ者」ですが、いつも自分と家族のことにかかずらわって、外に積極的にかかわってはいません。まあ歳をとってからは教室みたいなことをあちこちでやっていますが、個人的なことばかりです。
 
彼は自分の携帯電話番号を公開し、自殺希望者を対象に「いのちの電話」もやっています。
 
人間の才能の違いはどうしょうもないですね。彼に脱帽です。

茜空

2012-12-21 13:39:33 | 歴史と人類学
今朝はいつもより早く6時、薄暗い中をスタートしました。
雑木林の枝の間を通して見える、茜色の空が素敵です。
写真に撮りたいと思うのですが、上手く行きません。

きれいにとるには三脚が必要なようです。
 
土の道や畑には霜が降りています。

明日からは冬型が緩んで雨も降りそうです。

今朝も雲が出ていますが富士山が見えました。
北の空には筑波山、ぼんやり日光連山も見えます。

 
今年も終わりに近づきました。
今日は竹垣作り、古くなったものを薪にして、
秋に切った青竹で作りかえます。
新しい竹垣で飾れるというのが仕事柄の特権です。
明日完成予定です。

渋沢栄一と渋沢敬三

2012-12-16 18:31:31 | 歴史と人類学
今日はめずらしく暖かい一日でした。
公民館で午前と午後、かご編み教室があり、明日の夕方小平に戻るので、
家の片付けもあって、あれこれバタバタしました。
 
選挙は5日に期日前投票を済ませています。
自分が投票しないと開票速報の面白さが味わえません。
 
朝のうち、まだ朝靄が残っているうちに走り始めました。


奥の地区は集落の入り口近くに門松を飾っていました。

地元の人が作っています。なかなかの出来栄えです。

 
山には黄葉が少し残っています。1月になれば全部落葉して「山眠る」と言う感じになるでしょう。


 
近頃城山三郎を読み始めました。
城山三郎は経済界を舞台にした小説が多いと思っていたので、経済に縁がない身として敬遠していたのです。
 
関心を持ったきっかけは、彼の原作のNHKオンデマンドで見た昔の大河ドラマ「黄金の日々」が面白かったから。これは堺の商人ルソン助左衛門を主人公にしています。
 
今読んでいるのは渋沢栄一を主人公にした「雄気堂々」、文章のよさと、人を見る目の優しさに感じ入りました。まだ沢山作品があるのでこれからが楽しみです。
 
渋沢栄一は聞いたことがあるものの実績はほとんど知らないので、この小説ですごい人物ということがよく分かりました。
 

今までは彼の孫にあたる渋沢敬三の方に興味を持っていました。この人も大蔵大臣まで勤めながら一方で民族学者として名高く、民族学の宮本常一や歴史家の網野善彦のような飛び切り優れた人たちを応援した人としても知られています。その家の伝統のような奥行きの深さ、血筋のようなものを感じますね。

地球大進化

2012-12-12 14:57:43 | 歴史と人類学
今朝も冷え込んでいます。
 
こんな時でも以前は暗い内から走り出して、
フードの紐を汗が滴って、凍ったこともありました。
今はとてもそんな気持ちにはなれませんね。
どんなに頑張っても歳には勝てません。
でも出来ることを大事にやって行きましょう。

 
今は東京でも掛川でも朝食を食べて6時半過ぎにスタートします。
糖質制限食をやっていて、朝食だけパンを食べ、その後で走ります。
運動には炭水化物は不可欠なので、朝食後走ることにしたのです。
 
霜が降りて、奥の地区の田圃には昨日の風花と霜で雪が降ったように白くなっていました。


リュウノウギクやノハラアザミがまだ咲いています。

リュウノウギク

ノハラアザミ

これが最後でしょう。

 
NHKオンデマンドで、2004年に放送されたNHKスペシャル「地球大進化、46億年人類の旅」を見ています。生命の誕生から現代の人類に至る進化の歴史をたどった7回シリーズの番組です。
 
放送された当時見ていなくて、今見て何とすごい番組かと驚いています。
球の46億年の歴史の中で大隕石の衝突や大火山の爆発、寒冷化で全地球の凍結、大陸移動による寒冷化などなど、さまざまな大変動がありました。それをくぐり抜けることによって
生命は進化し、現代に至っています。

 
その中で人類は急速に発展し、特に遺伝子による進化ではなく、知性と言葉、文化を通じて社会を発展させてきました。そのスピードはどんどん加速しています。
 
この先どうなるのでしょうか。高齢化と人口減少は先進社会では普通に見られる現象です。中国やインドもいずれそうなるでしょう。社会が停滞するのではという予測があります。
 
それを克服する道の一つは、最近よく主張されているように高齢者の活性化かもしれません。インターネットの時代、体の自由が利きにくくなった高齢者こそそれを利用する利益が大きくなります。
 
積極的に新技術を活用して、社会の中で出来ることをやっていこう、そういう道がいろいろあるような気がします。私たちまだまだ役に立つんですよね。

マット・リドレー著 「繁栄」 明日を切り拓くための人類10万年史 

2012-11-19 22:33:01 | 歴史と人類学
16日から掛川に来ています。暦の上では冬ですが、感覚としては晩秋、このあたりの山も色づいて来ました。


空は青く晴れ渡り清々しい日が続くようになりました。こんな時の掛川での一人暮らしは最高です。

 
リュウノウギク 野菊の中で菊らしい菊です。

こんなことを言うと、小平の家内にすまなくはないの?と言われそうですが、実は家内も一人暮らしを喜んでいます。たとえ夫婦でも少しは気を使いますから、毎日を自分のためだけに使う一人暮らしはとても充実しているようです。

コウヤボウキ
 
今日はめずらしく本の紹介をします。小平の図書館で歴史書を眺めていてこの本を見つけました。書評でもお目にかかったことはない初めて見る本で、人類の歴史を進歩、として見るという今時かえってめずらしい立場の本です。
 
実は私自身は若い頃から進歩史観に反感を持っていました。指導教授の鈴木成高先生の影響もあるでしょう。最近でもボルネオのプナン族や、ブラジルのナンビクワラ族のような狩猟採集の少数民族に関心を持ってきました。それらの民族は生活環境の熱帯雨林の伐採が進み、民族としては滅びようとしています。

リンドウ
 
彼等の生活には現代文明とは方向の違う深い叡智が満ちているともいえますが、彼等の生活環境をたとえ守れたとしても、彼等の子供達をそのままにしておいていいのか、一旦現代文明と接触した以上医療や教育の機会も与えられなければなりません。それは結局彼等の古来の生活を捨てることになり、その結果現代のそれも最下層に加わることになるでしょう。
 
狩猟採集の生活と言っても自給自足ではありません。プナン族の見事な背負い籠も物々交換用で、周りの民族から塩や鉄などを手に入れる手段です。彼等が移動生活をしているのもそこに追いやられたからなのかも知れません。彼等も新しい事態に対応していかなければないでしょう。

 
コウテイダリヤ 地元の人たちが川岸で育てています。

私たちは否応無しに現代のグローバリズムに巻き込まれていきます。竹細工もその流れの中で消えていこうとしています。
 
でも人は手先を使って物を作り出すのが大好きです。現代社会の中で人間のもっとも古くからある技術を体験することは、ともすれば見失われかねない人間の全体性を体験するものとして、スポーツと同様大切な意味を持つと思います。
 
さてこの本は原題がRational Oputimist 合理的楽観論者というもので、この方が内容をよくあらわしています。人類の歴史を交換と分業と言う視点から分析し、将来に対する堂々たる楽観論を展開しています。

公民館の前のイチョウの木。誰も銀杏を拾いません。
 
本の中で何度も出てきますが、自給自足は貧困化以外のなにものでもない、人は交換によって豊かになり、分業によって余暇時間を獲得する、それが豊かさを産んでいくという主張は説得力があります。
 
さて私にはなんでも自分の手でやりたがる傾向があります。最近でもフローリングの張替え、壁紙の張替え、庭の植木の手入れなど、いつも結構忙しくしています。本当は専門家に任せた方が出来栄えもいいし、楽なのですが、収入が低いのでお金を掛けたくない。貧乏だから自分でやるのか自分でやるから貧乏なのか、ちょっとわからなくなります。
 
でも自分で手をかけてやるのが好きなんですね。これは性分だから仕方がない。でもそれを貧乏性というのでしょう。

写真の中央の家が私の家、下の家が杉を何本か切ったので対岸の山から見えるようになりました。
 
11月7日で69歳になりました。この歳になって今までの歴史観を全否定するような本に出会って、すっかりそれに魅惑されてしまうと言うのは軽薄そのものです。でも君子豹変す、ともいいますからね。
 
上下二巻の最終段階で、将来のエネルギー源の一つとして原子力発電を挙げているのは、今の段階としてはどうかと思います。世界を見渡しても悲惨な状況は変わらないような気もしますが、原子力以外のエネルギーを開発して乗り越えていくでしょう。
 
この本は自省も含めていろいろ考えさせられる本です。
 

ボルネオのかご

2012-09-15 09:18:42 | 歴史と人類学
クアラルンプールで買ってきたプナン族の籐の背負いかごを、
クラフトテープで編んでいます。


初めは胴体から編むのか底から編むのか分かりませんでしたが、
胴体から編んでみて、これでいいと分かりました。
でも底編みのやり方、なかなか複雑で一筋縄ではいかないようです。

 
ところでボルネオ関係の本を読んでいるうちに、
インドネシア領のボルネオカリマンタンにも、似たかごを編む部族がいることが分かりました。
ダヤク・ケニャ族です。
 
この部族は、定住して焼畑農耕をしており、レヴィ=ストロースが「野生の思考」のなかでペナン族(プナン族)の独特な名前の付け方として考察しているものと、よく似た名前の付け方を持っているようです。井上真「熱帯雨林の生活」1991年 下の二枚の写真はこの本から取ったものです。
 
プナン族は周辺の定住民ダヤク・ケニャ族と交易して、鉄や塩、タバコなどを手に入れていました。プナン族は籐や沈香や樹脂などを渡していたようです。
 
ダヤク・ケニャ族にもいろいろな名称のかごがあり、私が持っているような目の詰んだ背負いかごはアンジャッと呼ばれているようです。


ダヤク・ケニャ族の集会所の壁に描かれている絵は独特のもので、赤ちゃんを背負うかごや正装の模様も同じです。かごの網代模様といい、模様自体に意味があるのでしょうか。


このケニャ・ダヤク族の生活についての動画がネット上にあります。同じ模様が出てきます。
 
 
ボルネオではインドネシア領でもマレーシア領でも熱帯雨林の伐採が進み、原住民の生活が脅かされています。マレーシア領のサラワク州でも森林伐採が進み、1980年代にプナン族が世界に知られたのは、森林伐採のためのトラックやブルドーザーの通り道に彼等がバリケードを作って、伐採の進行を阻止しようとしたからです。
 
その戦いは奥地のダム建設への反対運動として周辺民族も巻き込んで今も続けられています。
 
伐採された樹木の60%は日本に輸出されていました。ラワン材として合板の表面に張られています。伐採された後にしばしば植えられるパーム椰子も日本や欧米に、輸出されマーガリンや食用油、洗剤等に利用されています。
 
一方で日本の森林は手入れもされず放置されています。山村は高齢化が進み、高齢者中心の小規模農業はイノシシに脅かされています。掛川の私の家のまわりもイノシシに掘り返されています。
 
私が生きてもせいぜいあと20年、世の中はどんどん変わっていきます。その進み方についていけなくなっています。未来の子供達のために何を残せるのか、私に出来るのは全く個人的なことだけです。
 
11月から小平と掛川で、竹のかご編み教室を始めます。