3日は久しぶりに小平グリーンロードを一周しました。

わが家からだと22キロコース、先週の日曜日の大井川マラソンの疲れがまだ残っていたのか、
19キロあたりで転倒して、右の頬骨の辺りと唇の上をすりむきました。
足には異常がなくその後も走って帰りました。
傷は軽いものの場所が場所だけに目立ちます。

小さい溝の下を野火止用水が流れています。この溝ではホタルが飼育されます。
そこで一種の絆創膏だけど、水洗いするだけで傷に貼り付け、自然治癒を待つという新しいタイプの絆創膏を貼りました。これだと皮膚の自然治癒力を利用するので、かさぶたにもなりません。
時々テープの下から体液が流れてきますが、痛みはありません。貼ったものは体液で白くふくらんで、時々液体が漏れてきます。体液を出すことで傷を癒しているんですね。
顔の二箇所に赤い傷じゃなく白い絆創膏があるので、見栄えがよくありません。
4日はそんな顔で神田まで映画を見に出かけたので、時々人の視線を感じました。
いつもは私の顔など見る人なんかいないのにね。
人目に立つ服装って人の目を感じる快感があるのかもしれません。
神田では古本祭りの最終日で、古本を並べた屋台や食べ物の屋台が沢山出ていました。賑やかであまり見たことがない神田の一面を見た気がします。

岩波ホールで「ハンナ・アーレント」という映画を見ました。
ドイツ生まれのユダヤ系の政治哲学者として有名な人です。
彼女はハイデッカーの弟子で、一時愛人関係にもありました。
でもハイデッカーはナチスに迎合する態度を取ったために離れて行きました。
彼女はその後フランスに渡って危ういところを収容所送りを免れ、アメリカに逃れます。
アイヒマンが逮捕されてイスラエルで裁判が行われた時、彼女は傍聴します。
その時のアイヒマンはいわゆる極悪人というよりも、普通の役人という感じでした。
ユダヤ人の虐殺を初めは悪いことと感じたものの、上官の命令とあって義務としてそれに従った、
その後は何も感じずにひたすら任務を遂行していった、命令に従っただけだから悪いことはしていないと言うのです。
アーレントは官僚的な用語を話す彼の平凡さに驚き、雑誌への寄稿の中で、「悪の陳腐さ」と表現します。彼を特徴づけるのは思考の欠如であり、この特徴は現代社会に蔓延しつつあると語ります。
アーレントの傍聴記事はユダヤ社会の憤激を招き、周囲からのバッシングを受けます。
映画の中ではじめに登場する名前はハンス・ヨナスです。彼は彼女と同じくユダヤ系でハイデッガーの弟子です。彼もハイデッガーがナチスに迎合したために彼の元を去り、英軍の反ナチスユダヤ人部隊に入隊します。終戦後ドイツに戻ると母親はアウシュビッツで殺されていました。そして彼はアメリカに移住します。
アーレントとは長い間親しい友人でした。
ハンス・ヨナスは戦前古代末期のキリスト教の異端グノーシス主義の研究を書いて、私もそれを読んだことがあります。その後倫理学者として「責任という原理」を書き、この本を数年前に見つけてなつかしくて買っていますが、いつものようにまだ読了していません。
映画の中では彼もアーレントの見解に反対しています。

映画の中には出てきませんでしたが、アーレントが苦しい時代に支えてくれたのは、実存哲学者ヤスパースでした。ヤスパースの奥さんがユダヤ人であったために彼はナチスからにらまれていました。彼は妻がつかまるなら自分も一緒に死ぬという覚悟で妻を守り抜きます。でもアメリカ軍による開放が数週間遅れたら、彼も妻も強制収容所に送られることになっていました。
ヤスパースの勇気は暗い時代のアーレントにとって貴重な灯火だったようです。往復書簡集も出版されています。ヤスパースも戦争責任論を書いてドイツ国民からバッシングを受けますが、屈しませんでした。
ヤスパースの「歴史の起源と目標」はマルクス主義華やかな学生時代、それに対抗するため読んだものでした。
昔読んだ本を読み返すのもこれからの楽しみの一つです。
おかしな顔をして神田まで出かけていってよかった。

現在高群逸子について書いたブログの記事が中断しています。それは石牟礼道子が書いた「最後の人 詩人高群逸枝」を読みかけているからです。こちらも読書の範囲が広がっていきます。読む時間はあまりないのに。こまったものです。