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農民の世界歴史(連載第50回)

2017-07-03 | 〆農民の世界歴史

第12章 グローバル化と農民

(1)モノカルチャーの盛衰

 農業は長い間、土地の人間の食を充たすために反復継続される地場産業の典型であり、生産物が何千何万キロも離れた外国に輸出されるということはなかった。そうした農業の言わば土俗性が決定的に変化し、今日的な意味でのグローバル化が最初に起こったのは、資本主義を土台とした近代帝国主義の時代であった。
 その起源は大航海時代後、東インドや西インド(カリブ地域)に侵出した列強が開始した商品作物の強制栽培プランテーションにあるが、19世紀以降の近代帝国主義の時代には、とりわけ「アフリカ分割」によってアフリカ各地へ侵出した列強による農業支配下での単一栽培制度(モノカルチャー)において頂点に達した。
 元来、アフリカの農村は自給自足と結束の固い部族的共同体による互助のシステムが確立されており、まさに地産地消の模範のような豊かな、ある種の共産主義によって充足していた。ところが、列強が強いたモノカルチャーで栽培される産品は、列強資本の需要に応じ、カカオや茶、モロコシなどの穀類、ゴムといった総じて嗜好品や飼料、工業用植物などに偏っていた。
 例外的に主食の帝国主義的モノカルチャーの例として、日本統治下の朝鮮における米産モノカルチャーがある。これは米騒動を契機に、朝鮮での産米増殖計画を強制し、増産分を日本内地に輸出して米不足の担保とするものであった。
 モノカルチャー経済下で共通する現象は農民の窮乏化と労働者化であるが、特にアフリカでは伝統的な農村共同体の解体と、自給自足システムの崩壊であった。その永続的効果は深刻であり、かつて豊かだったアフリカを貧しいアフリカに変えた。今日まで尾を引くアフリカにおける貧困や飢餓の下部構造的要因はモノカルチャー経済に存すると言っても過言でない。
 このようなモノカルチャーは、20世紀半ば以降の独立後も、新興独立諸国の農業経済に継承されていった。その中には単一産品の国際価格の上昇に応じて独立当初の国作りに寄与した例もあるが、国際価格が低迷するとたちまち挫折することとなり、モノカルチャーからの脱却は多くの途上国にとって大きな課題となっている。


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