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核兵器&死刑禁止条約

2017-07-08 | 時評

7日、国連本部で核兵器禁止条約が採択された。それ自体としても人類史上画期的なことであるが、これにより、約30年前に採択された国連死刑禁止条約と合わせ、少なくとも国際連合の枠組みでは核兵器&死刑に関して、これを法的に否定する政策が出揃ったことになる。

もっとも、論者の中には、核兵器禁止条約に賛成しつつも、死刑禁止条約には反対ないし懐疑的という向きもあるかもしれないが、核兵器が究極の兵器であるのに対し、死刑は究極の刑罰、どちらも人間の生命を究極的に奪う権力行使として共通性を持っている。とりわけ「抑止力」を最大の根拠として正当化される核兵器と死刑の共通性は濃い。

そうした内的連関性を持つ両者を否定する旨を国連が70年がかりで条約化したことの意義は、過小評価できない。ただし、いずれも条約としては「弱い」条約である。

核兵器禁止条約は、200近い国連加盟諸国のうち約三分の二に当たる122か国の賛成を得たが、核保有五大国はもちろん、日本のような大国の核傘下国も交渉すら拒否した。死刑禁止条約は、1991年の発効から25年を経た2016年時点で85か国が批准しているにすぎない。

こうした勢力ないし数の劣勢は否めず、そうした弱さを突いて両条約の意義を否定しようとする国―その代表が日本―も存する。しかし、当面の事態対処的な条約ではなく、未来に向けた理想を掲げる条約の場合、問題は勢力や数ではなく、その内容で意義が決まる。

もう一つの弱さは、条約の読み方にもよるが、いずれも核兵器なり死刑なりの当面の「禁止」に重点があり、後戻りできない「廃絶」を明言しないことである。ただ、これはいきなり廃絶に踏み込むことで、加盟諸国の合意形成が難しくなることを回避する技術的手段と考えれば、条約は廃絶を否定していないと読み取ることは十分可能である。

ちなみに、五大国の状況をみると、両条約とも批准しないのは米・中・露(露は死刑執行凍結中)、死刑禁止条約は批准済みだが、核兵器禁止条約を批准しないのは英・仏と対応は分かれている。五大国すべてが両条約を批准する日が来るとしたら、それは世界革命の日かもしれない。


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