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近代革命の社会力学(連載第427回)

2022-05-16 | 〆近代革命の社会力学

六十一 インドネシア民衆革命

(1)概観
 冷戦終結とソヴィエト連邦解体の余波が一段落し始めた1990年代末以降も、世界各地で革命事象は続いていくが、この頃から、明確なイデオロギーを標榜する革命組織によらない未組織民衆の蜂起によって体制が崩壊し、その後も革命政権が樹立されない「革命」が多くなる。
 これは、従来の革命の定式からすると、革命そのものより半革命的な「民衆政変」と呼ぶべき事象であるが、単に為政者の失権・交代にとどまらず、政治経済構造の変革にまで及んだ限りでは、非定型な革命に類別できる事象である。そのような伝統的な革命概念に当てはまらない非定型革命の代表的な事例は、21世紀まで残余数年に迫った1998年5月のインドネシア民衆革命である。
 インドネシアでは、1949年独立革命の指導者スカルノによる大政翼賛的な体制(NASAKOM体制)が60年代前半までに確立されていたが、体制に取り込んだ共産党と結ぶ一部将校による1965年のクーデターが失敗に終わった後、陸軍による鎮圧作戦を指揮したスハルト将軍が急台頭し、50万乃至100万人とも推定される共産党員や党支持者と疑われた者を大量殺戮したうえ、最終的に圧力でスカルノを辞職させ、1968年に自ら大統領に就任した。
 以来、スハルトは自身の出自組織である軍部と翼賛政治団体ゴルカルを権力基盤に、無競争での形式的な大統領選挙で多選を重ね、30年にわたりアジアで最も強固な親米派独裁体制を維持していたが、冷戦終結後も盤石と見えた体制をあっけなく崩壊に導いたのが1998年の民衆革命である。
 その発生過程は12年前のフィリピン民衆革命と類似しているが、結果はかなり異なり、インドネシアではスハルト大統領の辞職と副大統領の昇格という当時の憲法規定に沿った穏当な結果で収束した。
 この結果のみに注目すれば、これは為政者の合法的な交代をもたらしただけの民衆政変とも言えるが、政権を継承したユスフ・ハビビ新大統領はスハルト側近者の出自でありながら、脱スハルト化をかなりの程度推進し、言論自由化や民主的な政党法・選挙法の導入などの民主化措置やスハルト一族の不正追及にまで踏み込んだ。
 そのうえ、翌1999年の新制度下での総選挙ではスカルノ長女のメガワティ・スカルノプトゥリを擁する野党が第一党となり、続く大統領選挙でも従来は権力の外にあった穏健派イスラーム指導者アブドゥルラフマン・ワヒドが当選し、ゴルカル翼賛体制は解体された。
 ゴルカルは単なる政党にとどまらず、スハルト時代の政治経済構造全般の支配機構でもあったため、短期間でゴルカル体制の終焉をもたらした1998年の政変は革命的な変革に及び、さらに余波として東ティモールの分離独立も導いた点から見ても、やはり革命事象に数えられる。


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