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近代革命の社会力学(連載第428回)

2022-05-17 | 〆近代革命の社会力学

六十一 インドネシア民衆革命

(2)アジア通貨危機とスハルト体制の動揺
 1980年代まで、スハルト体制は近隣フィリピンのマルコス体制と並び、しばしば「開発独裁」とも称される経済開発至上の反共親米体制として比肩されていたが、一足先にマルコス体制を打倒した1986年フィリピン民衆革命はインドネシアに波及することはなかった。
 その秘訣として、ゴルカル支配機構の存在があった。ゴルカルとは実質上スハルトとその最大権力基盤である軍部が動かす政治経済支配のマシンであって、一政党にとどまらない職能団体の位置づけであった。選挙に際しては政党として機能するが、一般政党の地方における草の根活動を制限する一方で、ゴルカルは草の根レベルで組織されていたため、選挙では常勝するべく仕組まれていた。
 結局、スハルト体制の実態は、それ自身もビジネスを展開し、経済利権を有する軍部がゴルカルを通じて政治経済を包括的に支配するという形で、当時の世界にあって最もシステマティックに、かつ民主体制に似せて構築された軍事独裁体制と言えた。それだけに、所詮は文民独裁体制であり、最期には軍上層に離反されたマルコス体制よりも強固であり、1990年代に入っても揺るがなかった。
 それが90年代末に突然動揺を来たした要因としては、1997年のアジア通貨危機が決定的であった。当時のインドネシア経済は堅調で、充分な外貨準備を保有していたが、通貨危機発端のタイが自国通貨バーツの変動相場制を緊急導入したことで、インドネシアもあおりを受けた。
 ここでインドネシア通貨当局が為替介入し、さらに変動相場制へ移行したことで、ルピアが下落し、外貨準備の枯渇、インドネシア株の暴落という連鎖反応を招いた。その後、世界銀行や蜜月関係にあった日本など国際社会からの緊急支援も虚しく、97年11月以降、通貨危機が深刻化し、元来脆弱な金融システムは崩壊危機に瀕し、急激なインフレーションと物価高騰を惹起した。
 こうして、インドネシアはスハルト体制創始以来最大の経済危機に陥るが、スハルトは1998年3月の国民協議会(国会)による間接選挙(複選制)で、改めて大統領に選出され、連続七選を果たしたうえ、副大統領に技術者・財界人で閣僚経験も有するユスフ・ハビビを起用した。
 このようなスハルトの権力への執着も市場の警戒感を助長し、ルピアの下落は一層亢進した。そうした中で、政界やインフレに直撃された市民の間でも、スハルト自身を経済危機の元凶とみなす意識が急速に高まっていく中、98年4月以降、民衆蜂起の土壌が形成されていった。


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