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近代革命の社会力学(連載第375回)

2022-02-03 | 〆近代革命の社会力学

五十五 フィリピン民衆革命

(1)概観
 ハイチ民衆革命からおよそ2週間後、フィリピンでも同種の民衆革命が勃発した。フィリピン民衆革命は、1986年2月22日から同月25日のわずか3日間で電撃的に生じた点で、ハイチのそれとは対照的であったが、革命の経緯及び動因には類似する点が多い。
 当時のフィリピンの場合も、1965年以来、連続して大統領の座にあったフェルディナンド・マルコスが70年代以降、夫人を含めた一族による長期独裁体制を確立して、経済的利権をも独占する状況にあり、こうした一族支配への国民各層の反発が80年代半ば以降、強まっていた。
 そうした中、マルコスがさらなる政権継続を狙って1986年2月に実施した大統領選挙では、いったんマルコスの「当選」が発表されたものの、現職陣営による露骨な不正投票の実態が集計現場から暴露されると、民衆の憤激を招き、全土規模での民衆蜂起に発展した。
 最終的には、政権の支柱でもあった軍部の離反を招き、アメリカの仲介を経て、マルコス一家がハワイに出国、野党対立候補コラソン・アキノが改めて正当な当選を宣言して、革命はひとまず収束に向かった。
 このように不正投票が民衆蜂起の契機となった点でも、革命の前年、不自然な高率による承認のために不正投票が疑われた憲法改正国民投票が一つの契機となったハイチ民衆革命と類似している。また、アメリカが外圧により親米独裁政権の終焉を手引きした点でも、同様の力学が見られた。
 それでも、同年同月の革命ながら、フィリピン革命をはるかに人々の記憶にとどめたのは、フィリピン革命では革命の過程がテレビ報道を通じて全世界に配信されたためであった。当時はまだ汎用インターネットの登場前であったが、テレビジョンの全盛期であり、国際報道も盛んになっていた時期である。
 そのため、全世界がフィリピン民衆革命を共時的に視聴体験することとなり、革命のスローガン「ピープル・パワー」は時代のキーワードともなった。こうして、1986年フィリピン民衆革命は、現在であればインターネット動画を通じて配信されるであろう、言わば「スペクタクルの革命」としても、新時代の到来を予感させる革命事象であった。
 このピープル・パワー革命は、アジア全域に一定以上の波及効果を持ち、1987年の韓国における民主化運動(6月民主抗争)、1988年のビルマ(現ミャンマー)における民主化運動(8888民主化運動)、さらには89年の中国における学生蜂起(64天安門事件)などに間接的に影響した。ただし、これらの波及事象はいずれも革命には進展していない。
 また、1989年に始まる中・東欧からモンゴルまでユーラシア大陸に広く及んだ社会主義諸国における連続革命も民衆革命の性格を持っており、直接的ではないにせよ、ピープル・パワーを見せつけたフィリピン革命の波及効果を認識できる事象であったと言える。


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