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健康保険証廃止の不条理

2022-10-13 | 時評

13日に発表された2024年秋をめどとする健康保険証廃止と個人識別票(俗称マイナンバーカード)への統合という政府の新方針にはすでに多くの批判や反発、困惑が噴出しているようであるが、それも当然、まったく道理に合わない不条理な策だからである。

マス・メディア各社は、この新方針について、「(カード所持の)実質義務化」という誤導的なフレーズを躍らせて、これまで不所持だった人を取得に走らせようとしているが、「実質義務化」というのは、成り立たない話である。

個人識別票そのものの取得は任意とされながら、健康保険証を国民全員から取り上げたうえ、個人識別票を所持していない限り、健康保険に加入し、保険料も全納しているのに、法的には義務でない個人識別票を所持していないというだけで保険診療を拒否し、全額実費請求することは不可能だからである。

仮にそのような処理を許すならば、そうした診療拒否は違憲・違法となることは明白であるので、結局のところ、あくまでも個人識別票を所持しようとしない人には、特例として何らかの資格証明手段を認める補足対策が必要になるだろう。

タイトルでは「不条理」と抑制的に記したが、運転免許証のような経済的権利に関わるものを一体化するならまだしも、一律的に保険証を廃止し、生命・健康に関わる健康保険を盾に取って、個人識別票取得率100パーセントを達成しようとすることは、「非道」と言って過言でない。

政府が全体主義的な信条に基づき、個人識別票の全員所持を義務付けたいのであれば、大本である法律(行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律)を改正して、法的にも個人識別票の所持及び携帯を義務付け、不所持には懲役刑を含む刑事罰を科せばよい。なぜそうはせず、健康保険を盾に取るような姑息な奸策に走るのだろうか。

これは想像の域を出ないが、政府も罰則付きで個人識別票の所持を義務付けることの憲法違反性を認識しているためではないか。そこで、個人識別票を事実上の健康保険証にすりかえれば所持率を100パーセント近くまで持っていけると打算した。そして、「実質義務化」のフレーズの後押しで、これまで不所持だった半数近い人々が取得に走り出すことも狙う。政府に従順な順応性の高い国民性のことも計算に入っているのだろう。

では、そうまでして政府が個人識別票所持率100パーセントを達成したい理由は何か。旧民主党政権時の導入理由である行政効率だけではなかろう。やはり顔まで含めた国民一人一人の個人情報の一元的な取得・管理への野望があり、さらには「実質義務化」にあえて背き、不所持の抵抗を続ける反抗分子のあぶり出しも容易になる。

要するに、社会保険、徴税から交通、治安に至る広汎な行政目的で総合活用できるのが個人識別票制度であり、所持率100パーセントを達成することで得られる統治利益は計り知れない。

ちなみに、個人識別票を所管する総務省は治安を司る警察庁とは旧内務省の〝同窓〟関係にあり、個人識別票情報を治安目的で密かに共有し合うことは技術的に可能であり、法的にも上掲法律の施行令では少年法や破壊活動防止法、暴力団対策法、組織犯罪対策法等々の治安目的による特定個人情報(番号を含む個人情報)の提供はすでに認められているところである。

筆者は先行連載『近未来日本2050』の中で、2050年の日本の状況について、ファシズム体制が樹立され、そこでは警察支配社会の中、「外出時における顔写真付きマイナンバーカードの常時携帯・呈示義務も課せられ、違反に対しては反則金が課せられるだろう。」と予言したが(拙稿)、どうやら、こうしたディストピアは2050年より前倒しで実現しそうな雲行きである。

 

[補足1]
筆者は、社会保障番号制度や電子保険証の制度化には反対しない。年金を含めた社会保障サービスの統一的かつ総合的な提供は国民の利便性を増すからである。新方針に追随する一部の御用識者の中には、「諸外国ではすでに導入済み」などと〝解説〟する向きもあるが、そもそも国家が顔写真を含めた個人情報を一元的に取得・管理することは自由を抑圧する全体主義的施策であるから、マトモな諸外国では個人識別票のような制度自体を導入していない。個人識別票と社会保障限定での電子的な利便向上策を混同する議論は反啓蒙的とさえ言える。

[補足2]
本文で述べたとおり、カード不所持者を保険診療から排除するような「実質義務化」は無理筋であるから、何らかの補足対策は打たざるを得ないと想定されるが、仮にそうはならなかった場合、信条からあくまでも個人識別票を所持しない人々は保険診療も受けられず、あえて言えば非国民的な無権利状態に置かれる。それでも信条を貫くには、何らかの結集が必要であろう。例えば、集団訴訟行動を展開するとか(日本の行政追随司法には期待できないが)、商業医療保険を活用するなど個人的な対抗策を集団的に研究するなどである。

 

[追記]
各界からの批判を受け、首相はカード不所持者に対しては「資格証明書ではない制度」による保険診療の提供を認める方針を示したが、これが現行保険証に相当するような簡易な証明制度を創設する趣旨ならば、カードの100パーセント取得の目論見は達成できなくなるであろう。となると、最終的には、カード不所持者が何らかの形で所持者より不利に扱われるような策―例えば、医療機関窓口での本人確認に時間を要し、診察順を後回しにされるなど―が持ち出されてくるはずであるが、個人識別票の取得自体を任意とする限り、そうした不平等な取り扱いは不当な差別になるだろう。

[追記2]
政府は、本年4月から、個人識別票と一体化されていない保険証による保険診療の受診料を引き上げる方針を発表した。このような正当理由を欠く制裁的な加重料金制度は不当な差別であり、憲法14条に反することは明らかであるが、将来の保険証制度廃止後の措置として個人識別票を所持しない人に対する不平等な扱いの一端が見えてきたと言える。


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