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近代革命の社会力学(連載補遺32)

2022-10-14 | 〆近代革命の社会力学

十七ノ四 モンゴル再独立‐社会主義革命

(1)概観
 モンゴルでは、辛亥革命を契機とする最初の独立革命が中華民国に配慮したロシアの介入もあり、領域的に外モンゴルに限局され、かつ中華民国宗主下での自治という中途半端な結果に終わったが、この外モンゴル自治国はロシアを後ろ盾としたため、ロシアの影響を直接に受けることとなった。
 その過程で、帝政ロシア末期に急速に台頭したマルクス‐レーニン主義のボリシェヴィキ革命運動の影響も受け、モンゴルにも同主義を奉じる秘密結社が結成され、これがソ連の支援も受けて、モンゴル再独立運動の中核に成長していく。
 一方、ロシア革命によって帝政ロシアが打倒されると、中華民国はモンゴル支配の回復を目指して攻勢をかけ、いったんは自治の撤廃とボグド・ハーン政権の廃止を実現した。これに対して、1921年、モンゴル社会主義者が前年に結成していた人民党を中心に決起、ソ連赤軍の支援も受けて、ボグド・ハーン政権を復旧させた。
 この再独立革命は活仏を戴くボグド・ハーン政権の復旧という限りでは王政復古に近い事象であったけれども、その担い手は親ソ連派の社会主義者たちであり、究極的にはソ連に範を取った社会主義体制の樹立を目指していた。
 そのため、1924年にボグド・ハーンが死去すると、後継のハーンを立てることなく、無血のうちに社会主義のモンゴル人民共和国の樹立が宣言された。この再独立から人民共和国樹立に至るプロセスはほぼ一連のものであり、包括して再独立‐社会主義革命ととらえることができる。
 この革命はしばしばアジア地域初の社会主義革命とも規定されるが、基本的にロシア革命の余波であるとともに、その背後には、ソ連を中心とする国際共産主義団体コミンテルンを通じたソ連による革命輸出策の結実という側面があった。
 そのため、新生モンゴル人民共和国は、外モンゴルを領土とした限りではボグド‐ハーン政権を継承しつつ、法的には中華民国宗主下を脱し、独立を確保したとはいえ、以後、一貫してソ連に忠実な衛星国の地位を維持した。
 ちなみに、ユーラシア大陸をソ連をはさんで東西に眺めると、西でソ連に隣接するフィンランドの社会主義革命は内戦の末に未遂で終わったのに対し、東で隣接するモンゴルでは再独立‐社会主義革命が円滑に成功した点で好対照を示したことも、ソ連赤軍の支援の有無が決定因となっている。


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