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近代革命の社会力学(連載第323回)

2021-11-04 | 〆近代革命の社会力学

四十七 インドシナ三国同時革命

(1)概観
 インドシナ三国同時革命とは、1975年という一か年内に、インドシナ半島を構成するカンボジア、(南)ベトナム、ラオスの三国において同時的に社会主義革命が成立し、大規模な体制変動が生じた事象を指している。
 過去の革命においては、1848年の第二次欧州連続革命(諸国民の春)のように、連環した広域において、同年度内に様々な志向性を持った革命の波が生じた事例はあるが、インドシナ三国同時革命は三国における革命が完全に連動した社会主義革命として一挙的に生じた点で際立っており、まさに同時革命であった。
 その点、アメリカは、特定の一国で「共産主義革命」―アメリカがそうみなす事象―を許すと、その効果が周辺諸国にもドミノ倒しのように波及し、周辺地域全体が「共産化」される危険があるとする「ドミノ革命」理論を、親米国での革命に対して軍事干渉を試みる際の正当化として援用してきたが、インドシナ三国同時革命はまさに「ドミノ革命」の例証とも言える事象であった。
 ただし、このような事象は近代革命の歴史上も稀有であり、インドシナ革命以外に類例を認めない。同時革命が成立するには、複数の国において、相互に密接に連携した勢力が協働して同時的に革命過程を主導しなければならないところ、国情も社会情勢も異なる複数諸国間でそうした連携革命を実行するのは力学的にも至難である。
 インドシナ半島でそのような至難事が可能となったのは、1970年代前半に半島全体が連動した戦場となる第二次インドシナ戦争が勃発し、この拡大地域戦争またはそこに内包された三国それぞれの内戦の交戦当事者でもあった三国の社会主義勢力が勝利し、革命を成功させたからである。
 そうした同時革命の核心となったのはベトナムであり、第二次インドシナ戦争も、その端緒はベトナム独立革命/戦争(第一次インドシナ戦争)が終結した後、南北分断国家となったベトナムにおいて、親米・反共の南ベトナム体制に対する北ベトナム及び南ベトナム解放勢力による革命運動と、これを排撃しようとするアメリカ及び南ベトナムの間での戦争―ベトナム戦争―にあった。
 このように共通動因から生じた同時革命であるが、その後の経過は、社会主義体制が安定的に維持されていったベトナム・ラオスと、社会主義体制がある種の狂信化を来たして空前規模のジェノサイドを引き起こしたカンボジアとで大きく分かれていく。


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