ザ・コミュニスト

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近代革命の社会力学(連載第396回)

2022-03-17 | 〆近代革命の社会力学

五十六 中・東欧/モンゴル連続脱社会主義革命

(8)アルバニア革命

〈8‐1〉独裁者の死と限定改革
 アルバニアは、第二次大戦中にイタリア及びドイツの枢軸占領軍を駆逐したレジスタンスの指導者であったエンヴェル・ホジャを絶対的指導者とする他名称共産党である労働党の一党支配体制がホジャが病死する1985年まで継続された。
  ホジャのスターリン主義的独裁―後年ソ連・中国とも絶縁したため、ホジャ主義とも称される―の時代、初期には立て続けに反共武装蜂起が発生するも、ことごとく鎮圧され、反共勢力は海外を本拠にアルバニア市民の亡命を幇助する自由アルバニア全国委員会の活動に集約されていった。
 ホジャは教条的なスターリン主義者として、スターリン没後におけるソ連と中国の二大共産党支配国家いずれをも「修正主義」と断じて絶縁し、アルバニアを事実上の鎖国下に置いていたため(拙稿参照)、ホジャ死去時のアルバニアは孤立・閉塞した欧州最貧状況にあった。そのため、ある意味で、ホジャの死は平和的な体制転換の僥倖的チャンスであった。
  ホジャの後任の労働党トップ第一書記にはラミズ・アリア政治局員が選出された。彼は長年ホジャの側近であり、すでに1982年から象徴的な元首格である人民会議幹部会議長の職にあり、順当な昇進と言えた。
 アリアはホジャ忠臣として教条主義者と思われていたが、国が置かれた苦境を認識しており、就任するとホジャ主義から徐々に脱却する体制内改革に着手した。その点ではちょうど同時期にやはり前任者の死去を受けてソ連共産党の新書記長となったミハイル・ゴルバチョフに近いものがあったが、その改革はより保守的であった。
 というのも、党内にはホジャ時代からの古参幹部が残存し、中でもホジャ存命中から党幹部を務め、夫にも強い影響力を行使してきたネジミエ未亡人がなお睨みを利かせており、大胆な改革を阻んでいたからである。
 それでも、鎖国下で他の東欧諸国に見られたような対外債務問題を抱えていない利点はあったが、その反面で限界に達していた中央計画による自給体制を改革し、中央計画経済の緩和や価格改革などに取り組んだ。
 他方、1988年には反体制詩人ハヴジ・ネラに対する最後の政治的処刑を断行したが、ホジャ時代の苛烈な政治的弾圧や言論統制の緩和、旅行や観光の自由化なども段階的に進めていった。外交上も、鎖国を脱し、長く対立的だったユーゴスラヴィアなどバルカン半島諸国やイタリアとの関係改善に努めた。
 こうしたアリア指導部による体制内の限定改革策は、一方では党内保守派の間に体制崩壊の危機感を抱かせるとともに、知識人やレジスタンスを知らない戦後生まれの青年層の間にはより根本的な変革への待望を抱かせることになり、言わば新旧勢力による挟撃の状況に陥った。


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