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近代革命の社会力学(連載補遺14)

2022-09-15 | 〆近代革命の社会力学

六ノ二ノ二 テキサス独立革命

(1)概観
 アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナが主導した1834年メキシコ政変の結果、連邦制のメキシコ合衆国が集権制のメキシコ共和国に改編されると、これに反対する諸州による分離独立運動が蠕動を始めた。しかし、唯一の例外を除いて、それら分離独立運動は失敗に終わる。
 その例外が、当時北東部のコアウイラ・イ・テハス(テキサス)州に属した地域の独立である。その結果、1836年にテキサス共和国が成立したことから、これはテキサス革命と呼ばれる。ただし、テキサス共和国は10年ほど後にアメリカ合衆国に編入され、今日のテキサス州となったため、独立共和国としては短命であった。
 テキサス革命は、その発生経緯からして、前章で見たメキシコ独立/共和革命の派生事象であるが、その担い手はメキシコ政府の政策に基づきテハス地域に開拓入植していたアメリカ白人層(テキシアン)であった点に特徴がある。そうしたことから、テキサス革命にはいくつかの複合的な性格が認められる。
 一つは、冒頭に記したとおり、反集権革命という性格。その限りでは、メキシコ合衆国に属した他州の反集権・独立運動と共通するが、アメリカ白人層を担い手とする点では、18世紀アメリカ独立革命の延長線上にあるとも言えるプチ革命でもあった。
 実際、宗教政策の面でも、メキシコ政府が信教の自由を保障せず、非カトリックのテキシアンにもカトリックを強制しようとしたことも、分離独立へ向けた大きな動機を形成しており、そうした自由をめぐる革命という性格があった。
 一方、政策的な面では、テキシアンは単に集権制に反対したばかりか、メキシコ政府が緩やかながらも施行してきた奴隷制廃止政策にも反対していた。こうした奴隷制をめぐる政策的対立が動機を形成している点では、アメリカ本国で1860年代に勃発した南北戦争の先駆け的な意義を持っていたと言える。
 さらに、白人入植者の革命という性格である。その点では、19世紀末のハワイ王国の白人入植者が担い手となったハワイ共和革命と共通している。最終的にアメリカ合衆国への自発的な編入に収斂し、今日までアメリカの州として持続している帰結の点でも、両事象には共通性がある。
 メキシコ側からすれば、テキサス独立革命は一地域の分離独立にとどまらず、1840年代のアメリカとの戦争(米墨戦争)につながり、敗戦の結果として、今日のカリフォルニアを含む北方領域の大半を割譲、喪失した要因であり、ひいては今日の米墨国境線を作り出す契機ともなった。


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