ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

近代革命の社会力学(連載補遺15)

2022-09-16 | 〆近代革命の社会力学

六ノ二ノ二 テキサス独立革命

(2)テキサス開拓とアメリカ人入植者団
 テキサス独立革命の要因となったアメリカ人の入植活動は、メキシコ独立前のスペイン領ヌエヴァ・エスパーニャ時代末期に遡る。当時のスペイン政府はスペイン人の入植がほとんどなかったテキサスを開拓するため、入植を条件にアメリカ人に土地を払い下げる政策を導入した。
 この政策により入植した者は、スペイン帝国臣民かつカトリック教徒となることが条件づけられていたが、独立後のアメリカ合衆国で十分な土地を確保できなかった中流層のアメリカ人にとってテキサス植民者となることは魅力であった。
 そうしたテキサス入植事業で仲介者として活躍したのが、バージニア州出身のオースティン父子、特に息子のスティーブン・オースティンであった。彼は父親が開始した事業を父の死後に引き継ぎ、1821年に最初の入植団の誘致を開始したが、そのタイミングでメキシコ独立革命が勃発した。
 革命政府はスペイン統治時代の政策を一変し、入植移民の規制とスペイン政府による土地払い下げ契約の撤回を決定したため、入植事業は頓挫しかけた。そこで、オースティンは革命政府に働きかけ、植民の再認可に漕ぎ着けた。この際、入植事業の公式な斡旋代理人エンプレサリオが任命され、オースティンがその役目を担った。
 このエンプレサリオ制度は、メキシコにとっては、未開発の北部の開拓とアメリカ人移民の規制を両立させる得策でもあったが、1823年の共和革命は再び入植移民制限策に振り子を振らせた。しかし、ここでも再びオースティンが交渉能力を発揮し、各州に植民認可の裁量権を付与する法律の制定を導いた。
 これに基づき、当時のコアウイラ・イ・テハス州議会はエンプレサリオ制度を承認する州法を可決したため、ようやくテキサス植民事業が軌道に乗ることとなり、最初のアメリカ人移民300家族の入植が実現した。
 その後も、オースティンの仲介でアメリカ人入植者は急増し、一つのコミュニティーを形成するまでになったことから、自警団組織を結成した。この組織はテキサス独立後、共和国の国境警備隊兼警察であるテキサス・レンジャーとして確立され、現在もテキサス州警察の一部門として存続している。
 オースティンは政治力も発揮し、地元コアウイラ・イ・テハス州の州憲法にアメリカ的な要素を盛り込ませるなど、州そのものをアメリカナイズし、後の独立の芽となる政治文化的な影響力も行使していた。
 こうして、「テキサスの父」と称され、州都の名称由来ともなったオースティンの指導により、テキサスのアメリカ人入植者が武装部隊をも備え、団結したコミュニティーに成長したことは、来る独立革命を成功に導く動因ともなった。
 しかし、このようなテキサスにおけるアメリカ人入植者人口の急増とアメリカ化がメキシコ政府に領土浸食の懸念を抱かせるのは時間の問題であり、中央集権化を目指した1835年の政変は、再び入植移民制限策に振り子を振らせることになる。


コメント    この記事についてブログを書く
« 近代革命の社会力学(連載補... | トップ | 近代科学の政治経済史(連載... »

コメントを投稿