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近代革命の社会力学(連載第75回)

2020-02-24 | 〆近代革命の社会力学

十一 ハワイ共和革命:ハワイ併合

(1)概観
 近代史上の革命をアジア・太平洋という枠組みで見た場合、フランス・コミューン革命に先立って勃発した日本近代化革命としての明治維新は、アジア・太平洋地域における諸革命の嚆矢と言えるものであったが、これが直接的に周辺アジア諸国に波及することはなかった。
 もっとも、独自の封建的な王朝体制が続いていた朝鮮や中国(清)では日本の明治維新にならった近代化を志向する勢力が現れたが、両国の王朝体制は、少なくとも19世紀の段階では、動揺しながらも王朝自身による限定的な近代化策で体制を護持する余力は残していたため、革命は不発であった(ただし、朝鮮では未遂革命があった)。
 そうした中、革命的な蠕動が最初に起きたのは、南太平洋の島国ハワイであった。従来、地域的な首長の割拠状態が続いていたハワイでは、1810年にカメハメハ王がハワイ史上初の統一王朝を樹立して以来、1840年には近代的な立憲君主制憲法を制定し、独自の近代国家としての歩みを始めていた。
 カメハメハ王朝は1872年に断絶し、国王選挙を経てカラカウア王朝に交代するが、この間も立憲君主国としての歩みを完全に止めることはなかった。
 しかし、帝国主義化した欧米列強がハワイを付け狙う中、欧米系の白人移民が増加し、土地を買い占め、地主階級として発言力を強めていく。特に太平洋を隔てて「対岸」とも言えるアメリカからの白人移民が多く、かれらは急速にハワイにおける外来の近代ブルジョワ階級として実力をつける。
 この米国系移民勢力の背後には、1860年代から太平洋進出の拠点として地政学上有用なハワイの併合を狙うアメリカ本国の見えない力が働いていた。こうした背景のもと、1893年に勃発したのが、ハワイ共和革命である。これによって君主制が廃され、翌年にいったんは「ハワイ共和国」が成立する。
 ところが、この新生共和国はわずか四年で終幕し、1898年にはアメリカの準州としてアメリカ領土へ編入されてしまうのである。最終的には、1959年に正式なハワイ州として合衆国50番目の州に連なる。
 こうして、ハワイ共和革命は、テキサス独立革命に続き、アメリカへの併合を結果し、アメリカの領土を太平洋地域に拡大し、アジアをも射程に入れたその帝国主義的膨張に寄与することになった。
 実際のところ、ハワイ革命は真の革命ではなく、アメリカ本国と結託してアメリカへの併合を企てた親米派白人勢力による実質的なクーデターだったと見ることもできる(その場合、「ハワイ事変」と呼ばれる)。
 しかし、この事変により二つの王朝をまたいでおよそ一世紀続いたハワイ君主制が廃止され、アメリカ合衆国への併合という変則的な形ではあれ、共和制に移行し、以後その状態が今日まで確定した事実にかんがみ、当連載ではこれを革命として扱うことにする。


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