ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

近代革命の社会力学(連載第108回)

2020-05-26 | 〆近代革命の社会力学

十五 メキシコ革命

(2)革命前史
 20世紀のメキシコ革命には、前世紀1821年の独立に始まる長期の過程を経た一世紀近い前史がある。メキシコを含むラテンアメリカでは、フランス領ハイチの独立革命を皮切りに、地域の大半を占めていたスペイン植民地の独立運動が19世紀に入って地殻変動的に連鎖していく。
 そうしたラテンアメリカ独立運動の先陣を切ったのが、ラテンアメリカのスペイン植民地で枢要な部分を占めていたメキシコであった。メキシコの独立運動は1810年に始まり、1821年、独立運動指導者アグスティン・デ・イトゥルビデが皇帝アグスティン1世として即位し、成立した第一帝政でひとまず完了する。
 この一連の過程を「メキシコ独立革命」と呼ぶこともあるが、その主要な性格は革命というよりも独立戦争にあったので、本連載では個別の項目としては扱わなかった。いずれにせよ、アグスティン1世は保守的な君主制支持者であり、すぐに専制化したため、1823年、各地の軍司令官や知事らの決起により退位させられ、アメリカ型の連邦共和制メキシコ合衆国が成立した。
 この1823年革命(第一次共和革命)は無血のうちに成功したが、これによって成立した第一共和政は安定せず、以後のメキシコ近代史の展開はめまぐるしい。
 1835年に連邦共和制が改編され、集権共和制のメキシコ共和国が成立するが、州の自治が制限されたことで内乱が続き、1846年に再び連邦制メキシコ合衆国に復帰する。
 しかし、この第二次メキシコ合衆国は内憂外患を抱え込んだ。まずは、北隣の大国アメリカ合衆国が南部領土の拡大を目論み、米墨戦争が勃発、これに敗れたメキシコは北部領土の相当部分を喪失した。
 そのうえ、1850年代半ば以降は、自由主義的な連邦制支持派とカトリック支持の保守的な中央集権制支持派の間で内戦が起きた。1860年に自由主義派が勝利するや、翌年、フランス第二帝政のナポレオン3世がメキシコ侵略を断行した結果、1864年には事実上のフランス傀儡体制として第二帝政が樹立される。
 この第二帝政の皇帝に据えられたのはメキシコ人ではなく、オーストリアのハプスブルク家出身のマクシミリアンであったから、これによりメキシコは再び西欧植民地に復帰する恐れがあった。しかし、第二帝政は安定せず、フランスが占領軍を撤退させると、1867年、メキシコ人の自由主義勢力が決起して、マクシミリアンを捕らえ、処刑した。
 この二度目の共和革命の結果、メキシコ合衆国が回復され、ようやく安定化に向かった。この時点で、最初の独立から50年近くが経過していた。合衆国回復の立役者は、先住民系農民出自のベニート・フアレスであった。彼は、自由主義的な改革派指導者として1850年代末に台頭していた。
 フアレスは1858年から内戦期、傀儡第二帝政期を通じ、病死した1872年までメキシコ合衆国大統領の地位にあり、連邦制に基づく民主的な共和制と先住民の権利の尊重を軸とする自由主義的な政治を主導したが、社会主義者ではなく、ブルジョワ民主主義の枠内での進歩主義者であった。
 とはいえ、現在でも「建国の父」と目されているフアレスの政治理念はその後もメキシコ合衆国のバックボーンとなり、20世紀のメキシコ革命にしても、フアレスの没後に独裁化した共和政に対抗して、フアレスの理念を取り戻すことが主要な目的であったと言ってもよい。


コメント    この記事についてブログを書く
« 近代革命の社会力学(連載第... | トップ | 近代革命の社会力学(連載第... »

コメントを投稿