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犯則と処遇(連載第51回)

2019-06-06 | 犯則と処遇

44 防犯について

 『犯罪と刑罰』で近代的な刑罰制度の諸原理を初めて体系的に論じたベッカリーアは、「結論」の手前の実質的な最終章で防犯について述べている。曰く、「犯罪はこれを罰するより、予防したほうがよい」。
 この簡明なテーゼの「犯罪」をわれわれの「犯則→処遇」体系に沿って「犯則事件」と置き換えてみれば、たしかに、犯則事件は起きてから対処するより、そもそも起きないように努めたほうが平穏な社会を形成できることは間違いない。
 その点、防犯を方法論的にみると、①そもそも犯則行為の動機を生じさせないようにする方法(動機抑圧)と②犯則行為の機会を与えないようにする方法(機会抑止)の二つに大別できる。

 このうち動機抑圧は、防犯の方法として最も根本的なものである。そもそも犯則行為の動機が生じなければ、人は犯則行為に出ることもないからである。それだけに現実的にはかなり困難な方法である。
 その点、犯行動機の大半が金銭的利欲にあることは、現代資本主義社会―より広くは貨幣経済社会―の基本的な特徴となっている。  
 そうだとすれば、究極の動機抑圧的防犯策は、そもそもの貨幣経済を廃することである。それが実現すれば、金銭そのものを目的とする財産犯はもとより、金銭的な動機に発するその他の犯則事件も激減すること確実である。

 とはいえ、金銭的利欲によらない犯行も残ることはたしかである。そこで機会抑止策の必要性もゼロにはなるまい。こうした機会抑止の方法にも、人が監視する人的な方法と防犯カメラのような機械的な方法とがある。より簡便なのは機械的な方法である。  

 ただ、防犯カメラが実際にどの程度犯行抑止に役立つかについて厳密に科学的な研究はなされていないが、通常の犯行心理として、犯行現場を撮影されることは避けたいはずであるから、そこにカメラがあるということを認識できれば、機会抑止の効果はあると想定できる。  
 そのためには、防犯カメラはその存在を明示して設置しなければ防犯効果を得られないということになる。逆に精巧な模造品であっても、外観上防犯カメラとして認識できるものであれば、防犯効果を得られると言えるから、防犯カメラは模造品と真正品をランダムに混在させれば足りる。  

 一方、その存在を秘して設置するのは防犯カメラではなく、監視カメラである。これは防犯目的ではなく、捜査上犯行現場またはその周辺映像から犯人を割り出す映像証拠としての意味を持ち得るものである。こうした監視カメラには犯人以外の第三者のプライバシーを侵害する弊害もあるから、その設置場所や台数、映像の保管や開示に関して適切に規制する法律がなくてはならない。

 より大がかりで組織的な機会抑止策は人による監視であるが、今日ではほとんどすべての国で警察がこれを中心的に担っている。警察制度は元来、防犯任務を含む犯罪の制圧のために設置された武装警備隊に発祥していることからすれば、警察が防犯任務を担うのは自然な流れとも言える。  
 今日の警察は発生した犯罪の解明に係る捜査も担うのが通例であり、防犯から捜査まで一貫した権限を持つ強大な犯罪統制機関と化している。しかし、警察の強大化は、程度の差はあれ、警察国家化を招き、民主主義を侵食する。  

 そこで、防犯と捜査は組織的にも分権化し、捜査任務は専門的な捜査機関に、防犯任務は地域に密着した準公的な警防団組織に委ねることが合理的である。
 警防団は基礎自治体(市町村)ごとに組織され、管内各地区ごとに交番型の分団を設けて地域のパトロールに当たるほか、通報を受けて犯行・事故現場に急行し、現行犯人の制圧・逮捕、さらに犯行現場の初期保存などを担当する準公的組織である。
 このような警防団の役割は地域警察に似るが、警防員は警察官ではなく、非常勤職を含む準公務員である。よって警防員の職務執行上の人権侵害は、公務員の場合に準じて特別人権裁判による審理の対象となる。


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