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近代革命の社会力学(連載第286回)

2021-08-30 | 〆近代革命の社会力学

四十 中国文化大革命

(1)概観
 中国では、1949年の中国共産党(中共)による大陸革命が成功した後、1950年末からの社会主義的な「大躍進」政策がとりわけ農業分野で失敗に終わり、最高指導者・毛沢東の威信も揺らぐ状況に入ったことは、先に見たとおりである(拙稿)。
 そうした中、1960年代前半期には社会主義化の進展スピードを緩める改革的な中堅のグループが台頭し、党の実権を掌握した。これは市場経済化に振れる最初の改革的な動向であったが、毛没後の1970年代末以降における大規模な市場経済化改革に比すれば、微修正にすぎないものであった。
 しかし、毛とその側近グループにとって、このような動向は革命の後退を結果する危険な企てと映った。そこで、1960年代半ば、毛らは修正主義の土壌となる資本主義・ブルジョワ文化の残滓を除去するべく、文化面にも及ぶ全般的なプロレタリア革命(文革)を体制内的に発動するキャンペーンを開始した。
 国際的な力学という面では、スターリン没後のソ連でスターリン批判を土台に発足したフルシチョフ新指導部に対し、スターリン信奉者であった毛沢東はこれを修正主義として非難し、ソ連との同盟関係を離脱していったことも、文革の外部的な動因を成したと考えられる。
 この文革キャンペーンは依然として大衆の間では求心力を保つ毛の個人崇拝を推し進めつつ、上記の微修正派グループ・実権派を資本主義に走る反革命的走資派と断罪して失権に追い込む粛清運動として、毛が没する1976年まで10年近くにわたり展開された。
 そうした粛清運動という点で、文革はソ連のスターリンが1930年代に展開した大粛清に相当するような弾圧政策の色彩が強いことはたしかである。その意味では、文革は「革命」の語を冠してはいても、それは中共内部の権力闘争にすぎなかったとも言え、当連載でこれを「革命」として扱うべきかどうかについては、迷うところであった。
 しかしながら、一過性の事象であり、その実態は反党分子とみなされた者への見せしめの大量処刑であったスターリンの大粛清とは異なり、10年単位で一時代を形成した文革は、少なくともその初期においては、大衆動員の手法が用いられた点に大きな相違があった。
 特に「造反有理」のスローガンにより、青年層の反乱を毛自身が促したため、青年による大々的な自発的参加の動きが見られ、そのことがメディア時代の到来とともに世界に伝えられ、フランスや日本をはじめとする西側諸国の反体制青年運動のうねりにも少なからぬ影響を及ぼした。
 革命の力学という本連載の観点から見ると、文革は毛沢東とその周辺グループという上からの力動と、それまで政治的にはマージナルであった青年層という下からの力動とが交差しながら、二次的な体制内革命として発現し、10年余りにわたり中国社会に激動を及ぼした複雑な革命的事象と言える。
 そうした文革の特異な性格に鑑みると、変則的ではあるが、この事象も本連載で取り上げる革命事象に含めて論じる意義があるものとみなし、独立して取り上げる次第である。ただし、取り上げるのは、長期に及んだ文革の中でも主として前半期である。


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