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近代革命の社会力学(連載第294回)

2021-09-13 | 〆近代革命の社会力学

四十二 タイ民主化革命

(1)概観
 タイでは1932年立憲革命の後、革命を主導した人民団の武官派が文官派を抑えて支配権を確立し、その中から台頭したプレーク・ピブーンソンクラーム(ピブーン)が1938年以降、四年の中断をはさみ、戦後にかけて通算15年にわたり、ファシズムに傾斜した統治を行った。
 しかし、1957年総選挙での不正をめぐり、腹心サリット・タナラット元帥の離反とクーデター決起を招いて失権し、日本へ亡命した。政権を掌握したサリットはいったんは自身の側近であるタノーム・キッティカチョーン将軍に首相を任せ、出国したが、翌年、タノームの要請により帰国して革命評議会を樹立し、1959年には自ら首相に就任する。
 1963年まで続いたサリット政権は当初こそ「革命」を公称したものの、その内実は反共を旗印とした強固な軍事独裁統治であり、反体制派への弾圧と髪型や音楽など社会習俗・文化に至るまでの厳格な全体主義的統制を基調としていた。
 一方で、経済的には、欧米や日本からの借款を基盤にインフラストラクチャーの整備を進めるいわゆる開発独裁の先駆けをなし、戦後タイにおける最初の資本主義的経済成長を主導した。その結果、中産階級の台頭が見られた。
 1963年にサリットが持病の悪化により死去すると、側近のタノームが再び首相に就き、その後73年まで10年にわたり、サリットを継承する軍事独裁統治を行った。このタノーム独裁政権を打倒したのが、ここで取り上げる1973年における民主化革命である。
 この革命はその主体が圧倒的に学生であったため、「学生革命」と呼ばれることもあるが、そうした広い意味での知識青年層による革命という点では、1959年のキューバ社会主義革命以来、1960年代を越えて70年代前半頃にかけて世界で見られた青年層の反乱現象の東南アジアにおける劇的な発現であった。
 特に学生が主体となって時の独裁体制を倒し、独裁者を亡命に追い込んだという経緯の点では、1960年韓国民主化革命と類似しており、なおかつ、革命後、目標の民主政治の長期的な確立に成功せず、ほどなくして軍部のクーデター介入により独裁統治に反転してしまう不幸な結末の点でも類似していた。
 とはいえ、いったんは成功した1973年のタイ民主化革命は、タイにおいて今日まで断続的に続いている軍部を中心とした権威主義的支配層に対する民主化運動の先駆けとなるとともに、東南アジアにおける類似の開発独裁体制に対抗して、80年乃至90年代に遅れて発現した民主化運動/革命の先駆けとなったことも間違いない。


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