ザ・コミュニスト

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「国防軍」か、自衛隊か

2012-12-08 | 時評

今般の選挙で最重要の争点は何かと問われれば、「国防軍」創設の是非であると答えたい。これは「脱原発」と並んで、日本国民の生命身体財産に直接関わる重大問題である。おそらく、この問題が正面から争点となるのは、現行憲法下の選挙では初と言ってよいだろう。

それにしても、「国防軍」を提案している政党は、つい数年前には「自衛軍」の創設をうたっていたはずである。いったいぜんたい「自衛軍」と「国防軍」はどう違うのか。「国防軍」は自衛を超えた侵略的攻撃も辞さないという含みがあるのか。

さらに、「国防軍」と「国軍」とはどう違うのか。仮に「国防軍」を創設した場合、現行の陸海空三自衛隊の名称はどう変わるのか。もし陸海空軍となるなら、それはズバリ「国軍」そのものではあるまいか。

「国防軍」に対して、こういった質問の矢を放つ人がほとんど存在しないのは不可解である。とはいえ、言葉遊びでないならば、新語の創案者はその意味を問われなくとも明確にする責任があるはずである。

こういう国語の問題を提起したうえで、「国防軍」提案への対抗軸は何かを考えるに、それは「自衛隊=憲法9条違反論」ではもはやない。そうではなくて、「憲法9条を改正するにしても、自衛隊を自衛隊として憲法に書き込む方法があるではないか」が対抗軸となる。あえて単純化すれば、「「国防軍」か、自衛隊か」である。

実際のところ、自衛隊は賛否を超えて現実の国家武力として定着していることは疑いなく、当面の国際情勢に照らして、相当期間それを保持していかなくてはならないことも否定の余地はない。

にもかかわらず、現状、憲法に自衛隊のジの字も書き込まれていないことが大問題である。これは国家権力を憲法に基づいて組織し、かつ規律するという立憲政治の枠を逸脱していることを意味するからだ。

逆説的にも、自衛隊に憲法違反の余地が残されていることが、かえって自衛隊が超憲法的に活動できる可能性を高めてしまっているのだ。実際、過去20年にわたり、自衛隊法という憲法の下位法を通じて自衛隊の任務がなし崩しに拡大され、実際、準軍隊的なレベルにまで立ち至っているのは、現行憲法に自衛隊に関する基本条項が何も存在しないためである。

こうして国家武力が完全に憲法の外部に置かれている非立憲的な危険状況を改め、自衛隊を憲法的に統制するためには、自衛隊の組織編制や任務、指揮権の所在等の基本原則を憲法9条そのものに書き込むことである。

その際、「自衛軍」と言おうが、「国防軍」と言おうが、自衛隊を「軍」にすり替える必要はない。日本の自衛隊は、憲法と国際政治の妥協の結果生まれた苦肉の産物ではあるが、今となっては、「軍を保有しないが、非武装でもない」という国防における「第三の道」として十分機能してきている。

そうした自衛隊のポジティブな側面を無視し、自衛隊が憲法の枠外でなし崩しに準軍隊化してきた現実を逆手にとって正式に軍隊化しようというのは便乗的再軍備にほかならず、周辺諸国を刺激し、かえって国防上不穏な情勢を作り出すであろう。

自衛隊は準軍隊化してきたとはいえ、海外での武力行使にはなお慎重であり、また軍の最大特質である軍法と軍法会議という軍事司法の制度を持たない点でなお真の「軍隊」ではないし、自衛官も一般市民法が適用される点で「軍人」ではないのである。こうした自衛隊と軍隊の重要な相違点を無視した「自衛隊=事実上の軍隊論」は大衆を惑わすデマゴギーである。

残念ながら、こうした主張を「国防軍」提案への対抗軸として明確に打ち出す政党・候補者は、筆者の知る限り皆無である。これでは結局、自衛隊違憲論や単純な9条護持論を唱える小政党に乗れない多数派有権者は適切な選択肢を与えられないまま、「国防軍」を受け入れざるを得なくなりかねない。

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