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マルクス/レーニン小伝(連載第41回)

2012-12-13 | 〆マルクス/レーニン小伝

第2部 略

第2章 革命家への道

(3)何をなすべきか(続き)

論文「何をなすべきか」
 『イスクラ』時代のレーニンの代表作は、広範囲な影響を及ぼすことになる「何をなすべきか」であった。1902年に発表され、「我々の運動の焦眉の諸課題」といういささか切迫した副題を持つこの論文は、当時世界最大のマルクス主義政党であったドイツ社会民主党の内部で生じていた改良主義的穏健化とそれに影響されてロシアのマルクス主義の間にも現れたいわゆる経済主義、すなわちマルクス主義者の役割をさしあたりプロレタリアートの経済闘争への参加・支援に限定しようとする立場に断固異議を唱え、マルクス没後およそ20年を経て、マルクス主義革命運動に活を入れ直すことを企図したものであった。
 彼はそのために、革命的活動を職業とする人々、すなわち「職業的革命家」という概念を導入する。そして、この職業的革命家の組織は、できるだけ広範かつ公然と組織されるべき労働者の組織とは異なり、少数精鋭かつ秘密の組織でなければならないと主張した。
 その際、レーニンは労働者と―職業革命家の多くを占める―インテリゲンチャとの形式的対等性を前提とするとはいえ、労働者は自力では組合的意識しか作り出せないため、革命的意識はマルクス、エンゲルス、そしてレーニン自身も含まれるインテリゲンチャによって外部から注入されなければならないとする「外部注入テーゼ」を打ち出したのである。
 このようなレーニンのエリート主義的な革命前衛理論は、むしろナロードニキ系の革命理論に近く、マルクスの革命後衛理論からは離反するものであることは、すでに第1部第5章で示しておいたとおりである。
 もっとも、秘密結社性の強調は、帝政ロシア当局による反体制・革命運動に対する体系的抑圧が敷かれていた当時の状況に照応しているため、1905年の第一次革命で抑圧が若干緩和されてからは、レーニン自身によって修正されていく。しかし、職業的革命家の指導性を高く奉じる彼の理論の全体骨格は以後変わることなく、レーニン的党組織論の土台となった。
 レーニンの考えによれば、経済主義者は労働者大衆の自然発生的な運動を信奉するあまりに、最終的に労働運動をブルジョワジーの思想の支配下に引き渡してしまうことになるのである。
 レーニンは当時早くも生じ始めていたそうした危険―彼の危惧はおよそ100年後の今日、まさにブルジョワ思想に吸収されてしまった労働運動主流の情況を見ると、的中している部分も認められるが―に抗して、まず自らを率先して職業的革命家として提示してみせたのである。その意味で「何をなすべきか」は、レーニン自身の『共産党宣言』ならぬ『革命家宣言』であったとみなすことができるであろう。

貧農への呼びかけ
 論文「何をなすべきか」の発表に続く1903年春、レーニンはかねてより取り組んでいた農民問題に中間総括を与えるパンフレット「地方貧民へ」を公刊した。
 レーニンは早くから農民問題に注目しており、現存する最初の著作も農民生活に関する論文であったほどで、1894年に書いた最初の本格的な政治論文「人民の友とは何か」の中でも、ロシアにおけるプロレタリアートの勝利のためには、農村プロレタリアートの支持が不可欠であることを指摘していた。そして最初の大著『ロシアにおける資本主義の発達』でロシア農村における農民の二極分解の実態を分析し、貧農の増大という現象に留目したのである。
 そうした分析を踏まえたうえで、1903年のパンフレットでは、「地主に対してのみならず、富農に対しても同じように闘うための、貧農全体と都市労働者の同盟」というテーゼと明確に打ち出すのである。これこそ、レーニン独自の労農革命論の土台を成すテーゼである。
 ちなみに、マルクスも特にフランスにおける農村プロレタリアートの存在に着目してはいたが、元来土地所有権の獲得(=農地解放)を宿願とするゆえにブルジョワ思想に傾斜しがちな農民と都市労働者の同盟という視座はマルクスに存在しなかった。これに対して、レーニンは農業国ロシアの実情を踏まえ、あえて労農同盟というテーゼを提起するのである。
 この点で、彼は革命前衛理論と並ぶマルクス理論からのもう一つの重要な離反を試みたのである。そして、ここでもレーニンはその経済理論に反対したナロードニキに一歩にじり寄ったとも言える。
 しかし、本来は土地の国有化を目指すはずのプロレタリア革命を農業革命と接合することには理論上の無理があり、レーニンの労農同盟論は依然としてロシア社会の中で中心的な位置を占めるに至っていなかった労働者が勢力を拡大するために農民を味方につけるという革命戦略的な意味合いが強いものと考えられる。
 そうした意味で、「地方貧民へ」は前年の「何をなすべきか」とセットで、レーニン革命戦略論の一部を成すものと読み取ることも許されるであろう。

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