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議会制民主主義の死

2012-12-17 | 時評

2012年12月16日は日本の議会制民主主義が死んだ日として記憶されるであろう。なぜなら、野党がこれほど断片化し、超巨大与党が誕生したことは、少なくとも現行憲法で議会制民主主義がまがりなりにも保障されて以降、なかったことだからである。

議会制民主主義は野党による与党の牽制が命であるから、牽制機能を発揮できないほど野党が縮小することは、議会制民主主義の死を意味するのである。

このような結果となった要因としては、まず小選挙区制が持つ「地すべり効果」に加え、惜敗者復活当選を目的とする本末転倒の比例区制度の存在、違憲状態に達している定数不均衡といったことが考えられる。

そうした欠陥選挙制度を基礎に、より根底的には、選挙が政治的な「喝采」と化していることも大きな要因である。過去二回の総選挙でも「圧勝」現象が起きている。その結果、本来理性的な政治行動とされる投票と感情的な喝采の差がほとんどなくなり、まさにカール・シュミット的な意味での独裁も容認するような“民主主義”の形態が発現し始めているのだ。

その原因として、前打ち的な選挙予測や「逆風」を過度に誇張してみせる選挙過程へのメディアの介入操作の影響が大きいと考えられるが、これについてはここで詳論する余裕がない。

それにしても、あまりに極端な勝敗結果となったことには、前政権党である民主党固有の問題も大きい。表面上はいわゆるマニフェスト破りが敗因とされるが、元来「非自民」の一点だけで雑多な分子が寄り集まった統一的理念も綱領もないバブル政党であったことが、「逆風」の中で壊滅的敗北を招いたのだ。

かくして日本の議会制民主主義は死んだのだが、それはクーデターのような非合法手段によるのでなく、合法的選挙によって死んだということ―言わば自殺―が決定的に重要である。このことは、選挙という手段が民主主義を保証するとは言えないことを裏書きしているからだ。

そうした意味では、議会制民主主義の死は、議会制民主主義という制度そのものの是非を根底から冷静に見直す契機でもある。

もっとも、議会制民主主義が蘇生する可能性がないわけではない。一つは参議院による牽制である。ただ、第二院による牽制が行き過ぎれば、いわゆる「ねじれ」による機能不全が生じるし、反対に来年の参院選でも与党圧勝となればいよいよ終わりである。

もう一つの可能性として、第二回安倍政権も結局行き詰まり、次回総選挙では野党が勝利するか、少なくとも牽制機能を発揮できる程度に盛り返すことである。しかし、あまりにも弱体化した民主党の短期での復活可能性は低く、断片化した野党全般の結集可能性も乏しい。

内容的に見れば、維新の会やみんなの党を含めた保守・反動改憲勢力による衆議院の征服という今回の選挙結果は、日本の戦後史が幕間狂言的な3年間の民主党政権期を迂回しつつ、さらに「逆走」を本格化させる段階に入ったことを意味していると評し得るだろう。

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