自遊日記

定年後の備忘録

チェコ 「チェスキー・クルムロフ城」

2013-04-27 12:20:55 | チェコ・ハンガリー・墺の旅

モルダウ川沿いに建つ「チェスキー・クルムロフ城」

 

 

 

 

お城からみた、チェスキー・クルムロフの街並み。

 

 

 

今朝のTV朝日・旅サラダで

「チェスキー・クルムロフ城」が 紹介されていました。

TVでは、お城の塔からの眺望が紹介されていました。

私たちは、塔に登る時間はなかったのですが、

それでもお城からの眺めは、絶景でした。

しばし家内と思い出話で盛り上がりました。

鱒を肴に飲んだビールの味も忘れられません。

 

 


中欧の旅(64) やっと完結

2006-09-18 14:38:19 | チェコ・ハンガリー・墺の旅
          

ダラダラと続けてきた、中欧の旅 も今日で完結できそう。
最後に雑感を少々記して完結としたい。

今回の中欧旅行に参加された方は、かなり旅慣れた方が多かった。
その中でも特に印象に残る、旅の達人のような方がおられた。

その方は、1人で参加されていた、かなり高齢の方。
お城や大聖堂などの観光地を訪れる時も、常に手ぶらで歩かれる。
カメラを持参されていないので、写真も撮られない。お土産も買われない。

「写真を撮ってあげましょうか?」と言っても
「今さら写真を撮ってもらってもしようがない」とお断りになる。
どこそこを訪れたぞ、という証拠写真なんか必要なし、といった雰囲気。
 飄々として仙人のような方だった。

重いカバンを肩からかけ、必死でシャッターを押しまくっている
我が身を省みると、何だか恥ずかしくなる。

自分も更に年を重ねていけば、このおじいさんのような心境になるのであろうか?
それとも、ヨボヨボの身体で相変わらず、シャッターを押しまくっているのであろうか?
いろんな事を考えさせる、おじいさんだった。

ところで、旅は3回楽しめる、とよく言われる。
準備の楽しみ、旅そのものの楽しみ、そして旅を終えた後の楽しみ。

今回は、準備も存分に楽しんだし、旅も楽しんだが
最も楽しんだのが、旅の後の楽しみ、即ちブログへの投稿かもしれない。
写真と資料を整理してはブログに貼り付ける・・・、
ここ1ヶ月間ほどの作業は、2回目の旅をしているような楽しい作業だった。

さて、いつまでも夢の世界を漂っている訳にはいかない。
明日からは、シャキッと現実に戻る事としよう。

中欧の旅(63) 帰国

2006-09-18 07:17:43 | チェコ・ハンガリー・墺の旅
遂に帰国の日がやってきた。



名残を惜しんで、ホテルの中庭を朝から散歩。




プラハからウイーンへ。
遠く近くに点在する、教会の風景もそろそろ見納め。




     ウイーンまで、もうすぐ。




ウイーン国際空港到着。土産物店物色。
写真は、トルテで有名な「デーメル」の空港店。




ウイーン国際空港を離陸。
今回のツアーはオーストリア航空チャーター便利用なので
日本から直接ウイーンに入り、ウイーンから帰国するタイプ。
飛行機に乗っている時間は比較的少なくてすむタイプであるが、
それでも12時間の長旅を我慢しなければならない。



関西国際空港に、たっぷりの思い出とちょっぴりのお土産
を乗せて、無事到着。




     ピリ辛ラーメンで、長旅の疲れもふっとんだ。
     やっぱり、日本が一番!ってことか・・・

中欧の旅(62) プラハ・一路ホテルへ

2006-09-17 14:04:12 | チェコ・ハンガリー・墺の旅
小雨も降ってきたので、早い目にホテルへ引き上げる事とする。




ヴァーツラフ広場に面した、ムゼウム駅より地下鉄に乗る。
写真は国立博物館をバックに立つ、聖ヴァーツラフの騎馬像。






地下鉄とバスを乗り継いでホテルに到着。
何とか自力で乗り降り出来るようになった。
折角、慣れてきたな~というのに・・・
明日は帰国の途へ。



夕食はホテルの窓から夕景を眺めながら・・・

惣菜店で買った鰯の酢漬け、数種のサラダ、チーズがメインディッシュ。
超質素な夕食だが、フレッシュ野菜に飢えていたので、これでも大満足。
鰯の酢漬けがビールによく合い、美味だった。




我々の泊まったのは、プラハ郊外に建つB級ホテル。
ロケーションは悪いが、部屋も浴室も広く快適だった。

ヨーロッパ最後の夜、のんびり湯船に浸かり、
長いようで、短かかった、中欧の旅を反芻。

中欧の旅(61) プラハ・タウンウオッチング②

2006-09-17 13:42:19 | チェコ・ハンガリー・墺の旅
プラハの街ともそろそろお別れ。
市民会館のカフェで、なごりを惜しむ。




火薬塔に隣接して、市民会館が建っている。




市民会館という名前からは、平凡な建物を連想してしまうが
ここプラハの市民会館は、華麗なアールヌーボー様式の建物。
入り口上部には「プラハへの敬意」と題された見事なモザイク画がある。
毎年恒例の国際音楽祭「プラハの春」は、
ここのスメタナホールで行われる。

1階左のカフェに入った。



カフェ「オベツニー・ドゥーム」
高い天井、アールヌーボー様式で統一されたインテリア。
観光客より地元の人が多い感じ。我々以外、日本人は皆無だった。



ピアノの生演奏が始まった。
名曲の数々を聴きながら、すっかり地元民になった気分でくつろぐ。
窓の外はオープン・カフェになっている。




私はホット、家内はアイスコーヒーらしきものをいただいた。
アイスクリーム添えのパイが美味だった。

コーヒーを楽しんだ後、代金をテーブルにポイッと
置いて颯爽?と席を立つ。映画のワンシーンのようで、気分上々。
出口で振り向くと、ボーイさんが満面の笑みを送ってくれた。
チップが多すぎたのか?



小雨が降ってきたので、観光は切り上げる。




ヴァーツラフ広場沿いのアンバサダーホテル。
この通りも、趣のある建物が多い。



惣菜店があったので、夕食の材料を仕込む。
肉類とポテトの食事が続いたので、今夜は、たっぷりのサラダと
鰯の酢漬けをいただく事とする。


中欧の旅(60) プラハ・タウンウオッチング①

2006-09-16 09:37:23 | チェコ・ハンガリー・墺の旅
旧市街広場から、ぶらぶらと火薬塔をめざして歩く。
中世の面影を残す街並みが、心地良い。




    建物上部の破風は中世そのもの。




           花や彫像がオシャレ




    柱を支える彫像。
    ヨーロッパの多くの建物で見かける風景。




マンホールにも、お城と騎士の刻印が・・・。


       
そうこうしているうちに、火薬塔が見えてきた。
この塔は、この近くに建っていた王宮の門として、
15世紀に建てられたもの。
その後王宮はプラハ城に移され、塔だけが残った。
17世紀に街がロシア軍に包囲された時、火薬庫として使われたため
火薬塔の名がある。
ゴシック様式の厳しい門。

中欧の旅(59) プラハ・時計塔からの眺望

2006-09-14 13:49:42 | チェコ・ハンガリー・墺の旅
天文時計の塔展望台からの眺望をまとめると・・・。



       聖ミクラーシュ教会から右回りに
       建物を俯瞰。



       














       西に回ると、プラハ城も遠くに見える。




ズームアップすると、聖ヴィート大聖堂と聖イジー教会の
尖塔もよく見える。

中欧の旅(58) プラハ・聖ミクラーシュ教会

2006-09-14 09:07:28 | チェコ・ハンガリー・墺の旅
旧市街広場に面した、聖ミクラーシュ教会を見学。




広場から見た聖ミクラーシュ教会。




時計塔から見下ろした、聖ミクラーシュ教会。
12世紀に創建され、18世紀に2つの塔を持つ
バロック様式に改築された。




王冠型の、ボヘミアングラスのシャンデリアが見事。
教会というより、宮殿の雰囲気。





天井画も素晴らしかった。

中欧の旅(57) プラハ・旧市街広場

2006-09-13 14:36:58 | チェコ・ハンガリー・墺の旅
旧市街広場を、上から下から、立体的に観察。




天文時計の塔から見た、旧市街広場。
広場中央は、ヤン・フスの像。
像の右手のロココ様式の建物は、ゴルツ・キンスキー宮殿。




広い広場に毅然として立つ、ヤン・フスの群像。




ヤン・フスは教会と教皇を批判したため、異端者とみなされ
ドイツで火刑となった。
その後殉教者に列せられ、チェコ人の誇りとなっている。

後方の建物の上にも、広場を見下ろしている像が見える。





ヤン・フス像の向こう側は、ゴルツ伯爵の邸宅、ゴルツ・キンスキー宮殿。
ロココ様式の優美な建物。




時計塔から見た、ティーン聖母教会。
かってはフス派の拠点だった教会。
プラハでは、聖ヴィート大聖堂と並んで重要な教会。
80mの双塔は、遠くからでもよく見立つ。
ティーン(税関)の前の聖母マリア教会が正式名。




       広場を走る、人力車。

中欧の旅(56) プラハ・天文時計

2006-09-13 08:23:41 | チェコ・ハンガリー・墺の旅
カレル橋から旧市街広場へ向かい、天文時計を見る。




カレル橋のたもとにある、サルバートル教会(写真)の横の道を
進むと、旧市街広場に出る。




       
    旧市街広場に建つ、旧市庁舎の天文時計。

    旧市庁舎は1338年頃建設され
    天文時計は1410年頃造られた、と言われている。
    15世紀に造られた天文時計が、今尚ほぼオリジナルの形で
    600年の歳月を刻み続けている。
      




上の天文時計は、年月日、時間、日の出、日の入り、月の出、月の入り
を表している。
写真では解りにくいが、時計の両側に2体の像がある。
左の鏡を持った男は虚栄、金袋を持った男は欲望
右の骸骨は死神、楽器を持った男は煩悩を象徴しているそうだ。

仕掛け時計の動きは次の通り。
毎正時になると骸骨が綱を引いて鐘を鳴らし、左手に持った
砂時計を逆さにする。
上の窓が開いて12人の使徒が登場する。
12人がひと回りすると一番上の鶏が鳴いて終了。
但し、ここまで、たったの40秒程度。
あっと言うまに終わってしまうので、要注意。




下の天文時計は歴板(カレンダリウム)
黄道十二宮の獣と四季の農作業の様子が描かれている。

歴板の前を馬車が行く。




12時になった。            窓が開いて12使徒のお出まし。





40秒の仕掛けを見るために、早くから時計塔の前に
観光客が集まる。
あっと言うまに終わり、やや欲求不満顔で散っていく観光客。
カフェのテント越しに、時計塔をみる。


   

時計塔の東側はこんな感じ。
市庁舎北側部分は、第2次世界大戦で燃失したようだ。