昨日の昼食は「豚キムチ・スン豆腐」でした。
近所の焼肉店までウオーキング。
寒い時は、辛くてアツアツのスン豆腐が一番です。
私は「豚キムチ・スン豆腐」と白飯。
家内は「海鮮・スン豆腐」にトッポギをトッピングしていました。
食後、再び腹ごなしのウオーキング。
寒さも忘れる辛さでした。
昨日の昼食は「豚キムチ・スン豆腐」でした。
近所の焼肉店までウオーキング。
寒い時は、辛くてアツアツのスン豆腐が一番です。
私は「豚キムチ・スン豆腐」と白飯。
家内は「海鮮・スン豆腐」にトッポギをトッピングしていました。
食後、再び腹ごなしのウオーキング。
寒さも忘れる辛さでした。
先日、大阪城の南約800mに佇む古社 「三光神社」を訪ねました。
真田丸の東曲輪にあたる場所に建っています。
境内には、陣中指揮姿の幸村の像がありました。
台座には、真田家ゆかりの上田から運ばれた真田石が使われています。
幸村像の横には「真田の抜け穴」がありました。
この抜け穴は、大阪城に通じる地下道だったそうです。
大河ドラマ「真田丸」も終わり、真田ロスを感じる今日この頃です。
このほど、蒲田春樹著「魅惑の京都・ふしぎ発見」を読了しました。
よくある観光ガイドブックには載ってないような奥深い話がいっぱいでした。
京都の伝統や伝承に詳しい著者ならではの内容です。
そのうちのひとつ・・・
舞妓さんや芸妓さんの踊りをみるときのヒントが書いてありました。
踊りの基本には、
右回りに踊る「右舞」と、左回りに踊る「左舞」があるそうです。
稽古の最初は「右舞」が覚えやすく、「左舞」は難しいそうです。
「右舞」ができるようになると「うまいね」と声をかけられ
更に「左舞」が出来るようになると「さまになってきた」と
声をかけられるそうです。
「うまい」「さまになる」の語源はこんなところにあったようです。
その他、京都のしきたりのベースにある陰陽思想など
興味深いテーマが満載でした。
敦賀の金崎宮にやって来ました。
難関突破にご利益がある、とされている神社です。
神社の横を少し登ったところに、金ヶ崎城の跡がありました。
敦賀に進軍し窮地に陥った信長・・・
木下藤吉郎(秀吉)がこの城に残って防戦してくれたおかげで
信長は無事生還できたそうです。
城跡から見る敦賀湾。
敦賀からツアーバスは彦根のキャッスルロードへ。
彦根城から伸びる城下町です。
城下町の風情感じる街並みです。
お寺が見えてきました。
宗安寺というお寺です。
正門の横に黒門がありました。
このお寺は江戸時代、李王朝の使者の宿泊所にもなっていたようです。
その際のご馳走搬入の勝手口として、この黒門は機能していたようです。
改修工事の際降ろされた鬼瓦が境内に展示されていました。
天明4年(1784年)に作られたものだそうです。
歴史を感じるお寺でした。
先月、日帰りツアーで訪れた、マキノ高原の「メタセコイア並木」です。
日本の街路樹百景にも選定されている並木道です。
2.4kmにわたって約500本のメタセコイアが植えられています。
みごとな景観です。
並木沿いには土産物店やレストランがあります。
家内は土産物の物色に専念、私はメタセコイアの撮影に・・・
果樹園の中を貫く並木道。
マキノ高原へのアプローチ道として、高原らしい景観を形成しています。
新緑の頃や、真冬の雪をかぶったメタセコイアも綺麗だそうですが
落葉しかけのメタセコイア並木も、結構見ごたえありました。
国宝 「石清水八幡宮」に参拝しました。
今年も穏やかな良い年となりますように・・・
本殿脇には「なぎ」が植えられています。
難を薙ぎ払うに通じ、神社で時々みかける木です。
信長が寄進した塀の前には、おみくじがいっぱい。
本殿の東側には、霊のやどる御神木「おがたまの木」があります。
1円玉に描かれている木です。
若い頃は、箱根駅伝の様子をラジオで聞きながら・・・
「上りのスペシャリストが頑張っています・・・」といった音声を聞きながら
自分も上りのスペシャリストになったつもりで
自分の足で山頂まで登ったものです。
しかし、今や後期高齢者となり
上り下りともケーブルカーのお世話になっての参拝です。