このほど、藤井邦夫著「素浪人稼業 破れ傘」を読了しました。
素浪人 矢吹平八郎の活躍を描く娯楽作品です。
親の仇を打つため諸国行脚に出かけた若者と
追われる人間。
いつの間にか主客逆転、追われる者が追手をいたわる状況に・・・
この2人に素浪人が絡んでいきます。
肩のこらない作品でした。
このほど、藤井邦夫著「素浪人稼業 破れ傘」を読了しました。
素浪人 矢吹平八郎の活躍を描く娯楽作品です。
親の仇を打つため諸国行脚に出かけた若者と
追われる人間。
いつの間にか主客逆転、追われる者が追手をいたわる状況に・・・
この2人に素浪人が絡んでいきます。
肩のこらない作品でした。
上田城を出てツアーバスは南下。
車窓から見える山は、まだ紅葉が残っているところも。
遠くの高い山は雪をかぶっていました。
バスは長野自動車道を一路南下。
昼食は諏訪の「峠の釜飯」
更にバスは中央自動車道を南下、松川で「りんご狩り」
りんご食べ放題と言われても、1個食べるのがやっとこさ でした。
こちらはラ・フランスでしょうか
ちょっと遅い「りんご狩り」でしたが、それなりに楽しめました。
左手に信州の街並みを眺めながらバスは中央道を南下。
夕刻、無事京都に帰着しました。
一泊二日ながら内容の濃いバスの旅でした。
本丸近くの真田神社には、多くの参拝客が・・・
真田神社の横には、真田井戸がありました。
この井戸は抜け穴になっており、
敵に包囲されてもこちらから逃げられたようです。
こちらは、広~い本丸跡です。
自然にできたグラデーションがキレイでした。
本丸跡の手前には、上田城・大阪城 友好城郭提携という碑がありました。
六文銭の家紋と桐の家紋が仲良く並んでいます。
大阪冬の陣、夏の陣での幸村の奮戦ぶりが目に浮かぶようです。
パフォーマー登場
駐車場へ戻る道から眺める、西櫓。
徳川軍が攻めあぐねた上田城(跡)をじっくり巡るこができ満足しました。
「真田丸」総集編が楽しみです。
真田家の居城、上田城にやってきました。
上田城といっても大天守がそびえたっているわけでなく、
3つの櫓が残っているだけです。
なのに大阪城や姫路城を抜くほどの人気のお城です。
上田城は1583年(天正11年)真田昌幸によって築城されました。
徳川軍を2度にわたり撃退した、難攻不落の城です。
山のてっぺんにある山城でなく、平地にある平城なのに
難攻不落とは、余程 昌幸の軍略が優れていたのでしょうか。
真田石の由来が書いてありました。
やぐらに上がると真田家の六文銭の家紋が。
大河ドラマ「真田丸」を思い浮かべながら櫓内を見学。
誰が置いたんでしょうか、やぐらの狭間に六文銭が・・・
正確には六円銭ですが。
このような狭間からも押し寄せる徳川の大軍と戦ったのでしょうか。
江戸時代初期に建てられたままの姿を残す西櫓。
昔は、櫓の手前に千曲川の支流が流れており、
こちら方面の守りは固かったようです。
この後、本丸跡へ。
朝、万座亭の周りを散策。
雪がいっぱい。
万座
うさぎ小屋からうさぎが出てきて挨拶してくれました。
万座温泉へようこそ?
と言ってるみたい。
万座亭の向かいにある、日進館。
昨夜、万座亭の湯船で聞いた話を思いだしました。
その男性曰く、万座温泉には何度も来ていて、いろんな旅館に泊まったが
日進館はいい旅館ですよ~と教えてくれました。
日進館の前に写真撮り用のカンバンがありました。
後ろから顔を出すと、いい湯だな~
日進館から少し下って行ったところに「薬師堂」がありました。
「薬師堂」から見下ろした位置に、湯畑がありました。
草津の湯畑に比べると小さめです。
ここから各旅館に給湯しているようです。
万座温泉は1800mの高地に湧く温泉。
寒い山の上なので、あちこちに「つらら」が。
雪を乗せて、クリスマスツリーの雰囲気です。
散策を終え、ツアーバスに乗車。
バスはチエ―ンを巻いて雪道をそろりそろりと下山。
一路上田城へ。
先日、1泊2日のバスツアーで万座温泉に出かけました。
何度もマイカーで走った中央道を、今回はバスで走行中です。
年初に免許証を自主返納したので、今や移動手段はバスか鉄道のみです。
トホホ・・・
標高1800mの山の上にある万座温泉の万座停に到着
京都から、はるばる群馬県までやってきました。
こちらは、雪です。
夕食は簡素なものでした。
安いパックツアーだから、我慢 我慢。
入浴は・・・
夕食前に1回、寝る前に1回、翌朝起床後に1回
都合3回、温泉につかりました。
バスガイドさんの話では
温泉マークには3本の湯けむりがデザインされている。
従って温泉地へ来たら3回入るのが正しい?入り方、との事。
私達夫婦は、温泉地では大体3回入浴しているので
合格点がもらえそうです。
朝の露天風呂です。
お気に入りの白濁の湯です。
雪景色を眺めながら、ちょっと熱い目の湯に首までつかる。
極楽、極楽 と思わずつぶやく。
正面にスキー場のゲレンデが見えました。
草津温泉の湯もみに使われているような、かいがありました。
万座の湯はやや高温です。
ログハウスの露天風呂、はじめてです。
山の上の温泉地にぴったりのワイルドな露天風呂でした。
このほど、三浦朱門著「老年のぜいたく」を読了しました。
「ぜいたく」とは
物と人を思うさまに使えることではなく
一切の行動が自由であり
一瞬一瞬を充足して生きることができる
といったことである。
と説く。
又
人生の下り坂、急ぐとヒザを痛めるので
のんびり行くのがよい。
低い方へ低い方へと足を運んでいけば
やがて、死という谷川にたどりつく
とも述べています。
先般の高取山からの下山の様子を思いだしながら・・・
人生の下り坂も、慌てず騒がず、
のんびりと安全運転で行きたいもの
と改めて心を決めました。
本丸跡で休憩の後、下山開始。
登りも大変だったけど、下りはもっと大変。
道端で拾った杖をつきながら・・・
浮き石を踏まないよう気をつけながら・・・
慎重に下山。
しばらく下ったところに「猿石」がありました。
飛鳥時代に造られたものだそうで、
結界石の役割を果たしているようです。
更に下っていくと、「一升坂」の表示板がありました。
石材などを運んでいた役夫が、急坂と重さでへたりそうになった場所です。
このあたり、かなりの急坂です。
役夫に対して米一升を加給して激励した、
との言い伝えから、この名がついているようです。
急坂を下って、やっと麓まで下りてきました。
麓に、水車小屋がありました。
現役で働いているようです。
麓の城下町の中心部にある、「植村家長屋門」です。
昔は城代家老の役宅だったそうです。
現在は、旧藩主植村家の住居になっているそうです。
壺阪口駅から近鉄に乗り、へろへろになり乍らも無事京都に帰着しました。
70代の老夫婦にとっては、ちょっとハードな城跡探訪でした。
壺阪寺参拝の後、高取山の頂上をめざす・・・
頂上に近ずくにつれ、次々と石垣が現れてきました。
本丸に近ずくにつれ、石垣の迫力が増してきます。
石垣の長さは3600mもあるそうです。
高取城のありし日の姿をしのばせる画像がありました。
こんな山の上に、こんな壮大な城を築いていたとは・・・
驚きです。
日本の三大山城とは、
奈良県の高取城、岡山県の松山城、岐阜県の岩村城をさすそうです。
このうち高取城は比高が一番高いそうです。
(比高とは、麓から本丸までの高低差)
比高が高いということは、それだけ攻められ難いお城という訳で
日本一の山城といわれる所以です。
クマさんが本丸の場所を示してくれています。
よく見ると、木から一体で彫られていました。
本丸跡(標高583m)からの景観。
景観もさることながら、
こんな山の上に、よくぞこんな壮大な城を築いたものだと
改めて感服しました。
建築資材をかつぎあげるだけでも、大変だったのでは?
三層の天守、小天守、27の櫓、33の門を擁する、壮大なお城だったようです。
先月、 壺阪霊験記で有名な「壺阪寺」を訪れました。
昔から目の不自由な人々にとっての聖地として
信仰されてきたお寺です。
私も緑内障に伴う視力低下に悩んでいますので
謹んでお参りしました。
仁王門をくぐります・・・
もみじ超しに見る、大観音石像
インド渡来の石像群
「壺阪寺」にお参りした後、お寺の横の登山道から
高取城跡をめざしました。
登山道から見下ろす寺域。
壺阪大仏が見えます。
登山道からの景観
道はだんだん細くなります・・・
だんだん急峻になります・・・
行き交う人もほとんど無し・・・
家内とふたり黙々と頂上めざしました。