松陰神社境内には、「薩長土連合密議之処」と刻まれた
大きな碑がありました。
坂本龍馬(土佐) 久坂玄瑞(長州) 田上藤七(薩摩)の3名が相寄り
ここで密議をこらしたようです。
幕末の雰囲気に包まれる感じです。
松陰神社から少し南に歩くと、吉田稔麿 誕生地の碑がありました。
吉田稔麿は、京都三条の池田屋で新撰組に襲われ(所謂 池田屋事件で)
24歳の若さで亡くなった志士です。
更に南に歩いた所に伊藤博文 の旧宅がありました。
旧宅の入口。
旧宅は茅葺きのこじんまりした家です。
内部は公開されてません。
14歳から14年間この家に住み、ここから松下村塾に通っていたそうです。
その伊藤博文が、遂には日本の初代総理大臣にまで上りつめていきます。
伊藤博文の旧宅の隣には、博文が東京で建てた大きな屋敷の一部が ここに
移築されています。
写真は玄関の間です。
玄関から書院へ続く廊下の天井です。
この天井板は、厚さ3cm、幅145cm、長さ366cm、無節無傷の貴重なものだそうです 。
樹齢約1000年の吉野杉からとったもだそうです。
離れ座敷の天井板は逆に節だらけのものが使われています。
節が抜け落ちないよう工夫されているようです。
これを建てた宮大工の遊び心があらわれている、との説明を聞きました。
こちらは書院の間の欄間です。
「月の字くずし」の欄間だそうです。
博文がこの欄間 をいつも眺めたいたのだと思うと感慨無量です。
こちらは離れ座敷の袋床です。
庭には、博文が明治天皇から拝領したという灯篭が ありました。
珍しい紋が入っています。
右半分は菊の紋、左半分は桐の紋です。
初めて見る紋です。
生家の横には伊藤博文公の像がありました。
像の足元には
慎ましやかな茅葺の生家と、功成り名を遂げた後の豪華な別邸が並んで建っています。
農家の子が苦学して総理大臣にまで駆け昇っていった
波乱万丈の人生を物語っているようです。