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自遊日記

定年後の備忘録

20年前のドイツ(ベルリン)

2012-10-23 09:18:00 | スペイン・蘭・独・仏の旅

 

お馴染みのブランデンブルク門。

門頭を飾っているのは、古代戦車に乗る女神像です。

かっては、東西分断の象徴だったブランデンブルク門ですが、

今や統一ドイツのシンボルになりました。

 

かっては、この門の下をナチス突撃隊が行進していたと考えると・・・

感慨無量です。

 

 

 

ベルリンの壁が展示してありました。

東西ベルリンを28年間も分断していた壁です。

壁が壊され、自由に行き来出来るようになったのは1989年11月です。

私が訪れたのは1992年ですので、

まだ壁の余韻が少し残っている時期でした。

 

 

 

壁の破片を売っていたので買って帰りました。

もっともらしく、ナンバーまで入っていますが

本物の壁かどうかは、わかりませんね。

 

 

 

ブランデンブルク門を少し東へ行ったところにある

ペルガモン博物舘を見学しました。

 

 

 

ベルリンを東西に流れるシュプレー川の中州に

このペルガモン博物舘は建っています。

ギリシャ神殿様式の壮大な建物です。

 

古代ギリシャ、オリエントのコレクションが見事でした。

 

 

 

 


20年前のドイツ(ケルン)

2012-10-21 09:20:44 | スペイン・蘭・独・仏の旅

 休日を利用して、デュッセルドルフからケルンに向かいました。

ひとり旅です。

コンパートメントの列車に乗ったのは、これが初めてです。

ひと部屋ごとに区切られているので、

同じ部屋の乗客の間では、何となく親近感が増す感じでした。

 

 

 

 ケルンの駅前に聳え立つ、ケルン大聖堂。

ゴシック様式では世界最大の建築物で、世界遺産でもあります。

 

 

 

 

 

 キリストの受難や、生誕逸話などを描いたステンドグラスも見事でした。

 

因みに、ケルン人の郷土の誇りは、この大聖堂とオーデコロンだそうです。

ケルンはオーデコロン発祥の地で、

オーデコロンとは仏語で「ケルンの水」と言う意味だそうです。

家内への土産に1本買いました。

 

 

 

 

 

それはともかく

 ケルンの駅の対岸で開かれていた国際見本市を見学した後、

市内中心部に戻り、昼食の場所を探しました。

 

写真の店はちょっと敷居が高そうだったので、入るのをやめて・・・

 

 

 

・・・ こちらの、お手軽そうな店に入りました。

 

この店で、ドイツに行ったら絶対食べたいと思っていた

白ソーセージ(ヴァイス ヴルスト)にありつけました。

茹で汁に浮かんだ状態で出てきました。

白ソーセージは非常に傷みやすく、

正午を過ぎると供されない、という話も聞きました。

これがソーセージか?というやさしい味・・・絶品でした。

 

 

 

 

 


20年前のドイツ(デュッセルドルフ)

2012-10-13 10:19:42 | スペイン・蘭・独・仏の旅

 約20年前、仕事でドイツのデュッセルドルフを訪れました。

写真は、旧市街の街並みです。

中世の雰囲気が残っています。

 

 

 デュッセルドルフは

ハイネを生みメンデルスゾーン、ブラームスを育てた

文化の香り高い街です。

日本人も多く住む、日本には馴染みのある街です。

 

 

 美術舘の窓からみた旧市街の表情、

 

 

 

街の中心ケーニヒスアレー。

世界を代表する一流ブランドショップが軒を連ねています。 

 

 

 

 市内の地下鉄の乗り場で、要領がわからず途方にくれていた時

背の高い年配の女性が親切に使い方を教えてくれました。

2マルク投入して、無事地下鉄に乗れましたが

デュッセルドルフの懐かしい思い出です。

 

 


20年前の「ジュネーブ」の街並み

2012-05-14 17:28:30 | スペイン・蘭・独・仏の旅

 

20年前、仕事でジュネーブを訪れました。

ミラノから列車でアルプス越えをし、ジュネーブに入りました。

写真は宿泊したホテルです。

 

 

 

 

 

街には教会がいっぱいありました。

それとスイスと言えば「時計」 です。

いろんな場所で「時計」を見かけました。

 

 

 

 レマン湖沿いの街路樹。  真冬で観光客はいません。

 

 

レマン湖のほとりの彫像。

ちょっと寒そうですね。

 

 

 レマン湖沿いには、瀟洒なビルが沢山並んでいました。

GATTの本部がこの近くにありました。

今はWTOに変っているかも。

 

 

 

夕食はホテル近くのレストランで、チーズフォンジュをいただきました。

トマト味やキノコ入り、ハーブ入り等、種類が多いのに驚きました。 

 

近くに座っていた外人夫婦(オーストラリア人)と仲良くなり

カタコトの英語で、

ラグビーの話や食べ物の話で盛り上がった事を懐かしく思い出します。

自分の得意分野のテーマを、一方的にまくしたてただけで

これを会話と呼ぶには、ちょっと無理がありますが・・・。

 

 

 


20年前の「スコットランド」

2012-03-24 16:52:55 | スペイン・蘭・独・仏の旅

20年ほど前、仕事でスコットランドのグラスゴーを訪れました。

写真はグラスゴー市役所です。 注目いただきたいのは国旗です。

ユニオンジャックでなく、

スコットランドの国旗(青地に白い斜め十字の聖アンデレ十字)が

翩翻とはためいていました。

同じ英国の中とはいえ、「イングランド」に対する対抗心が垣間見えました。

 

 

 

 

 グラスゴー大学のキャンパスです。 

 

 

 

 グラスゴーの東方にエジンバラがあります。

写真は、エジンバラのホリルードハウス宮殿です。

 

 

 

エリザベス女王が、スコットランドを訪問される際は、

ここが、公式の宮殿として使用されるようです。

 

 

 

 

 グラスゴーのホテル前のタクシー。

何度か乗りましたが、室内が広く乗り心地満点でした。

 

 

 

グラスゴーで4泊しました。

 ホテルの部屋には、常に紅茶とクッキーが準備されていました。

甘さ押さえめで、ちょっと固めのクッキーが絶品でした。

 

スコットランドでは、イギリス全土で流通しているポンド紙幣とは違う

独自の紙幣も発行していました。

現地を訪れてみて、はじめて知ることが沢山ありました。

質実剛健で、ちょっと粗けずりな感じのスコットランドのファンになりました。

 

 


20年前の「新凱旋門」

2012-03-16 17:46:51 | スペイン・蘭・独・仏の旅

パリの西部に新都心ラ・デファンスがあります。

ラ・デファンスのシンボルがこのグラン・アルシュ(新凱旋門)です。

それほど大きく見えませんが、一辺が105mもある巨大なアーチです。 

 

 

 

 

アーチの 両サイドはオフィスになっています。

1989年、ここで第15回先進国首脳会議(サミット)が開催されました。

 

因みに・・・

このアルシュ・サミットでは環境問題が主要テーマになり、

日本は巨額の資金提供を申し出ています。

当時は日本も絶好調でしたね。

 

 

 

 

 

近づくと巨大さがよくわかります。

40階建ての巨大なビルです。

 

 

 

 

中央には観光客様のシースルーのエレベーターがありました。

しかし、このあたりはあくまでもビジネス街なので

観光客はそれほど見かけませんでした。

 

 

 

 この新凱旋門から東の方を眺めると、エトワール凱旋門が見えます。

(写真の中央部ですが、ちょっとぼやけています)

 

エトワール凱旋門を、更に東に行くとルーブル美術舘があります。

つまり、新旧の凱旋門とルーブル美術舘は同一の軸線上に設計されています。

さすがフランス・・・やる事がオシャレですね。

 

 

 

 お馴染みのエトワール凱旋門です。

 

 

 

 

旧市街と新市街・・・

いろんな顔を持つパリでした。 

 

 

 

 

 

 


20年前の「モンマルトルの丘」

2012-03-15 18:28:48 | スペイン・蘭・独・仏の旅

モンマルトルの丘には「サクレ・クール寺院」が聳えたっています。

パリで一番小高い丘です。

 

 

 

       モンマルトルの丘は、似顔絵描きや自分の作品を売る画家たちでいっぱい。

           ピカソやモディリアーニも、ここに住んでいたことがあるそうです。

 

 

 

 

                  瀟洒ななレストランがありました。

                     フランスを感じます。

 

 

 

                ユトリロの絵に出てきそうな光景ですね。

               ユトリロは、ここモンマルトルの生まれで、

            教会や小路などの 身近な風景を好んで題材にしています。

             因みに、ユトリロ母親は、ルノワールやロートレックの

           モデルになるほどの美人だったそうで、画家でもあったようです。

 

 

 

 

           モンマルトルの丘で買ったお土産です。 20年ほど前のことです。

           ちょっと肌寒い日にサクレ・クール寺院の前の階段を登ったのを、

                まるで昨日のことのように思いだします。

 

 


20年前の「ノートルダム大聖堂」

2012-03-12 18:56:51 | スペイン・蘭・独・仏の旅

 

パリのシンボル、ノートルダム大聖堂です。 

(東側から見た図です)

東側には、菩提樹の木が沢山ありました。

 

 

 

クモの脚のような部分は

 ゴシック建築の特徴である飛梁(フライング・バットレス)です。

飛梁が壁を支えくれるので、建物を高く出来ます。

また、飛梁のおかげで、大きな窓を設ける事が出来るようになりました。

ステンドグラスが普及したのも、飛梁のおかげです。

 

 

 

 

壁から突き出て、口を開けているのは

ゴシック建築にお馴染みの排水口(ガーゴイル)です。

大聖堂好きにはたまりません。

 

 

 

 西側正面入り口上部の彫刻です。

キリストの「最後の審判」の様子が描かれています。

 

ガイドさんの説明では・・・

聖書を読めない人が多かった中世では、彫刻やステンドグラスなどで

キリストの教えを表現していたそうです。

 

因みに

東日本大震災から1年経った昨日(11日)は

世界のあちこちで追悼のミサやコンサートが開催されたようですが、

ここ「ノートルダム大聖堂」でも、追悼のミサが捧げられたそうです。

 

 

 

 

 

パリのシンボルと言えばエッフェル塔も欠かせません。

しかし、展望台に登る時間はなく、外観だけ眺めて帰りました。 

慌しいパリ歩きでした。

 

 

 


20年前の「パリの街角」

2012-03-10 18:34:01 | スペイン・蘭・独・仏の旅

20年ほど前、仕事でパリを訪れました。

 

 

 

  街のなかには、カラフルなオブジェが いっぱいありました。       

 

 

 

この窓は、どれが本物で、どれが偽ものかよくわかりません。

だまし絵が施されています。

パリの街には、ゆとりと言うかユーモアもたっぷりあります。

 

 

 

昼食は、現地ガイドさんと2人っきりでとりました。

窓からジャンヌダルクの像が見える、庶民的なレストランでした。

 

 

 

隣のテーブルでは、

地元の女性がおしゃべりをしながら食事を楽しんでいました。

観光客らしき姿はゼロ、地元の人御用達の店でした。

 

 

 

昼食時にガイドさんが「何を食べたいですか」と尋ねました。

すると、ツアーの一行から「日本食」「日本食」の声があがりました。

日本を出て何日かたつと日本食が恋しくなるものです。

私を除く全員が高級な日本食レストランへ行きました。

 

私はガイドさんに

「折角フランスまで来ているのだから、私はその土地の料理を食べたい。

それも高級なフランス料理なんかでなく、

フランスの人が日常食べている普通の料理を、食べたい」

と申し入れました。

するとガイドさんはいたく共感し「私はあなたのような考え方の人大好き」

と言って、喜々として地元の人がよく利用する

大衆レストランへ連れて行ってくれました。

ジャンヌダルクの像を眺めながら、意気投合したガイドさんと

食事とオシャベリを楽しんだ事を懐かしく思いだします。

 

 

 


1990年に訪れたアムステルダムの街

2011-07-11 15:59:11 | スペイン・蘭・独・仏の旅

 

 

オランダと言うとまず風車が頭に浮かびます。

 

 

 

オランダは、国名(Nederland低い土地)の通り

国土の3割が海面より低いようです。

 

 

 

街の縦横に運河が走っています。

 

 

この家なんかは、水びたしを前提に建っている感じです。

 

 

オランダでは人口より自転車の数が多いそうです。

日本のように起伏に富んだ国ではなく、フラットな国土なので

快適に走れそうです。

 

 

プリンセン運河にやってきました。

 

 

 

「アンネの日記」で有名なアンネ・フランクが隠れていた家が

このあたりと聞きましたが、どの家がそうなのかよくわかりません。

 

 

 

 

プリンセン運河沿いに建つ、西教会です。

アンネは隠れ家で、毎日この教会の鐘の音を聞いていたとの事。

密告によって逮捕されるまでの2年間、日記を綴ったそうです。

 

 

 

 

木靴を造っている、小さな工場に立ち寄りました。

娘の土産にと、木靴を買った事を思い出します。

古い写真を断捨離しながら、思い出に耽るのもオツなものです。