自遊日記

定年後の備忘録

三重県 浦村かき祭り

2009-02-23 11:47:37 | 国内旅行
この土曜日、三重県・浦村の牡蠣祭りに行ってきました。

京都から、京滋バイパス~新名神~伊勢自動車道と走って鳥羽に着いたのが
10時過ぎ。鳥羽から本浦港に近づくにつれ渋滞が激しくなりました。
会場の本浦港に着いたのは11時過ぎ。
ちょっと出足が悪かったようで、会場は人々々で埋まっていました。








     やっと牡蠣祭り会場の本浦港に到着しました。
     ここは、浦村牡蠣の本拠地。
     





     漁船があちこちに係留されています。





       牡蠣祭り会場には、大漁旗もたなびいており、
          雰囲気を盛り上げていました。







       沖の方には、牡蠣筏がいっぱい見えます。






  浦村の牡蠣が美味しいのは、山々から流れてくる川に栄養がたっぷり
  含まれているからだそうです。
 






   牡蠣祭り会場で人気のあるのは、焼き牡蠣コーナーです。
   有料ですが、一皿(焼牡蠣4個入り)100円と安いので長蛇の列です。








   私も並んで、アツアツの豪快な焼牡蠣をたっぷりゲットしました。
   旨い!  遠路はるばるやって来た甲斐がありました。

   牡蠣汁は無料でふるまってくれますが、こちらも美味でした。







   牡蠣の詰め放題コーナーも超人気で、長蛇の列でした。
   あまりにも列が長いので、こちらは並ぶのを諦めました。

  他に牡蠣のチジミ、牡蠣のじゃんじゃん焼き(牡蠣の味噌炒め)
  の列に家内と手分けして並び、アツアツを賞味出来ました。

   牡蠣フライコーナーと牡蠣めしコーナーは、残念乍ら、
   既に完売の札が出ていました。







   牡蠣祭り会場で、牡蠣フライと牡蠣めしを食いはぐれたので
   帰路、牡蠣料理の店に入り、どちらもしっかりお腹に収めました。

     青い海を眺めながら、牡蠣三昧の一日でした。

    牡蠣料理店の入り口に、桜と菜の花が咲いていました。
    牡蠣の旨い季節も、そろそろ終わりでしょうか。
  


「60歳のラブレター」読了

2009-02-15 17:16:08 | 読書

このほど「60歳のラブレター」を読みました。

夫から妻へ、妻から夫へ いろんなラブレターが収録されています。

さまざまな夫婦が描く、さまざまな人生模様・・・。

 リストラされた時に、やさしい心遣いをしてくれた妻への感謝の言葉・・・

 病気で挫けそうになった自分を、懸命に支えてくれた夫へのラブレター・・・

 定年をいたわる妻の言葉・・・~等、百人百様の人生が綴られています。


いずれも、長い間連れ添った伴侶への、深い尊敬と愛情溢れるものばかりです。

住友信託銀行が募集したもので、既に何冊も本になっているようです。

羨ましい話、お気の毒な話、笑ってしまう話、思わず涙ぐんでしまう話・・・
小説だけでなく、たまにはこんな心暖まる本を読むのも、楽しいものです。




桂小五郎・幾松の 寓居跡

2009-02-13 16:13:08 | 京都 街歩き

高瀬川沿いの木屋町通りをぶらぶら南に向かって歩きました。

高瀬川沿いには、幕末期、長州藩や土佐藩の藩邸がありました。
その関係からか、幕末に活躍した志士達の寓居跡も、沢山あります。

ここは、がんこ・二条苑のちょっと南にある、桂小五郎寓居跡です。
すぐ西に長州藩邸があり、ここは長州藩控屋敷の性格もあったようです。








現在は、その名も「幾松」という名前の料亭になっています。

幾松というのは、ご存知の通り桂小五郎の恋人で才色兼備の芸妓さん。
後の松子夫人です。

京都に潜伏中、小五郎は何度も命を落としそうになるが、その都度
幾松に助けられたそうです。

この寓居跡でも、あわや・・・というような事件があったようです。

ある日、新撰組の御用改めがあり、近藤勇が踏み込んできました。
小五郎は戦うつもりだったのですが、幾松がたしなめ、部屋の隅に
あった長持ちに隠しました。
そして、その前で幾松は、平然と三味線を弾いていたそうです。

あちこち探したが見つからないので、近藤勇が長持ちに手をかけようとすると
幾松は三味線のバチで勇の手を払いのけ・・・

「これだけ屋敷を探して、私に恥をかかせた上、もしもこの長持ちの中に
どなたもいやはらへんだった場合、近藤はん!責任とってこの場で切腹して
くれはりますか?その覚悟がおありどしたら、どうぞ改めておくれやす」

      近藤は謝って去っていったそうです。

   度胸の据わった幾松を彷彿とさせるエピソードです。

その後、明治維新での桂小五郎(木戸孝允)の大活躍は、ご存知の通りです。

そして、西南戦争真っ最中の時期、この寓居跡で亡くなりました。
夢うつつの中で「西郷!いいかげんにせんか」
とつぶやきつつ息を引き取ったそうです。


    高瀬川沿いには、波乱万丈の人生がいっぱいあります。

高瀬川に浮かぶ「高瀬舟」

2009-02-11 18:01:22 | 京都 街歩き

   がんこ二条苑から道路の下を潜って流れてきた水は、ここから
   「高瀬川」となって、京の都を南下していきます。




高瀬川は川というより、本来は舟運を目的とした運河です。
水深も数十センチと、ごく浅い川です。

この高瀬川に一艘の高瀬舟が係留されていました。

高瀬舟というのは、底が平たく舷側が高い船で、15石(2.25トン)
ほどの荷物を運べたようです。
盛時には百数十艘の高瀬舟がこの運河を上下し、大阪などの物資を
京へ運び入れたそうです。

勿論、物資だけでなく罪人を運ぶ事もあったようです。

罪人というと、森鴎外の小説「高瀬舟」が思い起こされますね。

弟殺しの罪で、遠島を申し渡された喜助という罪人を、京都町奉行所の同心が
高瀬舟に乗せて大阪まで護送する時の話です。
この舟上で交わされる、同心と喜助のやりとりや、同心の感慨などが綴られて
います。

遠島を申し付けられた罪人は、ほとんどの場合ガックリうなだれて
落ち込んでいるのに、この喜助は妙に明るく晴ればれとした顔をしている。
不思議に思った同心が喜助にいろいろ語りかける・・・という所から物語は
始まります。

   「足るを知る」事の大切さや、安楽死の問題などが
   テーマになっています。
   現代にも通じる、重い問題が語られています。

小説の最後はこんな言葉で締めくくられています。
「次第に更けていく朧夜に、沈黙の人二人を乗せた高瀬舟は、黒い水面
をすべっていった」






「高瀬川」源流庭苑

2009-02-09 17:01:33 | 京都 街歩き

       がんこ二条苑の庭の中央を川が流れています。
       この川が京の「高瀬川」の源流だそうです。
       写真左手から右の方に流れています。

       京の繁華街のど真ん中を流れる「高瀬川」の源流が
       こんな所にあったとは、初めて知りました。








  源流と聞いて、ここに大きな湧き水でもあるのかと一瞬思いましたが、
  そういう事ではなく、鴨川からこの庭に水を誘導(分水)しており、
  ここから「高瀬川」がスタートしているのだそうです。

         写真は、鴨川からの取水口です。







   鴨川から分水された水は、庭の中央をさらさらと流れていき、
      庭を出たところから「高瀬川」になります。

   ここに最初に住んだのは、江戸時代初期の豪商であり土木技師でもある
                 角倉了以。

 自分が開削した大運河「高瀬川」の源流に住む、という発想が面白いですね。
 日々どんな気持ちでこの流れを眺めていたのでしょうか・・・。    






  庭の小高い場所には、日本一大きいと言われている灯篭があります。

    灯篭の下は東屋になっており、休憩も出来庭を俯瞰も出来ます。
        鴨川越しに、東山三十六峰も眺められます。








          東屋風灯篭から眺めた、庭







  この建物は、明治時代に能舞台として使われていたようです。
         少し名残りが感じられます。








        誰が袖(たがそで)のつくばい。
  着物の袖の形をしているから、この名がついているそうです。








   庭には、豊臣秀吉が好んだ金の茶室と同形のお茶室があります。

   このお茶室の右手こんもりした部分は、小堀遠州作庭の茶庭です。






     ワビ、サビの風情溢れる小堀遠州の手になる茶庭。








    茶庭のつくばいの前には、珍しい韓国製の灯篭がありました。
         

明治の元勲・山県有朋 別邸跡で昼食

2009-02-07 17:15:53 | 京都 街歩き

    吉田神社の参拝を終え、二条大橋にやってきました。
       そろそろお腹も空いてきました。

   今日の昼食場所は、鴨川越しに見えてきた「がんこ寿司」です。








ここは、「がんこ・二条苑」(がんこ寿司チェーン)となっていますが
もともとは、京の豪商「角倉了以」の別邸だった所だそうです。

その後 明治の元勲 山県有朋の別邸になったり、日本銀行総裁の別邸に
なったり・・・と巡り巡って現在は「がんこ・二条苑」が所有しているようです。

入り口は、高級料亭のような雰囲気ですが、至って庶民的なリーズナブルなお店です。






ここ「がんこ」のお庭は「高瀬川の源流庭苑」としても有名だそうで、
由緒ある庭を眺めながらの昼食・・・楽しみです。

ところで「高瀬川」は、京都・伏見を結ぶ運河として、角倉了以が開削したもの。

鴨川は水量が少なく、勾配も急で船で遡る事は無理だったようです。
そこで、角倉了以が私財を投じて運河を築き、京都・大阪間の大動脈が
出来上がったそうです。

大阪と伏見の間は淀川を三十石船が走行し、伏見と京都の間は高瀬川を
高瀬舟が走行・・・といった感じで、大阪~京都間が繋がったおかげで、
京、大阪とも急速に発展したようです。






     店内は、香が焚かれており、優雅な気分です。

   節分前とあって、店内には、こんなものも飾ってありました。








      リーズナブルな「お昼の懐石料理」をとりました。
    食べるのに忙しく、料理の写真はあまり撮れませんでした。






        途中に出てきた、豆乳湯葉鍋です。
  湯葉をすくって食べた後、自分でにがりを加えて作る、手造り豆腐。
            オツな味でした。






        庭を眺めながらの食事、満足しました。

        食事の後、のんびり庭を散策しました。
            庭の様子は次項で。




吉田神社の「さざれ石」

2009-02-06 14:36:39 | 京都 街歩き
     吉田神社の境内には、珍しい石がいくつかありました。






ここは、吉田神社の境内にある今宮社です。

階段を上って敷地の四隅を見ると、意味ありげな石があります。
これらは、四神石という方位を守る霊石だそうです。








       東南の隅にあるのは、青龍石です。
       龍をイメージしているのでしょうか。







    こちらは、西北の隅に置かれている、玄武(亀)石です。








       これは、西南の隅を守っている、白虎石です。

     もう一つ朱雀石というのがあるようですが、内陣の中にあり
     外部からは見えません。

     大相撲でも、四隅に青房、白房、黒房、赤房が設えてあり
     現代にも、脈々と四神を敬う伝統は受け継がれているようです。






    こちらは、慶安元年(1648年)に造営された若宮社です。







    若宮社の横に、古色蒼然とした立て札がありました。
    国歌、君が代に出てくる、「さざれ石」の説明文です。







           この石が、さざれ石です。

   国歌「君が代」は悠久なる日本が末永く栄える事を祈る歌ですが
   その中に、「さざれ石」という言葉が出てきます。

   小石が凝結し巨岩となったもので、
   世を重ねるたびに、益々盛んに繁栄する・・・
   という意味を象徴する目出度い石のようです。

   最近は、日本の前途もちょっと危ういのでは?と感じる事も
   しばしばですが、何とか、千代に八千代に栄えていって欲しいものです。

節分祭前日の 吉田神社

2009-02-04 18:17:02 | 京都 街歩き
     1日の日曜日、吉田神社界隈を散策しました。
    京都生まれの京都育ちの私ですが、恥ずかしながら
       吉田神社を訪れたのは、初めてです。







   京阪の出町柳駅からぶらぶら歩いて、吉田神社をめざしました。
   吉田神社の手前に、京都大学のキャンパスがあります。

           おー!  懐かしい!  
      このキャンパスを歩くのは何年振りでしょうか。

    勿論、ここで学んだ訳ではありませんが、高校時代に一度だけ
         京大の門をくぐった事があります。  
         模擬試験の会場が、ここ京大でした。

    キャンパス内の銅像のあたりで、記念写真を撮ったのですが、
         今でもその銅像はあるのでしょうか?

   数十年前の思い出を辿って、しばしキャンパスを徘徊しました。







  京大のキャンパスをうろついた後、吉田神社にやって来ました。

  当神社は、貞観元年(859年)、京の都の守護神として都の東北(表鬼門)
  に位置する、ここ吉田山に創建されたものです。

  厄除けの崇敬篤い本宮をはじめ、全国の神々を祀る大元宮(だいげんぐう)
  などがあります。

  節分には、京都の多くのお寺や神社で節分会が行われますが、
  その中でも、京の北東に位置する吉田神社、北西に位置する北野天満宮
  南東に位置する伏見稲荷、南西に位置する壬生寺の計4ヶ所は「京」を
  守護する場所にあり、特別に意味があるようです。

  ここ吉田神社の節分祭は2月2日~4日に行われ、毎年50万人の参拝客で
  賑わうようですが、私達が訪れた1日はまだ準備の真っ最中で、のんびり
  参拝できました。





 



   節分祭の当日ではないのですが、日曜日とあってそれなりの参拝客
   も見かけました。








     本宮横の建物にはたくさんのお供えものが・・・








 本宮から少し奥に進んだ所に、全国の神々を祀る大元宮(だいげんぐう)が
 あります。

 この社は、八角形の珍しい形をしており、国の重要文化財でもあるそうです。









  八角形の建物の周りに、日本全国の神々が祀られています。

 当神社に仕えた吉田家は、近世まで神社界の総家と仰がれ、神道に大きな
 影響を与えてきたそうです。

 因みに、徒然草を著した吉田兼好も、その一門だそうです。

「天国の五人」読了

2009-02-02 18:46:57 | 読書

このほど、米国の作家 ミッチ・アルボム著「天国の五人」を読了しました。
なかなか示唆に富んだ、内容の濃い本でした。

この作品は、いきなり主人公が死ぬ場面から始まります。
遊園地の機器のメンテナンス係りをやっているエディが、事故で死亡。
落ちてくるアトラクションから少女を守ろうとして、下敷きに
なって死にます。妻にも先立たれており、単調な仕事にも不満足な状態
での死亡でした。

天国で5人の人物に会います。軍隊時代の上官や妻他、都合5人の人物
が彼を待っていました。
彼を待っていた5人の人物によって、いろんな事を伝えられ
教えられ、気付かされていきます・・・。
五人が語る夫々の話が、胸を打つ話です。
彼にとっては、初めて知る話ばかりです。

人間は一人では生きていけない。
人に生かされ、同時に人を生かせて生きている、という事を
改めて気付かせてくれる、いい作品でした。