自遊日記

定年後の備忘録

「赤い舘の騎士」読了

2010-01-30 14:42:57 | 読書

このほど、アレキサンドル・デュマ著「赤い舘の騎士」を読みました。
サブタイトルは、マリー・アントワネットを救え!となっています。

タイトルにもある通り、物語は囚われの身となったマリー・アントワネットの
救出を図る一団と、それを阻もうとする勢力の戦いを描いたものです。

「三銃士」や「モンテクリスト伯」などを著した文豪A・デュマの
作品だけあって、やはり読者を飽きさせません。

救出劇が失敗し、結局マリー・アントワネットは断頭台の露と消える・・・
という結末は、最初からわかっているのですが、それでも結構引きこまれました。














写真は、マリー・アントワネットが育ったウイーンのシェーンブルン宮殿と庭園です。

女帝マリア・テレジアは、末娘マリー・アントワネットの行く末を案じ、贅沢を戒める
手紙を何度も出したようですが、その思いが通じないまま1780年に亡くなりました。

マリー・アントワネットが処刑されたのは、テレジアの死の13年後のことだったようです。
娘の悲劇的な最後を知らずに亡くなったのは、せめてもの救いかもわかりませんが・・・。

数年前訪れたシェーンブルン宮殿の光景を思い浮かべつつ、デュマの世界を楽しみました。


九州の旅(熊本城)

2010-01-27 18:09:15 | 国内旅行

               長塀越しに見る、熊本城。
             右側が大天守 左側が小天守です。









          大手門をくぐって、近くで見る大天守。

     外壁は、軒下部分だけ白壁を使い、他は黒の下見板を使っている。
             黒と白の重厚な佇まい・・・

      さすが日本三名城のひとつ、凛としたものを感じます。







         加藤清正が7年の歳月をかけて築城した熊本城は、
               往時は天守閣の他に
      49の櫓、29の城門を備える堂々たるものだったそうです。








      写真は、天守閣から見た宇土櫓(国指定重要文化財)です。
     創建当時から残っている多層櫓で、天守閣を守る要衝に建っています。

          宇土櫓の向こうの方にも小さな櫓が見えます。

          これらの櫓や曲輪が完成した時、加藤清正は

    「もし自分が居ないときに敵が攻めてきても、この櫓や曲輪を攻略するのに
     百日はかかるだろう、その間にどこに居ても城に帰ってくる事が出来る」
                と言ったそうです。

             難攻不落の名城だったようです。





        

        
        往時は、こんな武者が城内を闊歩していたのでしょうか。







          城内に「首掛石」という大きな石がありました。

       熊本城 築城の際、横手の五郎という怪力無双の若者がこの
       1.8トンもある石を首にかけて1人で運んできたそうです。






              天守閣から見た「本丸御殿」です。
           ここは歴代藩主の、行政の場だったそうです。

    この「本丸御殿」は、平成15年に着工、古い絵図や文献を参考にしながら
      復元工事がすすめられ平成20年に完成した、まだ新しい建物です。







              「本丸御殿」の大広間です。

   鶴の間(60畳) 梅の間(35畳) 桜の間(28畳) 桐の間(28畳)
               等が連なっています。









          写真は、大広間の奥にある、若松の間です。

     金箔を重ねた下地に、岩絵具で見事な滝や若松が描かれています。








      「若松の間」の向こう側には、「昭君の間」があります。
         欄間から、華麗な格天井が少し見えています。







         ふんだんに金箔や漆が使われており、豪華絢爛。
    大名文化の粋を集めて建てられた、往時の姿が見事に再現されています。







        中国宮中の物語がモチーフになっているようです。
      画面右手の馬上の人物が、前漢の美女「王昭君」だそうです。







             「昭君の間」の華麗な格天井。

  ちなみに、この「昭君の間」は実は「将軍の間」の隠語だという説もあるようです。
 豊臣家が危うくなった場合、秀頼をこの部屋に迎えるつもりだった・・・という説です。

   結局のところ、秀頼が大阪夏の陣で滅ぼされる4年前に、清正が亡くなったため、
          秀頼がこの部屋に来る事はなかったようです。

九州の旅(宮崎・高千穂峡)

2010-01-21 16:44:40 | 国内旅行

             神話の里、高千穂にやってきました。
        近くには、天照大神がお隠れになった天の岩戸もあるそうです。

           神都高千穂大橋の下をくぐって、渓谷に向かいました。








             しばらく歩くと渓谷が見えてきました。

        ふりかえると、五ヶ瀬川に架かる3つの橋が重なって見えました。
           手前から、神橋、高千穂大橋、神都高千穂大橋です。









         数十万年かけて、五ヶ瀬川によって侵食された渓谷。
          国の名勝であり、天然記念物である高千穂峡。

                 水深はかなり深そうです。







             屏風のような岩や奇岩が、随所にあります。









         あれ~。こんなところでボートに乗っている人が・・・。









       少し進むと、左手に滝が見えてきました。真名井の滝というそうです。

            自然が描く、岩と水の造形美・・・









         滝を越えて少し行ったあたりにボート乗り場がありました。










          しめ縄が飾った、農家のような建物がありました。







          近ずいて見ると、「神楽の宿」とありました。

         さすが神話のふるさと、ここで神楽が演じられるようです。







      高千穂峡の茶店で、竹筒で燗をしたお酒、ダンゴなどを売っていました。
           昼食前だったので、写真だけ撮って我慢しました。

         さて、高千穂峡を観光した後は、熊本城へ向かいました。


九州の旅(宮崎県庁~フェニックス・シーガイア・リゾート)

2010-01-17 11:37:32 | 国内旅行

         今や宮崎観光の目玉になりつつある、宮崎県庁です。
           残念ながら、お正月で閑散としていました。

          県庁職員がつく「県庁ツアー」もあるようなので、
          機会があれば庁内を覗いてみたいところですね。









            県庁で、知事に会う事は出来ませんでしたが、
         東国原知事の看板には、県内のあちらこちらで出会いました。

                今や宮崎の顔ですね。









                宮崎神宮にやってきました。
          ここは、皇族方のご参拝も多い由緒ある神社です。

 これで宮崎の三社(鵜戸神宮、青島神社、宮崎神宮)の初詣を無事終える事が出来ました。










       初詣を終え、まだ陽の高いうちにホテルに到着しました。
フェニックス・シーガイア・リゾートにある、サンホテル・フェニックスというホテルです。

         松林の中にひっそりと佇む、静かなリゾートホテルです。









            夕食は和食処「樹海」で和風バイキング。
          おせち料理も出て、お正月気分を手軽に味わえました。










            3日目の朝、ホテルから眺めた日の出です。

           黒い森のようにみえている部分はゴルフ場です。
    世界のプロが集まる、ダンロップ・フェニックス・トーナメントが開催される
              フェニックス・カントリークラブです。

             ゴルフ場の向こうは太平洋(日向灘)です。








             ホテルから見下ろしたコースの様子です。

            松林にセパレートされた素晴らしいコースです。
    タイガーウッズが、このコースで2004年と2005年、2連覇を達成しています。

         ちなみに、昨年の大会ではイタリアのエドアルド・モリナリが優勝。
                残念ながら石川遼君は22位に終わりました。










           ホテルのテラスに出るとコースは目と鼻の先です。
         トーナメント開催中はこのホテルも賑わった事でしょう。

  さてこの後、九州の旅3日目は、宮崎と熊本の県境にある、高千穂峡に向かいました。

九州の旅(堀切峠~青島神社)

2010-01-14 18:33:00 | 国内旅行

       鵜戸神宮を後にして、フェニックス・ロードを北上・・・。
         日向灘を一望できる、堀切峠にやってきました。

        「鬼の洗濯板」と呼ばれる波状岩が広がっています。








          さすが南国。ブーゲンビリアが咲いていました。

    鵜戸神宮~堀切峠~青島のコースは、昔の新婚旅行の定番コースでした。
       ご他聞にもれず、私達もこのコースをレンタカーで走りました。
                  懐かしい景観です。








            堀切峠から更に北上。青島に到着。

         青島植物園を通り抜けて、青島神宮に向かう事にしました。
           植物園入り口にはカラフルな松飾りがありました。








             園内を進むと正面に温室が見えてきました。
       新婚旅行の際、温室の横にあったオープンカフェのような場所で
               写真を撮った事を思い出します。

                  今は閑散としています。








           ヤシの木が林立する公園の向こうは、日向灘です。









             公園を抜け、海岸通りに出ました。
            波状岩に囲まれた、青島が見えました。

           左に見える、橋を渡って島に向かいましたが、
            昔はこの橋は無かったように思います。











            青島の周りの波状岩(鬼の洗濯板)です。

        波に侵食された砂岩と泥岩の累積が隆起したものだそうですが、
                 不思議な光景です。








       波状岩を横目で見ながら、橋をわたり青島神宮に向かいました。







             青島神社に到着。大変な混雑です。
       縁結び、安産、交通安全、航海安全にご利益がある神社です。
           巨人軍がキャンプ中に参拝する事でも有名ですね。


          この後、宮崎神宮に参拝しホテルに向かいました。

九州の旅(宮崎・鵜戸神宮)

2010-01-13 10:28:13 | 国内旅行

   江戸の風情漂う飫肥の城下町を後にし、鵜戸神宮にやってきました。
         飫肥城で見たのと同じ松飾りがありました。

   鵜戸神宮は、洞窟の中に本殿があるという、ちょっと珍しい神社です。
          神武天皇のお父さんが祀られています。








        ご神門には、虎の絵馬が掲げられていました。
         この右側は絶壁で、日向灘が迫っています。








      階段を降りていくと、左手に本殿のある洞窟が見えてきました。

      階段を登って、参拝・・・という形が、一般的な神社ですが
    鵜戸神宮は、階段を降りて参拝という、ちょっと珍しい「下り宮」です。









              本殿にやってきました。
    夫婦和合、安産、厄除け、航海の神として信仰をあつめているようです。

        私達もウン十年前、新婚旅行でここを訪れました。
        お陰様で、今のところ夫婦仲良くやっております。









           本殿の前で、人だかりがしています。
       「運玉」を投げて、今年の運勢を占っている人達です。

         右下にある霊石亀岩に向かって投げています。
   土俵のような枠内にある枡型の穴にうまく入れば、願いが成就するそうです。









              階段を登って帰路につきます。
               階段の横はすぐ海です。










        新婚旅行の際に撮った大きな岩は、今も健在でした。










    前を歩いていた家内が、参道沿いで野生のバナナを見つけました。
    「そんなバナナ・・・」と言いながら近づくと確かにバナナでした。
             さすが南国・宮崎です。







      駐車場まで戻ると、オシャレなバスが停まっていました。
           ロンドンの2階建てバスのような、
        サンフランシスコのケーブルカーのような・・・。

   この後私たちは、平凡なバスに乗って日南海岸の青島に向かいました。

九州の旅(飫肥の城下町)

2010-01-12 10:03:54 | 国内旅行

           飫肥城の城下町を散策しました。

      飫肥城の城下は、碁盤目型の屋敷割りになっており、
       九州の小京都とも呼ばれる整然とした町です。

    お城の近くから順に、上級家臣、中級家臣、下級家臣、町家と
        屋敷割りがなされていたようです。










           屋敷に沿った水路には、鯉が・・・










                 悠然と泳ぐ鯉。
       道路沿いに立派な鯉・・・盗まれないかちょっと心配ですが、
        ここ小京都では、そんな不心得者はいないのでしょうか。








         城下には、小村寿太郎記念館もありました。
     日本の近代外交の礎を築いた、明治の外交官・小村寿太郎は
             ここ飫肥の出身だそうです。









        飫肥地方に伝わる「四半的」の射場がありました。
             的までの距離が→四間半
             弓と矢の長さが→四尺五寸
             的の大きさが →四寸五分

   全て四半である事から「四半的」(しはんまと)と呼ばれています。
    江戸時代から、飫肥地方の人々に農民武道、庶民の娯楽として
             許されていたものだそうです。
 
       こういう小じんまりした城下町を歩くのは楽しいものです。
        さて、この後は日南海岸の鵜戸神宮へ向かいました。

九州の旅(宮崎・飫肥城跡)

2010-01-11 12:05:37 | 国内旅行
今年のお正月も、昨年に続き九州への船旅を楽しみました。

おせち料理もほとんど作る必要がなく、お正月の旅行は
家内が一番気に入っているようです。







             宮崎港が近ずいてきました。

     太平洋岸を走るので、揺れを心配しましたが、終始波も穏やか、
            ほとんど揺れを感じませんでした。
    午後7時に大阪南港を出て、翌朝8時に宮崎港着の約13時間の船旅です。








      寝ている間に目的地に着く船旅は、効率の良い移動手段です。

          しかし、昨夜はあまりうまく眠れませんでした。
       波も穏やか、1等の個室もとれたのですが、慣れないせいか
                熟睡は出来ませんでした。










           朝8時過ぎ、予定時間に宮崎港に着岸。
     やや寝不足状態で、ツアーのバスに乗りこみ、観光地に向かいました。









           最初に訪れたのは、日南市にある飫肥城跡です。
          飫肥は難読地名のひとつで、「おび」と読むそうです。

                写真は飫肥城の大手門です。









          大手門には、お正月とあって松飾りがありました。
              この地方独特の松飾りだそうです。









       大手門をくぐって階段を登ると、飫肥城の本丸跡に出ます。
         ツワモノどもの夢の跡、といったところでしょうか。

 5万1千石の小藩ですが、飫肥藩は何度も薩摩藩と戦い勝ち残ってきたようです。










      藩主の御殿を再現した「松尾の丸」という建物がありました。
              写真は藩主の御寝所です。








           御寝所には、陣羽織や兜も飾られていました。









               総ヒノキ造りの湯殿。









        城跡には歴史資料館があり、飫肥藩主伊東家に伝わる
         甲冑、刀剣、古文書などが展示してありました。
         資料館入り口の松飾りもユニークなものでした。

       この後、江戸時代の面影を残す飫肥の街並みを散策しました。

暖差のある家・ない家

2010-01-08 15:37:42 | その他
12月にロンドンから一時帰国し、我が家に滞在していた娘家族も
1月早々にロンドンに帰ってしまいました。
台風一過・・・ちょっと淋しい昨今です。

それはともかく、滞在中は賑やかで楽しかったのですが、
ちょっと困った事もありました。

それは、石造りで暖差のないイギリスの家と
木造で暖差のある我が家との、違いに起因するものです。








      これはロンドン郊外で娘家族が借りている家です。
        石造りの、イギリスの典型的な家です。









    石造りの壁は厚く、ガラスは全てニ重ガラスになっており
      厳しい寒さに耐えられる構造になっています。

  石造りの家は、一度部屋を暖めると、なかなかさめないメリットがある反面
     暖めるのに時間がかかる、というデメリットもあるようです。









  娘宅では、各部屋、廊下、洗面所、バスルーム、トイレにもスチームが
     通っており、家の中どこへ行っても暖差を感じません。

          そんな環境で生活していた孫が、
      暖差と段差いっぱいの我が家にやってきたので大変でした。








   ちなみに、ご近所の建物も良く似たデザイン、構造をしています。
       








       石造りの建物と言えば、その典型はお城ですね。
        写真はロンドン郊外にある、リーズ城です。








         石の壁の厚さは、ハンパじゃないですね。

       これだけの壁があれば、暖めるのも大変でしょうが
           一度暖めれば長もちしそうですね。








   さて、石造りで暖差のない家の後、木造の暖差だらけの我が家の登場です。
        自慢じゃないが、我が家の廊下は、極寒の地です。

        家の中どこへ行っても暖かい家に住んでいる孫は、
            ドアを閉める習慣がありません。
         廊下に出る時も、ドアは開けっぱなしです。

  孫が出入りするたびに、ドアを閉めてまわる仕事に年寄りは忙殺されました。
        それも力まかせに開けるので、取っ手が壁に激突し、
         ガラスが割れそうになった事もしばしばでした。

    廊下の壁に「出べそ」のようなものが見えますが、私の作った緩衝材です。









          そんなこんなで大変な2週間でしたが、
  暖差だらけ、段差だらけの我が家ですが、娘家族は風邪もひかず、怪我もせず
            無事ロンドンに帰りました。

  今は壁の「出べそ」もはぎとり、いつも通りの平穏な生活にもどりました。

   今頃快適な暖差のないロンドンの家で、孫たちはドアを開けっぱなしで
            走り回っている事でしょう。

          ちなみに、家内は目下風邪気味です。
       

東映太秦映画村

2010-01-06 13:52:56 | 京都 街歩き
年末に、東映太秦映画村を訪れました。
ロンドンから一時帰国中の娘家族のリクエストによるものです。
孫は、シンケンジャーのコーナーへまっしぐら。







シンケンジャーに興味の無い我々夫婦は、娘家族と別れて別行動をとりました。

現役の俳優による「映画村散策ツアー」というのがあったので、これに参加しました。

   内容は、映画村の建物の案内だけでなく、撮影時のエピソードなども
         ふんだんに語られる、結構興味深いものでした。








  遊郭で酔っぱらった浪人が、通行人にからむシーンを実演してくれました。
      
          「よーいスタート」の掛け声で、
    一瞬にして酔っぱらいに変貌するさまは、さすがにプロですね。









   こちらは、時代劇によく出てくる川沿いの廻船問屋のセットです。

         こんなところで大立ち回りが演じられ、
      斬られ役の役者が川に落ちるシーンをよくみかけます。
     何気なく見ていますが、これが結構お金がかかるようです。

      というのは、かつらは水につかると駄目になるからです。
ちなみに、案内役の役者さんが着けているかつらは、20万円ほどするそうです。
     5人川に落ちれば、100万円がパーになるという事でしょうか。








    「水戸黄門が使っている印籠はいくらぐらいと思いますか?」
      案内の俳優さんから質問が出されました。
 「5000円か1万円ぐらいかな」といった答えがツアー参加者から出ました。

            正解はなんと300万円だそうです。
  そこまでお金をかけなくても・・・と思いますが本物指向なんでしょうか。
              いやはや恐れ入りました。















         あと、お馴染みのセットをぶらぶら見て歩きました。

               口入処がありました。
        今で言えばハローワークといったところでしょうか。

         仕事をしたくても仕事がみつからない昨今ですが、
            早く景気が回復してほしいものです。





         
            昼食時に孫たちと合流しました。
      孫たちはシンケンジャーやプリキュアに大興奮の様子でした。

           娘家族も我々PTAも大満足の一日でした。