長塀越しに見る、熊本城。
右側が大天守 左側が小天守です。
大手門をくぐって、近くで見る大天守。
外壁は、軒下部分だけ白壁を使い、他は黒の下見板を使っている。
黒と白の重厚な佇まい・・・
さすが日本三名城のひとつ、凛としたものを感じます。
加藤清正が7年の歳月をかけて築城した熊本城は、
往時は天守閣の他に
49の櫓、29の城門を備える堂々たるものだったそうです。
写真は、天守閣から見た宇土櫓(国指定重要文化財)です。
創建当時から残っている多層櫓で、天守閣を守る要衝に建っています。
宇土櫓の向こうの方にも小さな櫓が見えます。
これらの櫓や曲輪が完成した時、加藤清正は
「もし自分が居ないときに敵が攻めてきても、この櫓や曲輪を攻略するのに
百日はかかるだろう、その間にどこに居ても城に帰ってくる事が出来る」
と言ったそうです。
難攻不落の名城だったようです。
往時は、こんな武者が城内を闊歩していたのでしょうか。
城内に「首掛石」という大きな石がありました。
熊本城 築城の際、横手の五郎という怪力無双の若者がこの
1.8トンもある石を首にかけて1人で運んできたそうです。
天守閣から見た「本丸御殿」です。
ここは歴代藩主の、行政の場だったそうです。
この「本丸御殿」は、平成15年に着工、古い絵図や文献を参考にしながら
復元工事がすすめられ平成20年に完成した、まだ新しい建物です。
「本丸御殿」の大広間です。
鶴の間(60畳) 梅の間(35畳) 桜の間(28畳) 桐の間(28畳)
等が連なっています。
写真は、大広間の奥にある、若松の間です。
金箔を重ねた下地に、岩絵具で見事な滝や若松が描かれています。
「若松の間」の向こう側には、「昭君の間」があります。
欄間から、華麗な格天井が少し見えています。
ふんだんに金箔や漆が使われており、豪華絢爛。
大名文化の粋を集めて建てられた、往時の姿が見事に再現されています。
中国宮中の物語がモチーフになっているようです。
画面右手の馬上の人物が、前漢の美女「王昭君」だそうです。
「昭君の間」の華麗な格天井。
ちなみに、この「昭君の間」は実は「将軍の間」の隠語だという説もあるようです。
豊臣家が危うくなった場合、秀頼をこの部屋に迎えるつもりだった・・・という説です。
結局のところ、秀頼が大阪夏の陣で滅ぼされる4年前に、清正が亡くなったため、
秀頼がこの部屋に来る事はなかったようです。