自遊日記

定年後の備忘録

京都・大原 「実光院」

2011-11-28 19:20:30 | 京都 街歩き

三千院の少し北にある「実光院」を訪れました。

天台宗の寺院です。

 

 

 

 

 

 

客殿で、お茶をいただき乍ら、庭を鑑賞しました。

優雅な気分です。

 

 

 

客殿を降りて庭に出ました。

庭の隅に、茶室「理覚庵」があります。

 

 

 

 柿の木がありました。

奥の山を、借景として取り込む工夫がされています。

 

 

ムベの木に実がなっていました。

ムベの葉っぱは、

3枚のもの、5枚のもの、7枚のものと3種あります。

七五三と縁起の良い組み合わせなので、珍重されています。

 

 

 

珍しいものを発見しました。

 

モミジの季節に、満開の桜がありました。

これは、不断桜(ふだんざくら)という品種の桜で

秋から翌春まで花を咲かせるそうです。

 

 

 

 

 お寺の入り口に千両が実をつけていました。

赤い実と黄色い実。

千両は、どこでも見られるお馴染みの花です。

 

 

ちょっと珍しいのは、百両と十両です。

中央下部に赤い実をつけているのが百両です。

葉っぱが笹のような形をしています。

右手に群生しているのは十両です。

 

 

 

このアングルで見ると、十両、百両、千両、万両勢ぞろいです。

揃って植えられている所を見たのは、はじめてです。

 

実光院では予想外の収穫がありました。

 

 


京都・大原 「三千院」

2011-11-27 12:39:12 | 京都 街歩き

11月はじめ、京都の大原を訪れました。

紅葉のピークをを避けたお陰で

、のんびり大原の風情を楽しめました。

最初に向かったのは、三千院です。

 

 

駐車場から三千院に向かう道端に、

たっぷり実をつけた南天がありました。

茅葺屋根の家もいくつか残っており、のどかな参道です。

 

 

 

三千院の石垣。

今頃は、石垣脇のもみじも、しっかり紅葉しているのでは。

 

 

 

三千院の玄関口、御殿門。

門跡寺院にふさわしい、風格ある構えです。

 

 

 

客殿から眺めた庭です。

 

 

寝殿から庭を望む。

 

 

苔が綺麗でした。

 

 

11月初めのため、まだ紅葉はすすんでいませんでした。

 

 

 

 

紅葉のピークを外して出かけたので、

観光客も少なく、のんびりあちこち鑑賞出来ました。

 

 

 

可愛い、わらべ地蔵が庭に点在していました。

 

 

 

平安時代に、恵心僧都により建立された、往生極楽院(重文)です。

内部には、阿弥陀三尊像(国宝)が祀られています。

 

 

 

勅使門の前には、菊の鉢が並んでいました。

 


「徳川秀忠」読了

2011-11-25 18:50:49 | 読書

このほど、童門冬二著 「徳川秀忠」を読了しました。

 

徳川幕府の創始者は家康、

そして幕府の体制を整えたのは三代目の家光

というのが定説です。

二代目の秀忠はあまり評価されていません。

 

しかし筆者は、初代の家康と三代目の家光との間をつなぐ

ブリッジとしての役割を、見事に果たしたと描いています。

ちょっと認識を改めました。

 


鞆の浦・鴎風亭~福山城

2011-11-24 12:11:56 | 国内旅行

 

鞆の浦を散策した後、街外れにあるホテル鴎風亭でコーヒーブレーク。

ラウンジからは、270度の海のパノラマが楽しめます。

正面で鴎(カモメ)が飛んでいるように見えますが

これは本物のカモメではありません。

鴎風亭のシンボルマークのカモメが、ガラスに描かれています。

 

 

 デッキに出ると潮の香りがいっぱい・・・

 

 

 

手を伸ばせば海に届きそうです。

 

 

 

 

鴎風亭は、「日本のホテル100選」に10年連続で

選ばれている名門リゾートホテルだそうです。

玄関横には、送迎用でしょうか、

ロンドンタクシー仕様の車が停まっており、いい雰囲気です。

 

 

鴎風亭でたっぷり休憩した後、福山城に向かいました。

生憎く休館日のため、城内には入れませんでした。

 

 

 

現役時代、九州へ出張の際、新幹線の車窓から何度も眺めたお城です。

新幹線から手の届きそうな距離に建っているお城は、ここだけでしょう。

一度は訪れてみたいと考えていましたが、やっと実現しました。

車窓から眺めていた際は、小さいお城に見えましたが

近くで見ると意外と立派なお城でした。

 

 

 

この月見櫓の右下に、新幹線の福山駅があります。

 

 

 

福山城を見た後、福山東ICから高速に乗り一路京都へ。

三木SAでちょっと遅いランチ。

その後、予想通りの大渋滞に巻き込まれましたが

無事我が家に辿り着きました。

 


「鞆の浦」散策・・・常夜灯~保命酒の舘

2011-11-21 10:32:00 | 国内旅行

鞆の浦のシンボル、常夜灯が見えてきました。

正面右手の白い建物は「いろは丸展示舘」です。

 

 

鄙びた港町の風情がたまりません。

 

 

 

常夜灯の足元までやってきました。

江戸時代から頑張ってきた灯台です。

 

 

 

常夜灯の前にある「いろは丸展示舘」に入りました。

龍馬と海援隊が乗り組んでいた、機帆船いろは丸の模型がありました。

1867年、いろは丸は紀州藩の軍艦明光丸と鞆沖で衝突し、

鞆港へ曳航される途中に、沈没しました。

海底から引き上げられた遺品なども展示されていました。

 

龍馬は、徳川御三家の紀州藩を相手にして一歩も譲らず

堂々と談判して巨額の賠償金を手に入れました。

この事件により、龍馬と海援隊の名前が

一挙に世間に知れ渡ることとなったようです。

 

 

 

 

 

展示舘の2階には、龍馬の隠れ部屋の再現コーナーもありました。

 

 

 

 

 

鞆の浦には、江戸時代から造られてきた

保命酒というお酒があります。

養命酒と似た感じの健康酒です。

 

 

 

酒屋さんの軒先には、目印の杉玉がぶら下がっています。

 

 

昔、保命酒を造っていた「太田家住宅」を見学しました。

 

 

 

保命酒の材料です。

もち米を主原料に、16種の漢方薬を使って醸造したそうです。

 

 

 

太田家の広い敷地には多くの蔵が並んでいました。

 

 

 

蔵のひとつには、保命酒を造った「かめ」が残されていました。

保命酒は、江戸時代に頼山陽他多くの文人に愛飲され

鞆の浦の名産品となっていたようです。

 

 

 

 

太田家住宅のすぐ前が鞆港です。

写真は、江戸時代から残る荷揚げ場で、雁木と呼ばれています。

満潮時でも干潮時でも積み下ろしが出来るように、階段状になっています。

 

 

 

港の近くに小さな祠があり「力石」が置かれていました。

昔、港に集まる力自慢の男たちが、この石を持ち上げて

力競べをしたそうです。

 

瀬戸内海のほぼ中央に位置する鞆の浦。

満潮の時は東西からの潮が鞆の沖合いでぶつかり

干潮の時は鞆の沖合いで潮が東西に分かれていく・・・

そんな地の利を生かし、ここ鞆の浦は

万葉の時代から潮待ちの港として、栄えてきたようです。

江戸時代の雰囲気が随所に残る、いい街でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「鞆の浦」散策・・・龍馬の隠れ家~対潮楼

2011-11-16 10:14:53 | 国内旅行

鞆の浦の散策に、いざ出発・・・

小さな街なので、徒歩で ほぼ主な観光スポットを回れます。

 

 

 

最初に「対潮楼」にやってきました。

 

 

 

生憎の曇り空でしたが、

座敷からの眺めは、うっとり見とれるほどの絶景でした。

 

 

ここ「対潮楼」は、江戸時代、朝鮮通信使の宿舎として

利用されていたそうで、

中央に見える「日東第一形勝」の文字は

通信使が、この宿舎からの景色を、日本一の景勝と褒めて

残した賛辞だそうです。

 

 

 

 

 「対潮楼」の下の港から、いろは丸が出航していきました。

中央に見える島は弁天島です。

 

 

 

更に街歩きへ・・・

「対潮楼」の石垣沿いに「むろの木歌碑」がありました。

 

吾妹子(わぎもこ)が見し 鞆の浦のむろの木は

常世(とこよ)にあれど  見し人ぞなき

 

大伴旅人が、大宰府の任期を終えて都へ帰る際、

鞆の浦に立ち寄り詠んだ歌だそうです。

「大宰府に赴任する際、鞆の浦で妻と一緒に、むろの木に海路の安全を祈ったが

大宰府で妻を亡くし、むろの木は変らずあるが、一緒に見た妻はいない」

という意味だそうです。ちょっと切ない挽歌ですね。

 

 

 

 坂本龍馬の隠れ部屋がある、桝屋清右衛門宅にやってきました。

いろは丸事件が起こった際

龍馬たち海援隊は、この屋敷に宿泊したそうです。

 

 

 

物置部屋です。左手に階段があります。

 

 

階段を上がった2階の更に奥に、龍馬の隠れ部屋があります。

龍馬はこの時期にも、命を狙われておりり

常に、身を隠す必要があったようです。

 

 

 

隠れ部屋には、龍馬の書状がありました。

 

 

 

伏見の寺田屋にいる、お登勢宛てに龍馬が書いた書状です。

解説文によると

「いろは丸事件が突発し京都へ行けなくなった。長崎へ引き返す」

と書いてあるそうです。

 

因みに、昨日の11月15日は、龍馬の誕生日であり、命日でもあります。

 

 

 

 

 

 

 


「鞆の浦」の宿・・・景勝舘

2011-11-12 14:54:07 | 国内旅行

しまなみ海道を北上し、夕刻「鞆の浦」に到着しました。

江戸情緒を今に残す、小さな港町です。

ホテル(景勝舘)の近くを散策。

正面の明るい場所に「いろは丸展示館」が見えています。

 

 

 

「「いろは丸展示館」の横に、常夜灯があります。

江戸時代の灯台で、鞆の浦のシンボルですが、

残念ながら、点灯されていませんでした。

 

 

 

 

宿に戻って夕食。

鯛の本場、鞆の浦で食べる、鯛のあらだき、鯛しゃぶは美味でした。

 

 

 

 

夕食の後は、船の形の露天風呂でのんびり。

 

 

 

月が昇ってきました。

潮騒を聞きながら、満月を眺めながらの入浴・・・至福の時間でした。

 

 

 

 

翌朝は、丸い湯船の露天風呂に入りました。

瀬戸内の多島美を眺めながらの朝風呂も、オツなものでした。

 

 

 

朝食を済ませ、鞆の浦の街の探索に出かけました。

 


絶景・・・しまなみ海道

2011-11-10 18:47:04 | 国内旅行

道後温泉を後にして、今治街道を北上。

 

 

海岸線を走る、快適なドライブコースです。

沖合いで、サーフィンをしている人も見かけました。

 

 

 

途中、気に入ったスポットがあれば休憩しながら・・・

の気楽な旅です。

 

 

 昼過ぎに、糸山公園に到着しました。

来島海峡を見下ろす、高台にある公園です。

 

 

 

この公園は、来島海峡大橋を真近で眺められる、絶好のスポットです。

 

 

 

 西の方から貨物船がやって来ました。

 

 

 

 

しずしずと、来島海峡大橋の下をくぐって行きました。

いろんな船がやってきて、

いつまで見ていても飽きない景色です。

 

 

公園には、海峡を眺める女性の彫像がありました。

 

 

 

昼食は、公園の近くにある、料理旅館「大潮荘」でとりました。

入り口には、来島海峡の陶板焼きが架かっていました。

 

 

 

 

 

部屋からの眺望が抜群でした。

 

 

絶景を眺めながら、

のんびり鯛めしと新鮮なさしみをいただきました。

好きな場所で、好きなものを食べられるのは

個人旅行の醍醐味です。

 

 

 

昼食後、しまなみ海道を北上。

先ほど眺めた、来島海峡大橋を走行中の図です。

走行中は、助手席の家内が写真を撮ってくれます。

 

 

サイクリングを楽しんでいる人も多く見ました。

 

 

 

 前方に斜張橋が見えてきました。

 

 

 

 

斜張橋を走行中です。

 

瀬戸内海に浮かぶ島々を10の橋でつなぐ、しまなみ海道。

橋の構造もいろいろ、景色もいろいろ・・・

造形美と自然美のコラボが最高でした。

 

夕刻、鞆の浦に到着。

 

 

 


道後散策 ぎやまんの庭~椿の湯

2011-11-08 19:11:36 | 国内旅行

道後の街をぶらぶら散策。

「ぎやまんの庭美術舘」にやってきました。

 

 

 

水と緑あふれる、ヨーロピアンガーデンが楽しめます。

 

 

 

 

池の周りには、ガラス細工の鷺が沢山いました。

鷺が、温泉でキズを癒した、という故事に因んだものでしょうか。

 

 

 

水の音を聞きながら、カフェでのんびりも出来ます。

 

 

 

 

池を巡る小道で休むもよし・・・

癒しの空間でした。

 

池のほとりに建つ美術舘では、

明治・大正時代の貴重なガラス工芸品が展示されていました。

 

 

 

美術舘を後にして、山の手ホテルでコーヒーブレーク。

 

 

 

 

オールドイングランドを標榜する、居心地の良いホテルです。

 

 

 

山の手ホテルを出て、更にぶらぶら街歩き・・・

 名門旅館、大和屋本店の前には、子規の句碑がありました。

道後と言えば「坊ちゃん」の夏目漱石をまず思い浮かべますが、

愛媛が生んだ俳人、子規も忘れてはなりませんね。

 

 

 

 

「椿の湯」という名前は、聖徳太子のことばに由来しているそうです。

ここは「道後温泉本館」の姉妹湯のような位置付けのようです。

観光客で溢れる「道後温泉本館」を避けて

地元の人はこの「椿の湯」をよく利用されているようです。

 

 

 

 

重厚な建物の「道後温泉本館」と違って

「椿の湯」は、温泉らしくない現代的な建物です。

窓からお湯と椿が流れ落ちていますが・・・

これは「だまし絵」というか「からくり絵」だそうです。

 

 

 

 さて、街歩きの締めくくりは、お土産選び。

 

甘いもの好きの、テニス仲間の女性陣へ、

一六タルトをゲットして、しまなみ街道へ向かいました。

 

 


「坊ちゃん」の舞台・・・ 道後温泉

2011-11-07 18:02:44 | 国内旅行

親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている・・・

で始まる、お馴染みの「坊ちゃん」

今度の四国旅行に際し、改めて読み直しました。

何度読んでも楽しい小説です。

 

 

 

道後温泉本館近くにこんな像がありました。

記念撮影のためのコーナーの様です。

「坊ちゃん」に登場する 赤シャツ、マドンナ、山嵐などが勢揃い。

 

 

 

湯の街の玄関口、道後温泉駅にやってきました。

明治の駅舎そっくりに再建したものだそうです。

 

 

 

駅の横に「坊ちゃん列車」が停まっていました。

小説「坊ちゃん」で、マッチ箱のような汽車・・・と紹介された列車です。

観光用に、列車を展示しているんだな~と眺めていると・・・

 

 

 

突然、運転手が乗り込み、列車をバックさせはじめました。

単なる展示物ではなく、れっきとした現役の機関車でした。

 

 

 

坊ちゃんが温泉に入るため、毎日利用した列車です。

今も松山市内と道後温泉間を走っています。

 

 

 

駅前には、マドンナバスも停まっていました。

 

 

駅前には「放生園」という広場があり、足湯が設けられています。

明治時代に、道後温泉本館で使用した「湯釜」が

中央にどっしりと構えており、温泉情緒満点です。

 

 

 

足湯の横には「坊ちゃんカラクリ時計」があります。

毎正時になると、せりあがり人形が踊りだします。

まもなく9時です・・・

 

 

 

9時になると、 屋根がせりあがり

時計が反転して、マドンナが出てきました。

 

 

続いて、右からも左からも、いろんな人形が飛び出してきます。

下段は、温泉に入っている場面でしょうか。