自遊日記

定年後の備忘録

萩・津和野・岩国の旅(岩国城)

2014-11-30 17:37:03 | 国内旅行

 吉香公園の山麓駅からロープウエーに乗車。

山麓駅を離れていきます・・・

 

 

 

 

頂上駅に近づいてきました。

右手に 錦帯橋が小さく見えます。

 

 

 

頂上駅から5分ほど歩くと岩国城に到着です。

石垣のたもとにツワブキが咲いていました。

ツワブキは津和野でもたくさん見ました。

 

 

 

下から見上げる岩国城。 

 

岩国城は吉川広家が慶長13年(1608年)にここ横山の頂上に築いたもの。

横山の三方を迂回する錦川が天然の外堀となっているようです。

白壁のきれいな城ですが、残念なことに築城後わずか7年で破却されたそうです。

幕府の「一国一城令」に従ったそうです。

現在のお城は昭和37年に再建されたものだそうです。

 

 

天守から見下ろす景観。

右手に小さく錦帯橋が見えます。

 

 

 

下を見ると、かなり急峻な山だということがわかります。

 

 

 

天然の外堀、錦川がゆったりと右手に向かって流れていきます。 

錦帯橋がよく見えます。

 

 

 

錦帯橋から岩国城を見あげる。

お城 が小さく見えています。

 

 

 

お城 の近くに「大釣井」なるものがありました。

非常時に備え、武器弾薬をここに収納していたそうです。

 

 

 

 

 


秋晴れのもと ゴルフ

2014-11-28 19:06:53 | テニス&ゴルフ&ラグビー

 

今日は秋晴れの下、ゴルフを楽しみました。

 

しかし、天気の良い日にゴルフ場に向かうのは大変です。

我が家からみてゴルフ場は東の方角に位置しています。

東に向かって走ると朝日が真正面から入ってきて、まぶしくてまぶしくて・・・

そして、あたりまえの事ですが、帰路は逆に西に向かって走ることになります。

今度は夕日が真正面から入ってきて、まぶしくてまぶしくて・・・

ワイパーを動かしながらゴルフ場へ向かうことを考えると

まぶしいぐらいは我慢しろ、と叱られそうですが・・・

 

スコアはさておき、天気だけは最高の一日でした。

 

 


萩・津和野・岩国の旅(佐々木小次郎と巌流柳)

2014-11-27 08:20:57 | 国内旅行

錦帯橋の北側に佐々木小次郎の像がありました。

吉川英治 の「宮本武蔵」の中では、小次郎は岩国出身で

燕返しの技を編み出した場所は錦帯橋、と描かれているようです。

これらについては諸説あるようですが・・・

 

 

 

小次郎の像の横に立派な歌碑が建っていました。

小次郎の名前も登場しています。

 

 

岩国城

桜吹雪が城下を染めて  瀬戸の内海 春霞

吉川広家 六万石の ほまれも高き岩国城

 

燕返しを柳の枝に 悟る小次郎 剣の技

三代広嘉 錦帯橋に 命を懸けた錦川

 

 

 

 

 

 

 

橋の近くに「巌流ゆかりの柳」がありました。かなり老木でした。

吉川英治氏の「宮本武蔵」によると・・・

小次郎はこのあたりの柳とつばめを相手に、あの有名な「つばめ返し」の技を 

磨いたそうです。

 

 

 

 

  

 

柳の横に「槍倒し松」なるものがありました。

昔、諸国の大名が他藩の城下を通るときは、行列の槍を倒すのが礼儀となっていた。

しかし大藩が小藩の城下を通るときは、儀礼を守らず槍を立てたまま通ることが多かった由。

岩国藩は六万石の小藩で、まさにこのパターンだったようです。

これに憤慨した岩国の武士たちは、横枝を張った松を植え、大藩といえども

槍を倒さざるを得ないようにした由。

岩国武士の面目躍如 たるものがあります。

 

 

 

 

 

 

 

岩国藩三代藩主 吉川広嘉公の像 。

錦帯橋を創建した藩主です。

にぎわう錦帯橋をじっと見つめていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


映画「蜩の記」

2014-11-26 12:19:09 | その他

昨日は朝から雨。

予定のテニスが中止となり、ぽっかり空き時間が生まれました。

おそまきながら、映画「ひぐらしの記」を見に行きました。

 

ある事件をおこし、10年後の夏に切腹すること、

加えて、その日までに藩の歴史である「家譜」を完成させることを命じられた戸田秋谷(役所広司)

そこへ戸田の監視役として檀野庄三郎(岡田准一)が送り込まれる・・・

戸田秋谷やその家族の生きざまに、檀野庄三郎の思いがどんどん変わっていく・・・

 

第146回直木賞を受賞した葉室麟氏の小説を映画化したもの。

監督は「雨あがる」「博士の愛した数式」の小泉氏。

どちらも味のある作品でしたが、今回の「蜩の記」も見ごたえのある作品でした。


萩・津和野・岩国の旅(日本三名橋 錦帯橋)

2014-11-19 12:47:58 | 国内旅行

津和野から岩国までは約100kmの山道。 

途中崖崩れで片側通行のケ所もいくつかあり、結構時間がかかり昼頃岩国に到着。

以前から見たかった錦帯橋に会えました。

 

錦川に架かる5連のアーチ構造の橋。全長193m幅5m。日本三名橋のひとつだそうです。

1673年(延宝元年)岩国藩三代藩主吉川広嘉が創建。

吉川広嘉自ら、中国杭州の島伝いに架かるアーチ橋に想を得て建設を命じた由。

広嘉の着想もスゴイですが、それをモノにした職人さんの腕もスゴイですね。

 

 

 

 

橋が完成した当初は「五龍橋」とか「龍雲橋」 とか「城門橋」など

いろいろな呼び名があったそうですが、

宝永年間以降は「錦帯橋」と呼ばれるようになったようです。

そう言えば、龍がうねりながら錦川をわたっている姿にも見えてきます。

ちなみにアーチの下に小さく見えているのは岩国城です。

 

 

 

橋の西側から見た図です。 

 

 

 

 下から見るとこんな感じです。

美しいアーチはまさに芸術品です。

 

 

頑丈な組木の技法により、橋の上からの圧力で更に強度が増す仕組みだそうです。

300年以上前にこのような高度な技術が使われていたとは・・・ 

マイリマシタ。

 

 

5連のうちの1つ目の橋脚もがっちり組まれています。 

 

 

 観察の後は、渡ります・・・

 

 

 

下から見ていると急な太鼓橋に見え ますが、結構なだらかで歩きやすかったです。

 

 

 

アユを釣っている人が・・・

 きれいな錦川です。

 

 

 

 

欄干越しに桜並木が見えます。

山の上には岩国城。

役者が揃っています。

桜満開のときにも訪れたい ものです。

 

 

 

 

 錦帯橋から岩国城を見上げる。

 

 

 

 

岩国城から錦帯橋を見下ろす。

錦帯橋を縦から横から上から下から、たっぷり満喫させていただきました。

 

 

ちなみに、橋の手前、即ちお城の近くには家老や上級武士の屋敷があり、

橋の向こう側には中下級武士や町民の屋敷があったそうです。

2つのエリアを結ぶ橋が必須だったことがよくわかります。

 

 

 

 

 

 

 

 


萩・津和野・岩国の旅(津和野カトリック教会&津和野城址)

2014-11-16 17:06:52 | 外出

 

津和野といえば鷺舞いで有名ですね。

津和野川沿いに「鷺舞」の像がありました。

古式豊かなな舞い をTVで何度か見たことがあります。

鷺舞は弥栄神社に伝わる神事で、7月に昔からきめられた町内各所で舞われるそうです。

京都から山口を経由して伝わった舞いで、京都人としては親近感を持ちます。

 

 

 

像の横の木は紅葉しかけていました。

後方の橋の下を津和野川が流れています。

 

 

 

武家屋敷が並ぶ殿町通りに、一際異彩を放つ建物がありました。

津和野カトリック教会です。

昭和6年に建てられたゴシック様式の瀟洒な教会です。 

隣接する資料館に入ると、キリシタン弾圧にまつわる資料がいっぱいでした。

江戸時代、長崎浦上村のキリシタン信徒153名を改宗させるため

幕府はここ津和野藩に預けた由。

信徒たちは廃寺に収容され、拷問などによって棄教を迫られたそうです。

 

 

 

教会内にベンチは無く、畳敷きという 和洋折衷のめずらしい教会でした。 

穏やかな時間が流れる津和野ですが、過去には哀しい歴史もあったようです。

 

 

 

 

津和野駅近くにレトロなお米屋さんがありました。「鯉の米屋」の暖簾がかかっていました。

お店の人にことわって、裏庭の鯉を見せていただきました。

観光客に優しい町です。

 

 

 

津和野城跡を見るため観光リフトで山の上へ。

赤瓦の津和野の町 を眼下に眺められ、その点では満足しましたが

城跡の見学は出来ませんでした。

リフトを降りて城跡まで往復していると、リフトの営業時間をオーバーする

と言われ城跡探索はあきらめました。

津和野城は蒙古の襲来に備えて吉見氏が築いたもので、日本海の方を向いていた由。

せめて城跡だけでも見たかったのですが、残念です。

 

ちなみに、上の写真の中央部を横切っているのはJRです。

ここをSLが走る姿も見たかったのですが、残念ながらSLの運行は土日のみ。

残念だらけの城跡観光でした。

 

 

 

 

 


萩・津和野・岩国の旅(津和野の宿 わたや)

2014-11-12 18:22:50 | 国内旅行

津和野では 温泉宿わたや  に泊まりました。

レトロなポストが津和野にはよく似合います。

 

 

「よっぽどの縁があってのお客さま ようこそ」の額が迎えてくれました。

 

 

レトロな時計がゆったりと時を刻んでいました。

津和野では時間がゆっくり流れている感じでした。

ちなみに「わたや」は全館畳敷きの小さなお宿です。

廊下もエレベーターの中も、どこもかしこも畳敷きです。

お風呂の洗い場まで畳でした。

 

 

畳敷きの食事処。

 

 

 

 

 

夕食の一部です。

津和野は山に囲まれた町ですが、魚が新鮮で美味でした。

魚介類は益田でなく萩から取り寄せているそうです。

 

 

朝食も美味でした。

 

 

 

食事処のランプは手造りのものだそうです。

山で採ってきたつると和紙で作ったそうです。

心やすらぐランプです。

 

 

ロビーの外側に掘割がありました。

アヒルが1羽見えますが、このアヒルちょっと横着なアヒルでした。

 

 

エサを水面に放ってやると、鯉と下のアヒルは

すぐに寄ってきて一生懸命に食べるのに・・・

板にとまっているアヒルは見向きもせず、板にこぼれたエサだけ食べて悠然としていました。

水に入るのが嫌なんでしょうか?

 

ゆっくりと時間が流れる津和野でした。

 

 

 

 

 

 

 


萩・津和野・岩国の旅(山陰の小京都 津和野)

2014-11-11 18:48:33 | 国内旅行

萩から津和野までは約55km。1時間ちょっと走って午後3時頃津和野に着きました。

車を旅館に置いて、早速 殿町通りを散策しました。 

なまこ塀の続く静かな通りです。

 

 

 

こちらは多胡家老門です。

津和野を治めていた亀井氏を、十一代にわたって補佐してきたのが、家老の多胡氏だったそうです。 

しかし、残っているのはこの門と塀だけで、門の向こう側には何もありません。

 

 

 

 

 

 

掘割に泳ぐ鯉の姿は、津和野を代表する景観です。

菖蒲が咲くころに来ればもっと 趣があるかも。

 

 

 

 

  朝の殿町通り。

赤瓦となまこ塀が綺麗でした。

 

 

津和野を紹介するパンフレットに、「記憶の中を歩いているような町です」とありました。 

津和野は、はじめて訪れた町ですが、なんとなく懐かしさを感じる不思議な町でした。

「京都」で育った人間が「山陰の小京都」にやってきたのだから

そこに懐かしさを感じても、不思議でないのかもわかりませんが・・・

 

 

 

殿町通りに 津和野藩校 養老館跡がありました。

西周、森鴎外も幼少期ここで学んだそうです。

書物庫が残っていました。

 

 

 

養老館跡地から殿町通りを見た図。 

 

 

 


萩・津和野・岩国の旅(旧久保田家住宅)

2014-11-08 18:09:56 | 国内旅行

 萩で呉服商、酒造業を営んでいた久保田家を見学しました。

武士の生家だけでなく、商家の様子も見られてラッキーでした。

場所的には、豪商 菊屋家の向かい側に建っています。

上の写真の右手の部分を内側から見ると・・・

 

 

・・・こんな感じです。

部屋の内部からは外の様子がよく見えるが、外部から部屋の中の様子は見え難い、

京都の町屋でもよく見かけるスタイルです。

 

 

 

豪壮な梁組み。  往時の繁栄ぶり が偲ばれます。

 

 

庭に、変った灯篭がありました。

竿の部分は木の化石だそうです。 

 

 

 

 

 

床柱の基部は、たけのこ面(づら)と言うそうです。

すくすく伸びて縁起の良い、七層のたけのこを表現しているそうです。

その他、意匠を凝らした天井や欄間も見事でした。

 

 

 

 

白塀 から夏みかんがのぞく風景は萩ではあたりまえですが、

柿がのぞいている家もありました。

 

 

萩の城下町散策を終え、拠点にしていた萩博物館に戻ってきました。

博物館駐車場の近くに消防車がありました。 

 

 

 

 

 

萩観光を終え、レンタカーで 津和野に向かいました。

 

途中、道の駅「萩しーまーと」で昼食。

金太郎の唐揚げ定食と海鮮丼を家内とシェアしました。

ここは、漁港直結とれとれの魚が供されるので、地元の人にも評判のスポットだそうです。

萩の宝石と言われる「金太郎」が特に美味でした。