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自遊日記

定年後の備忘録

イタリアの旅(19)ローマ⑦ サン・ピエトロ大聖堂

2006-07-28 15:54:49 | イタリアの旅





カトリックの総本山、サン・ピエトロ大聖堂。
ルネッサンスとバロックが溶け合う世界一の大聖堂である。
92年に始めてここを訪れた時の衝撃は大きかった。
大きさ、豪華さ、荘厳さに息を呑んだ。

システィーナ礼拝堂で、ミケランジェロの「最後の審判」も鑑賞。
ルネッサンスの至宝と称えられるだけあって、迫力充分だった。

ここで、ヨーロッパ文明の底の深さ、厚みに目覚めた。
全ゆる芸術が凝縮している大聖堂の魅力にも目覚めた。

日本のワビサビの世界、紙と木の世界もすばらしいが、
又別次元のすばらしさである。


さて、古い写真をめくりながら、思い出に浸るのはこの辺りでストップ。
来月は、中欧の旅でいくつかの大聖堂を訪れるつもり。

また新しい感動に出会えるかも・・・今から期待が膨らんできた。

イタリアの旅(18)ローマ⑥ フォロ・ロマーノ

2006-07-21 12:05:22 | イタリアの旅

かってローマ帝国の心臓部であった「フォロ・ロマーノ」

瓦礫の山のように見えるが、元老院、凱旋門、神殿等が建ち並んでいた場所。
戦勝将軍は、捕虜を率いて意気揚揚と、ここを凱旋行進したのだろう・・・。

元老院での、シーザーとキケロの舌戦が聞こえてきそう。


イタリアの旅(17)ローマ⑤ トレヴィの泉

2006-07-12 12:29:53 | イタリアの旅

お馴染みの「トレヴィの泉」

紀元前19年アグリッパが20kmに及ぶ水道をローマに引き、
その最終放水口に造ったのが、この噴水だそうである。

凱旋門中央には海神ネプチューンが、馬を操る2人のトリトンを従え
泉を引き締めている。
壁面には「豊穣」と「健康」を表す2体の寓意像を配し、劇場的空間が
見事に表現されている。

泉の後ろに建つ、ポーリ宮の壁面をうまく取り込んだ設計が見事であるが、
それよりも何よりも、2000年も前に精度の高い土木技術を持っていた
ローマ人の底力に感服。

ローマには仕事で1度、観光で1度の都合2回訪れたが、
今回心を込めてコインを投げ入たので、3度目のチャンスが来るかも・・・

イタリアの旅(16)ローマ④ パンテオン

2006-07-11 14:50:08 | イタリアの旅

私達が泊まったホテルのすぐ近くに「パンテオン」があった。
ホテルの窓から撮った写真の左端に「パンテオン」が少しだけ見えている。




「パンテオン」とは「全ての神々の神殿」を意味するそうだ。

紀元前27年にアグリッパが建て、紀元120年頃ハドリアヌス帝が再建した。
古代ローマ時代の、ほぼ建築当時の姿をそのまま伝える貴重な建物。
正面にはアグリッパの文字が読みとれる。

三角形の破風、長方形の玄関廊、半円形のドーム。

この単純な幾何学的造形がひとつに調和した「パンテオン」・・・
ミケランジェロはこれを「天使の設計」と絶賛したそうだ。

審美眼の無い私には、陰気な建物ぐらいの印象しか残っていない。



イタリアの旅(15)ローマ③ スペイン階段

2006-07-10 12:43:33 | イタリアの旅

お馴染みのスペイン階段。

「ローマの休日」でヘプバーンがジェラートを食べていたシーンが目に浮かぶ。
階段上のトリニタ・ディ・モンティ教会の中も覗いたが、意外とシンプルだった。

右側のピンクの建物には、イギリスの詩人キーツが25歳の短い生涯
を閉じた部屋がある。



広場の前の噴水「バルカッチャ(老いぼれ船)」
低い水圧を利用し、いい感じを出している。
巨匠ベルニーニの父ピエトロの作品。

イタリアの旅(14)ローマ② 真実の口

2006-07-08 16:10:59 | イタリアの旅

映画「ローマの休日」で一躍有名になった「真実の口」

嘘をつくと手を咬まれる・・・
グレゴリー・ペックとオードリー・ヘプバーンのやりとりが目に浮かぶ。

地味な感じの、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の柱廊左にある。





 
サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の鐘楼。
真実の口に手を入れただけで、教会の内部には、残念ながら入らなかった。




イタリアの旅(13)ローマ」① コロッセオ

2006-07-08 14:51:01 | イタリアの旅
  

ローマと言えばコロッセオがまず目に浮かぶ。

紀元80年に完成。剣闘士や猛獣の死闘を見てローマ市民は熱狂した。
右の写真の下部は、猛獣や剣闘士が待機していた地下スペース。
この上に板が敷きつめられ、その上に砂(アレーナ)が撒かれていたそうだ。
血を吸い込みやすい砂をアレーナと言うそうであるが、
今では、競技場を指す言葉となっている。

「コロッセオが崩れる時、ローマは滅びる。ローマが滅びる時、世界は滅亡する」
という有名な詩がある。

この黙して語らない、崩れかけたコロッセオを見ていると、
やはり世界は破滅への道を歩んでいるのか?と心配になる。

イタリアの旅(12) ナポリ

2006-07-02 11:53:59 | イタリアの旅

ナポリのパスタは、正統アルデンテの固め。
パスタもさる事ながら、ハウスワインと食後のカプチーノが美味だった。
テーブルの傍に、流しの歌手がやってきて、カンツオーネを歌ってくれた。
メッチャ下手だった事を思い出す。






ナポリ湾越しに、ヴェスヴィオ火山を望む。
イタリア民謡フニクリ・フニクラはヴェスヴィオ山の歌だそう。
この穏やかな姿を見ていると、ポンペイを襲った大噴火が信じられない。






車窓から撮ったヌオーヴォ城。
防御用の円塔5基を備えた堅牢な城である。
フランスのアンジュー家とスペインのアラゴン家がこの城を
めぐり争った。

「ナポリを見て死ね」という言葉があるが、正直言って
港を見ても街を見ても、どこが?という感じだった。

ナポリの街には、時間をかけられなかったので、ナポリの本当の良さを
見つける事が出来なかったのかもしれない。

もう一度、「ナポリの良さ発見の旅」をしてみたい。



イタリアの旅(11) ポンペイ

2006-07-01 17:26:41 | イタリアの旅

古いアルバムより・・・。

11年前、家内とイタリアを訪れた。
旅の後半に訪れた、ポンペイの印象は特に強烈だった。
西暦79年にヴェスヴィオ火山の噴火で、ポンペイは一夜にして灰に埋まった。
埋没した日の姿そのままが、よく保存されていた。

写真はポンペイの街のメインストリート。
割り石で舗装された道路には、馬車の轍の跡が石を穿ってくっきり残っていた。

写真手前の飛び石は、横断歩道。
雨天時に足元を濡らさぬための工夫。
2000年前に舗装道路に加え、横断歩道まで出来ていたとは・・・。





ポンペイの多くの邸宅には立派な壁画を描かれている。
深く艶やかな赤は「ポンペイ・レッド」と呼ばれ、今も色褪せる事なく
優雅な姿を残している。

上下水道も完備していたそうで、2000年も前にここポンペイでは、
すごく文化的で快適な生活を送っていたようだ。






旅行後、ポンペイ関連の本を集めたり、映画「ポンペイ最後の日」を
見たり・・・と ポンペイを偲んでいる。
写真右側の本の表紙の犬は、ポンペイのある邸宅の玄関床に描かれていた
モザイク。
オシャレな「猛犬注意の看板」が2000年前に既にあったとは・・・





イタリアの旅(10) ヴェローナ

2006-06-13 21:29:51 | イタリアの旅

ヴェローナは、シェークスピアの「ロメオとジュリエット」の舞台として
有名な街。

写真はジュリエットの家。
「ロメオとジュリエット」の映画に出てくるジュリエットの家は、
もっと立派だった気がするが・・・




ヴェローナの中心部に残っている円形闘技場。
ローマ以外にも、こんな立派な施設を作っていたとは驚き。





フェッラーラのエステ城。
14世紀に建てられた、領主エステ家の城。
堀に囲まれ難攻不落を誇った由。

この城では、地下牢が妙に印象に残っている。
昔は、罪の軽重によって、閉じ込める場所が異なっていた由。
重罪犯は、環境の悪い地下牢へ閉じ込められたようだ。