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自遊日記

定年後の備忘録

1995年の訪米

2011-05-12 16:44:16 | 米国の旅

 

1995年に4度目の訪米をしました。

サンフランシスコ、ワシントン、ボストン、シカゴ、クリーブランド等を

約2週間かけて巡りました。

今回の出張では、カメラの替わりにビデオカメラを持参しました。

リアルな動画は残っていますが、街の表情を撮った紙焼きの写真は、

ほとんど残っていません。

 

 

 

街の写真が無いので、今回はケーブルカーについて・・・

 

ケーブルカーは私の大好きな乗り物です。

2度目に訪れたサンフランシスコでは、フィッシャーマンズ・ワーフまで

ケーブルカーに乗りました。

 

さて、ここで質問です。

ケーブルカーはどのような仕組みで動いているのでしょうか?

 

答えは・・・

 ケーブルカーは、線路中央の溝の下に動いているケーブルを

掴んだり、離したりして動いています。

それも機械が掴んだり離したりするのでなく

嬉しいことに「人間さま」が掴んだり離したりしています。

屈強な「グリップマン」と呼ばれている運転手が、レバーを器用に操作しています。

体力と経験の要る、大変難しい仕事だそうです。

 

 

 

写真は、16年前シスコで買ったものです。

人間が操るヒューマンサイズの乗り物・・・ケーブルカー  

私の大事な宝物です。

ちょっとホコリを被っていますが・・・

 


20年前のハワイ旅行

2011-05-08 16:26:46 | 米国の旅

 

今から約20年ほど前(厳密に言えば '89年と'92年)に

会社の慰安旅行でハワイを訪れました。

バブル華やかなりし頃、会社の業績も絶好調、慰安旅行も海外へ・・・

今から思えば夢のような時代でした。

 

 

 

 

 

滞在したホテルは、ヒルトン・ハワイアン・ヴィレッジです。

一度目は単身で、2度目は家内同伴で参加しました。

 

 

 

ホテルのプール

 

 

 アラモアナ・ショッピング・センター前のヨットハーバーです。

 

 

 

 サーフライダー・ホテルでのハワイアンの演奏。

 

 

 

ワイキキのシンボル、ロイヤル・ハワイアン・ホテルです。

 

 

 

バスに乗ってポリネシア・センターまで出かけました。

写真は、ポリネシアンのショーです。

 

 

 

ポリネシア・センターでやっていた、ヤシの実を獲る実演です。

 

英語以外にカタコトの日本語、中国語、ドイツ語などを上手に駆使し

いろんな国から集まっている観光客を、巧みに笑わせていました。

今でも同じジョークで笑わせているのでしょうか・・・・・

 

 

 

 ホテル近くの夕景です。

 

ワイキキで泳いだり、ハナウマ・ベイで潜ったり、ゴルフをしたり、

ポリネシア料理を楽しんだり、ショッピングをしたり・・・

20年前の事が、昨日の事のように思い出されます。

もう一度、あんなバブルがやって来ないものでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 


1987年の訪米(ニューヨーク②)

2011-04-23 15:54:10 | 米国の旅

ウオール街に建つ、ニューヨーク証券取引所です。

世界の心臓部であるウオール街は、意外と狭く窮屈な感じです。

この取引所の前の道も狭いので、取引所の写真は斜め横からしか撮れません。

 

 

 

5番街のメーシーズ・デパート

 

 

 

 

Greenwich Villageの南にあるSO HO地区。

倉庫街に芸術家が多く住みついた街です。

 

 

 

 

ニューヨークのど真ん中にある、セントラル・パーク。

 

 

 

ニューヨーク郊外の企業を訪ねた際、昼食をご馳走になりました。

優雅な社員食堂です。

 

 

 

管理職クラスの執務室。

こんな環境なら良い仕事が出来そうですね。

 

 

 

ニューヨークではウォルドルフ・アストリア ホテルに5連泊しました。

伝統と格式を誇るニューヨークの最高級ホテルです。

 

昭和天皇や日本の歴代首相も宿泊された事があり、

アイゼンハワー大統領が自邸として使用した事もあるホテルです。

但し、私達が泊まったのは、当然の事ながら一番安い超平凡な部屋でした。

ホテルへの出入り口が沢山あり、VIP対応がしやすい構造に

なっていた事を思い出します。

 

写真は、記念にもらって帰った靴ふきです。

 

 

 

 

 


1987年の訪米(ニューヨーク①)

2011-04-09 16:11:24 | 米国の旅

ニューヨークでは多くのリムジンを見かけました。

アメリカの豊かさを感じました。

 

 

 

 

ニューヨークに限らず、アメリカにはガラスの塊のようなビルが沢山あります。

地震が心配ですが、ここNYは固い岩盤の上に建っているので

地震の事はあまり心配していないようです。

 

 

 

こちらは1983年に竣工したTrump Towerです。

私の訪れた1987年では、まだ出来たてのホヤホヤで

5番街の新名所として注目されていたビルです。

カルチェ、ロエベなどの一流ブランドが入居していました。

 

 

Trump Towerを横から見た図です。

赤プリにちょっと似ています。

 

 

 

正面奥のビルは、1963年竣工のPAN AMビルです。

パーク・アベニューを遮る形で建っています。

世界を代表する航空会社でしたが、残念乍ら1991年に破産しました。

今このビルはどうなっているのでしょうか・・・

 

 

 

後方に霞んでいるビルはクライスラー・ビルです。

アール・デコ様式のオシャレなビルです。

 

 


1987年の訪米(ダラス中心部)

2011-03-09 18:57:34 | 米国の旅

ダラスにはユニークなビルがいっぱいです。

正面のハーフ・ミラーで覆われたビルは、アライド・バンク・タワーです。

多面体のプリズムを連想させる大胆なデザインです。

 

 

 

街の中心部は高層ビルばかりで、カメラに収まりきれません。

 

 

 

ハーフ・ミラーを使ったビルを多く見ました。

 

 

 

街には多くの「アート」があり和やかな気分にさせてくれます。

 

 

 

 

こちらにも「アート」がありました。

米国の懐の深さ、ゆとりを感じます。

 

 

 

 

ちょっと赤坂プリンスホテルに似ています。

 

 

 

 

こんなオシャレなビルがいっぱいでした。

ダラスはポスト・モダン建築の宝庫です。

ニューヨークとはひと味違う近未来を感じました。

 

 

 

原野であったダラスに、最初に建てられた小屋がこれだそうです。

超近代的なビル群に囲まれながら、充分に存在感がありました。

 

因みに、ケネディ大統領が凶弾に斃れた現場は、この小屋のすぐ近くです。


1987年の訪米(ダラス近郊)

2011-03-07 16:42:19 | 米国の旅

DALLAS FORT WORTH空港からダラスへ向かうハイウエイです。

日本と違って周辺に山が見えません。

見渡す限りの大平原です。

 

 

 

車の前を見ても横を見ても、遮るものがありません。

360度地平線が広がっています。

アメリカの広さを実感しました。

 

 

 

 

ダラスに向かう途中、大平原の中に忽然と巨大なビルが現われました。

こんな原っぱの中に、こんなビルを建てて、大丈夫なのか?

ちょっと心配になりましたが、

説明を聞くと、まだ開発中のエリア、との事でした。

 

アメリカのダイナミズム、迫力に感jじ入った事を思い出します。

 


1987年の訪米(サンフランシスコ)

2011-03-03 17:48:31 | 米国の旅

 目下、古い写真を断捨離中です。

今日は、20数年前の写真(米国出張時のもの)を断捨離です。

1987年(昭和62年)、米国視察団に加わり

サンフランシスコ、ダラス、ヒューストン、ニューヨーク等を巡りました。

1987年と言うと、日本はまさにバブル華やかなりし頃でした。

一方、米国に追いつき追い越せと、日本からは多くの視察団が

米国を訪れていた時代でした。

 

 

 

 

 

最初に訪れた街は、サンフランシスコです。

お馴染みのゴールデン・ゲート・ブリッジです。

全長2734m、1937年に竣工。

長い間、スパン世界一の座にあった橋だそうです。

霧の深い土地柄、視認性の高い朱色を採用したそうです。

 

 

 

 

シスコと言えばケーブルカーですね。

ヒューマンサイズで、私の大好きな乗り物です。

 

 

 

 

シスコは坂の街です。

 

 

 

 

 

 

「世界一曲がりくねった坂道」ロンバード・ストリートです。

急坂に8つのヘアピンカーブがあります。

車道脇の花が綺麗でした。

 

 

 

 

のっぽビル。

ダウンタウンにはユニークなビルがいっぱいありました。

 

 

 

ビルの谷間の通路。

 

観光旅行ではないので、街の一部しか見ていませんが、

サンフランシスコは清潔で魅力いっぱいの街でした。

 

 


1981年の訪米(お土産のウイスキー)

2011-02-24 18:42:21 | 米国の旅

これはプラモデルではありません。

30年前の米国出張時に買って帰ったウイスキー(ボトル)です。

 

 

 

ドアの部分にバーボン・ウイスキーの銘版が貼ってあります。

 

 

後方には、スペアタイヤも付いています。

 

 

 

スペア・タイヤを外すとウイスキー・ボトルの頭が顔を出します。

もちろん中身は30年前に飲んでしまったので、今や空っぽのボトルです。

しかし、可愛い顔をしているので、今だに捨てきれずにいます。

目下、海外出張時の写真の断捨離に励んでいるところですが

この出張土産だけは、断捨離の対象としないつもりです。

 

 

 

 

このウイスキーも、昔出張時に買って帰ったものです。

中身は空っぽですがインテリアに使っています。

 

昔は、海外へ出かけたら必ずと言ってよいほど、

免税枠の、ウイスキー3本とタバコ2ケースを買ったものですが・・・

今やウイスキーなんかは、近所の激安店の方が安い始末です。

今昔の感を深くします。

 


1981年の訪米「ニューヨーク」その②

2011-02-20 11:50:47 | 米国の旅

 

 

 

ニューヨーク郊外の住宅地です。

日本と違って、塀や生垣で囲ったりしていないのは、いかにもアメリカ的です。

 

 

 

30年前の朝刊のボリュームはズッシリありました。

現地の人でも全部は読みこなせないのでは?

ネットも進化した現在では、もっとスリムになっているのかも。

 

 

 

 

裾広がりのユニークなビル。

新宿の損保ジャパン本社ビルも、このスタイルを踏襲しているようです。

 

 

 

まるでガラスの山です。

国連本部の近くに建っている、ホテルとオフィスの複合ビルです。

全面ガラス貼りと聞くと、日本人としては地震が心配になりますが 

マンハッタンは固い岩盤で出来ているので、その心配はいらないようです。

 

今から30年前でも、NYにはユニークなビルがいっぱいでした。


1981年の訪米「ニューヨーク」その①

2011-02-19 11:57:32 | 米国の旅

1981年の5月から6月にかけて米国を訪れました。

東大の、某教授を団長とする米国視察団に加えてもらって、

ニューヨーク、ワシントン、シカゴ、コロンバス、ロスなどを巡りました。

2度目の訪米なので、気持ち的には多少落ち着いて回れました。

しかし、スケジュールはかなりハードだったので、のんびり街歩きが出来たのは

ニューヨークぐらいでした。

 

 

 

 

 

街のあちこちに、ジューススタンドやホットドッグの屋台がありました。

ソーセージとザワークラウトとマスタードとNYの空気とのコラボレーション・・・。

NYの街角で食べた、ホットドッグの美味しさは今だに忘れられません。

 

 

 

昼休み時、街のあちこちでミニコンサートが開かれていました。

演奏する人、聞いている人、皆人生を思い思いに楽しんでいる感じでした。

アメリカ人の「ゆとり」を感じました。

 

 

 

 

休日には、多くのミュージシャンが街角で演奏していました。

音楽が、日本以上に身近にある感じがしました。

 

 

NYは、狭い場所にビルが林立し、上に上にと伸びています。

ロサンゼルスは、だだっ広い平板な街・・・といった印象ですが

NYは、狭い場所にビルも人も文化も何もかもが

びっしり凝縮されており、密度の超濃い街と感じました。

私はNY大好きです。

 

 

 

 

NYの街歩きで、エンパイア・ステート・ビルは外せませんね。

もちろん入場券を買って、展望台まで上りました。

高さ380m、102階。1931年竣工、かっては世界最高のビルでした。

今でも、「アメリカの象徴」の地位は揺らいでいませんね。

 

 

 

車が豆粒のように見えました。

30年前の写真は、かなり色が褪せてきました。

 

 

 

30年前のエンパイア・ステート・ビル展望台です。

 

あれから30年・・・

今もこの展望台は、観光客で賑わっている事でしょう。

ツインタワーが壊され、

今や、NYでは ひとり横綱のような立場になったエンパイア・ステート・ビルです。

1931年竣工と言うことは、今年で、おん年80歳。

大変だろうが、災難に会わず、これからも長生きしてくれる事を祈るばかりです。